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シヨウの国に来てから三年が経ったある日、僕はテューレからの報告を受けていた。
報告の内容は、今年の農作物の収穫量。
書類と呼ぶには物足りないが、それでもわかり易く報告内容が纏められた紙に目を通しながら、僕は安堵と同時に恐怖を覚える。
安堵したのは、エルフ達が必要とする食料の不足分が足りた事。
恐怖したのは、その不足分が足りるまでの期間が、想定よりもあまりに早かった事だ。
もちろんこれは良い報告だろう。
目の前のテューレを始めとする農業に携わったエルフが、全力を尽くしてくれたからこその結果である。
但し、その農業に携わったエルフというのは、実は然程に多くない。
もし人間が同じ面積の耕作地で作物を育てるなら、数倍か、或いは十倍は数が必要だろうってくらいの人数しか、農業に関わったエルフはいなかった。
……それなのにこの結果なのだ。
利用できるようになった平地部分を耕し、新たな耕作地として広げる作業をしながら、同時に作物を育てて食料の不足分を満たした。
国の周囲を川で囲ってから、安全に利用できる平地が増えてから、まだ二年半ほどしか経っていないのに。
同じ成果を人間が出すなら、それこそ僕の前世の世界にあった、耕運機やらトラクターといった農作業用の機械を用いねば不可能だろう。
あまりに高いエルフの農業への適性。
これはこの世界を、エルフが支配できてしまう可能性を僕に見せ付けた。
エルフの数が限られているのは、森の恵みで無理なく生活できる程にしか、エルフ達自身が数を増やさないからだ。
しかしエルフが農業を覚え、大量の食料を生産するようになったら?
命の時間が長いエルフは、人間のように急には数を増やさないけれど、百年と少しもすれば生まれた赤子も、次の子を作れるようになる。
本気でエルフが拡大をしようとしたなら、五百年や千年で、その数は十倍をこえて増えるだろう。
元よりエルフは人間に比べ、いや、他の種族と比べても、個々の強さは上だ。
程度の差はあれ、精霊が力を貸してくれるのだから。
すると数を増やしたエルフは他を駆逐し、更に広い田畑を得、数を増やす事が可能となる。
あぁ、僕がハイエルフとして生きてる時間の間に、大陸中からエルフ以外を駆逐してしまえるかもしれない程に……。
僕はその可能性に恐怖したのだ。
「エイサー様、私はきっと、この国の状況が落ち着いた後には、農業に携わる事をやめると思います」
安堵と恐怖が混じり合い、言葉を発せなかった僕に、テューレはそう言った。
少し皮肉気に笑いながら。
「私一人が人間に混じって畑で作物を育ててる時、周囲の人間達は皆が喜んでくれました。私が居ればとても助かるって」
あぁ、それはそうだろう。
固くて掘り返せない場所も、エルフなら掘り返せるし、水不足を恐れる必要もなくなる。
誰かの役に立てて喜ばれる実感を得られるのは、きっとテューレも楽しかった筈。
「ですけどエルフばかりで、大きな規模でやる農業を知ってしまえば、もう小さな畑で作物を育てる事を、心から楽しめはしないでしょう。でも大きな農業も、……もう怖いですね。その数字を見て、私も背筋が凍りました」
本当に彼女は優秀だ。
僕には朧気であっても前世の知識があるから、この数字の恐ろしさが理解できた。
だけどテューレは、同じ知識を持っていないにも拘らず、この数字から同じ未来の可能性を見てる。
恐らくそれは、彼女にとって幸せな事ではなかっただろうけれど……。
「そんな顔をなさらないでください。……いえ、違いますね。そのお顔を見れただけで、私がしてきた事は報われましたし、これまでの事を誇れます。ハイエルフの御方を驚かせ、怖がらせたエルフなんて、そうざらにはいないでしょうから」
すぐに、という訳ではないだろうけれど、テューレは言葉通りに農業への関与をやめるだろう。
彼女が力強く主導しなければ、エルフの農業は恐らくこれ以上の発展はしない。
今は農業に携わってる他のエルフも、必要分だけを作り続けて、やがて元の森に帰れば以前と同じ暮らしに戻る。
テューレ以外のエルフにとって、農業は食料の供給に必要だから携わってるだけで、好みに合致した生き方ではないから。
そう、彼女だけが、脅威となる可能性を秘めていた。
……でも僕は好きなように生きてるのに、僕はテューレに好きだった農業を捨てさせるのか。
あぁ、もう、なんて嫌な話だろう。
もちろんシヨウの国の食料不足は僕が招いた問題じゃないし、提出された報告を見て、僕がその危険性に気付かなかったとしても、テューレの出した結論は変わらなかっただろう。
だが僕は、彼女に対して、好きな事をして生きろとの言葉を掛けてやれない自分を、身を震わせて嫌悪する。
「だけど私は、実はわくわくもしてるんです。だって農業をしないなら、その分だけ他の何かができるでしょう?」
しかしテューレは、そんな僕を励ますように、そう言葉を続けた。
今の彼女は、屈託のない笑みを浮かべてる。
「それを教えてくれたのは、エイサー様なんです。だからお聞きしたいんですけれど、どうしてエイサー様は、鍛冶や彫刻を学ばれたのですか?」
暫く雑談を続けた後、
「エイサー様、皆には、成果を喜ばれていたと、伝えますね」
そう言い残してテューレは僕の前を辞した。
随分と気遣わせてしまった事が情けない。
本当に辛いのは、好きな農業をいずれ捨てねばならない彼女なのに。
僕はやっぱり、人の上に立てる器じゃないなと、改めて思う。
けれども、そうであっても、今はハイエルフとしての権威を使って、このシヨウの国を支えなければならない。
そう、残り七年間は、どうしても。
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