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 三人の衛兵のうち一人が先に連絡に走って、残る二人に連れられてやって来たのは、港近くの高台に建った大きな屋敷。

 振り返ればよく整備されて発展してる港の様子が一望できるし、吹く潮風が心地いい。

 これだけでジルチアスの貿易港であるトムハンスの領主への印象は、僕の中で少し良くなる。


 勝手な思い込みかもしれないけれど、その領主を判断する要素として、趣味の良さ、センスは大事だと僕は思う。

 もちろん芸術を理解したところで悪人は悪人だし、風情がわからなくとも善人は善人だ。

 だから本当にそれは、あくまで一要素でしかないのだけれど、趣味が良い、センスがあるならば、少なくとも物の良し悪しを理解する能力があるって事だから。

 僕は渾沌とせずに発展した港、それを見下ろした風景や、この屋敷の佇まいから、トムハンスの領主が有能なのだと推察した。


 尤もそれも、実は先代や先々代の領主が有能だっただけってケースもあるから、あまりあてにはならない予想だけれども。

 ただ今回に関しては正解だったらしい。


 何故なら先に走った衛兵の連絡を受けて、館の主らしき人物、要するにこのトムハンスの領主が、自ら出迎えの為に玄関前で待っていたから。

 領民が、それでなくとも人間が相手だったら、自ら出迎えるなんて腰が軽い真似をすれば威厳が下がると考え、自室でどっしりと待つ貴族も多い筈。

 しかしそれはエルフが相手ならば悪手だ。

 貴族の権威を理解しないエルフ、或いはその他の種族であっても、呼び付けた以上は当人が出迎えるのは当然の礼儀だと考える。

 だがその辺りを察して理解し、人間相手との対応とは切り替えて行動できるなら、少なくとも無能とは程遠い人物だろう。


「おぉ、エルフ殿、呼び立ててしまって失礼をした。私はこのトムハンスの領主であるグレンダ・ヴェルブス。この国では海洋伯とも呼ばれている。申し訳ないが、貴殿の呼び方を教えて戴けないだろうか」

 物腰は丁寧に、けれども決して謙り過ぎずに名乗る四十か、五十代にも見える男性、グレンダ・ヴェルブス……、多分伯爵。

 直接爵位を名乗るのでなく、この国での呼ばれ方として伝えたのは、自分がこの辺りの人間を代表できる立場のある人間だと、貴族の権威を理解しないエルフにも上手く伝えようとしたのだろう。

 尤も僕は貴族の爵位もある程度はわかるから、別にそっちでも良かったのだけれど。


 また下船時に取った手続きでエルフが町に入ったと知ったなら、当然ながら僕が書類にサインした名前は知ってる筈。

 なのに敢えてそれを口にせず、名前ではなく呼び方を教えてくれと言うなんて、彼はそれなりにエルフに関して詳しいらしい。


 以前にも述べたような気はするけれど、精霊が個々の名を持たないように、ハイエルフも名を持たない。

 でも肉体のない精霊と違って、生活の必要があるハイエルフは、利便性の為に便宜上の呼び方は持ってる。

 精霊に呼び掛ける時、天高き風の宿る~だの、清き泉に宿る~だのと呼称をするように、名前でなく呼び方を。


 例えば僕なら、ハイエルフの長老からは楓の子と呼ばれるし、それ以外の同胞からはエイサーという呼び方をされる。

 まぁそれが名前とどう違うのかと言うと、僕は何も違わないと思うのだけれど、要するに結構どうでもいい些細なこだわりがハイエルフと言う種族にはあった。

 そしてエルフもそれに倣って、個々の呼び方はあれど名は持たない。

 故に名前を問われると、森から出たばかりで人間の世界を良く知らないエルフは、それを不愉快に思うだろう。


 グレンダはハイエルフ云々はともかく、そんなエルフの名前に対するスタンスを知って、敢えて呼び方をと問うたのだ。

 船に乗ってやって来たエルフが人間の世界に疎い筈がないとしても、いやだからこそ、その配慮に僕が気付けば好印象を与えると考えて。


「ヴェルブス伯でいいのかな。僕は人間の世界に出てもう長いから、そこまでの配慮は必要ないよ。気持ちはありがたく思うし、また別のエルフに出会った時は、同じよう接してあげて欲しいけれど」

 もちろん、僕もグレンダの対応には良い印象を受けている。

 彼がどうして僕を呼び、話を聞きたいと言い出したのか、その理由も何となくだが察しは付くし。

 人間の王侯貴族だからと無条件に敬意を払う心算はないけれど、グレンダ個人に対してはある程度の尊重をすべき人物だと、僕はもう思ってた。


「グレンダで構いません。森からの客人に我々の身分を押し付ける訳にはいかぬでしょう」

 僕が彼の配慮を理解した事に満足したのか、それとも他の感情を抱いたのかはわからないが、そんな言葉と共に屋敷の中へと招かれる。


 グレンダの僕への用件は恐らく二つだ。

 一つはうっかりとエルフにとっては危険の多い地である西中央部へと来てしまった風に見える僕に対する警告か、或いは保護。

 西部の宗教を国教とする国で異種族が奴隷として扱われているなら、それ以外の国にもエルフを見て欲を刺激される人間はいるだろう。

 換金の手間は大きいが、どうにか捕まえて上手く隣国へと運べたら……、なんて事を考える人間は、皆無じゃない筈。


 だからグレンダは警告の為か、或いはいっそ保護してジルチアスでの活動中は護衛でも付けてしまう為に、僕をこうして呼び出した。

 それはきっと、エルフと人間の関係をこれ以上悪くしない為。


 二つ目は、多分エルフの考え方が知りたいのだろう。

 西中央部のエルフが一体何を考えていて、どうすれば関係を改善する糸口が掴めるのか。

 彼はその糸口を求めて、港を訪れた僕を屋敷へ招いた。

 たとえ他所の土地のエルフでも、この西中央部の状況を知れば、エルフとしての物の見方で何らかの意見を出してくれるかも知れないと考えて。


 つまり要するに、グレンダの思惑は僕が西中央部を訪れた目的と、全てではないにしても一部は一致しているのだ。


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