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「先生、手合わせお願いします!」
力に満ちた少年の声に、僕は渡された木剣を受け取って、軽く構える。
僕が魔剣で巨岩を切ったあの日以来、マイオス先生の三男、クレトスは僕を先生と呼ぶようになった。
どうやら振った剣に余程の感銘を受けたらしく、その場で弟子になりたいと申し込んで来たのだ。
尤も僕は、即座に首を横に振ったが。
だって僕には鍛冶の仕事もあるし、マイオス先生への授業料の支払い、創作意欲を刺激できる何かを用意しなきゃならないし、彫刻だって学んでる。
それに何より、クレトスは既に他の剣技を学んでいる最中だった。
他の剣技を習得するさなかにヨソギ流を教えたところで、流派の癖が喧嘩をし、却って成長を妨げかねない。
またクレトスに、剣技を教えてる誰かに対しても不義理だろう。
ただ僕は、同様に忙しい筈のマイオス先生に時間を割いて貰ってる恩がある。
彼の息子に対し、僕が忙しさを理由にその想いを無碍にするのは、多少以上に心苦しかったから。
僕がこの工房を訪れる度に、クレトスが望むなら一度だけ手合わせに付き合うと決めた。
そう、工房までの館の敷地を通る、通行料のようなものとして。
通行料って言葉には、クレトスはぽかんとしてたけれど、マイオス先生はとても楽しそうに笑ってた。
それからもう十ヶ月、僕が彫刻を学び始めてから一年と少しが経つけれど、父と子の、二人の関係は少しだけ改善したらしい。
マイオス先生は時折、手を止めて僕に息子の剣の腕はどうなのかと聞いて来たし、クレトスもまた、僕が先生と呼ぶ己の父に対しての見方を、少しばかり変えている。
もちろんそれだけで親子の問題がすべて解決した訳ではないのだけれど、何というか、マイオス先生とクレトスは、少し繊細な所がよく似てて、親子なんだなぁと僕は思う。
打ち掛かってきたクレトスの木剣を払い、受け流す。
少年の成長は早く、背が伸びて筋量も増した彼の剣は、十ヶ月前とは比べ物にならない程に、重さを増してる。
けれどもまだ、勢い任せの未熟な剣だ。
木剣を受け流してクレトスの体勢が崩れたところで、僕は彼の胸を切っ先で軽く突いた。
驚きと衝撃に一瞬呼吸は止まるだろうが、痛みが残らない程度に、軽く。
「はい、お終い。今のままだと、殺せる相手なら仕留められるけれど、殺せない相手には逆に殺されるね。でも剣は、うん、随分と力強くなってるよ」
僕の言葉にクレトスは悔しそうに唇を噛み締めるけれど、それでも素直に頭を下げる。
彼の脇を通って、僕は工房へと向かう。
何時も通りに。
だけどこの手合わせも、何時までも続く事じゃない。
これまでも、マルマロス伯爵家に軍役の要請が来た時、クレトスは自分が行くと言い張ったそうだ。
マイオス先生はクレトスの年齢を理由に、その主張を取り合わなかったというけれど、もうそろそろ彼も一人前とされる年齢である。
またマルマロス伯爵家としても、軍役として領内から兵を前線に送るなら、それを率いる伯爵の代理人は一族の誰かである方が、当然ながら望ましかった。
クレトスはもう子供ではなく、領内の統治にも携わっておらず、更に当人が望むなら……、マイオス先生はマルマロス伯爵としての判断をせざる得ないだろう。
人喰いの大沼から出て来る魔物は多種多様で、その戦いで何が起きるかはわからず、軍役として前線に赴きそのまま帰らなかった貴族が、決して珍しくはないとしても。
そんな風に思っても、彫刻を学ぶ生徒に過ぎない僕が、マルマロス伯爵としてのマイオス先生の判断に挟める口はない。
何時もと変わらず石と向き合い、語り合い、時にマイオス先生のアドバイス、指導を受けて、少しずつ像を彫り進めていく。
今、僕が彫っているのは、ドワーフの彫像。
そう、僕の鍛冶の師であり、今はドワーフの国の王となった、アズヴァルドをモデルにして像を彫っていた。
ドワーフ達の編みこまれた髭を細かく彫り込んで再現するのは、実に繊細で複雑で、手間の掛かる作業だ。
やがて作業がひと段落すると、同じく手を止めたマイオス先生が、僕が彫ってるドワーフを見て口を開く。
「エイサー君の鍛冶は、ドワーフに師事して学んだのだったね」
ルードリア王国や、或いはその近くなら、ドワーフの国から出てきた鍛冶屋を見かける時もあるけれど、流石にシグレア程に遠くなれば、その姿は見られない。
だからマイオス先生も、ドワーフをその目で見た事はないらしく、この彫像には強く興味を示してた。
ちなみにエルフを見るのも僕が初めてらしいけれど、芸術品の蒐集家でもあるマイオス先生は、エルフの画家であるレビースの絵は数枚持っているそうだ。
何時か二人を会わせたら、楽しそうだなぁと僕は思う。
まぁそれはさておき、しかし今日は、どうやらドワーフに対しての興味を口にしてる訳ではないらしい。
僕が頷けば、マイオス先生もまた一つ頷いて、
「エイサー君に、鍛冶職人としての君に、……一つ鎧を発注できないだろうか? もちろん、君が他の仕事を抱えてる事も知っている。すぐに、とは言わない。だが一年以内には、恐らくそれが必要になる」
そんな言葉を口にする。
あぁ、なるほど、そういう事か。
もちろんそれなら、否と言う心算は僕にはない。
「これは何時もの授業料とは全く別だ。支払いは金銭でさせて貰いたい。だから芸術的でなくていい、どうか息子の、クレトスの命を守れる鎧を、エイサー君に頼めないだろうか」
それはマルマロス伯爵としての依頼でも、芸術家としてのマイオス先生からの頼みでもなく、一人の父親としての彼の願いだった。
しかしこれは、中々に難しい仕事になる。
確かに魔物は芸術を理解なんてしないだろうから凝る事に意味はない。
人間同士で争う場合なら、捕虜を取って身代金をという発想にもなるから、鎧で富貴を示すのは決して悪くはないのだけれど、魔物が捕虜を取ろう筈がない。
華美な鎧で目立てば、より命の危険が高まるだけだ。
ならば地味で目立たぬ鎧がいいのかと言えば、それもまた間違いだった。
何故ならマルマロス伯爵の代理人として兵を率いるなら、それに相応しい威を備えた鎧を身に着けねば、周囲の他の貴族や、或いは率いた兵からも侮られてしまう。
他の部隊の指揮官である貴族に侮られれば、当然ながら部隊間の連携は取り難くなるだろうし、率いた兵からも侮られれば統率もままならない。
ただでさえクレトスは若いのだから、尚更だった。
また鎧には防御力も重要だが、重く動き難くては意味がない。
爪牙を防げる鉄の塊のような板金鎧で全身を覆っても、魔物は圧倒的な膂力で中身を叩き殺す。
故に爪牙を防げる防御力と同時に、前に出る時は前に出て、逃げる時は一目散に逃げれる、動き易く軽い鎧である事も重要だ。
マルマロス伯爵として相応しい威を纏い、されど過度に目立たず、動き易く軽く、命を守れる防御力のある鎧。
本当に難しい、やりがいのある仕事になりそうだ。
だけど受けない理由は僕にはない。
ここで大きな仕事をこなして稼いでおけば、時間の確保にも余裕ができるし、何よりもその鎧でクレトスが無事に帰って来る可能性が少しでも上がるなら、僕だってそれを嬉しく思うから。
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