235
マイオス先生に彫刻を習い始めて半年程が経った頃、ふと石を彫る手を止めた彼は僕に問うた。
「君がいつも石に触れる時に小さく何かを呟いてるのは、そこに精霊がいるからなのかい? だったら幾つか、私の代わりに精霊に尋ねて欲しい事があるんだ」
あぁ、うぅん、僕はその質問に、少し困ってしまう。
まず彫ってる石に地の精霊が宿っているかといわれれば、それは微妙な所だ。
もちろん石にも宿っているけれど、それは大地に置かれたこの石が地と繋がっているからで、完全に切り離した場合はどうなるだろう?
余程にその像が気に入られたなら、変わり者の地の精霊が、独立してそこに宿る事もあるのかもしれない。
あの公園で見た巨狼の像は、精霊からも随分と気に入られてる風にも見えたし。
大きく巨大な山なんて、地の上にありながらも強い力を持った精霊が独立して宿ってるから、それと似たような事になるのだろうか。
また人間の質問を、精霊がはっきりと理解して答えを出せるか、これも些か疑問だった。
もう随分と昔に知己を得た、ルードリア王国の澄んだ泉に宿った水の精霊くらいに経験を積み、人と関わったり信仰を得たりして、強い自我を形成してる精霊ならともかく、少なくとも今この場にいる地の精霊にはそこまでの理解力はないように思う。
僕はよく精霊と話すが、言葉は切っ掛けや気持ちを深める為の物で、主要なコミュニケーションは共感、イメージの共有だ。
例えば僕がここで地の精霊に、石の脆い点を問う。
より正確には石の脆い点を疑問に思い、それに地の精霊が共感すると、何となくその石が脆い点を確信する。
そう、とても感覚的なやり取りだ。
あぁでも、割と明確な意志を精霊側から声として伝えられる事もあるし、そのやり取りの全ては言葉ではとても表現がしにくい。
長く炉に宿った火の精霊なんて、明確に言葉に反応して頑張ってくれたりもするし……。
要するに精霊が積んでる経験や、個性次第で異なるけれど、僕らはそれら全てをひっくるめて、精霊との会話と呼んでいるのだ。
ただそれを、人間であるマイオス先生に理解して貰うのは、多分とても難しいだろう。
だって僕ですら、自分が感覚的にこなすそれを、頭で理解しているのかといえば否なのだから。
だけど一つだけ推論をするなら、個の強い精霊は大きな流れからは独立してる事が多いように思える。
海に宿る水の精霊は強い力を持っているが、あの泉に宿る水の精霊のように個性が強い訳じゃない。
炉に宿る火の精霊は決して強くはないけれど、流れる溶岩に宿る火の精霊よりも余程に個性が強い。
尤も大きな流れの中に宿る精霊にも、たまに個の強い精霊は混じるから、……本当に一概には何とも言えないか。
一晩の焚き火に宿った火の精霊が、時には妙に個性的だったりもするし、その時々で全てが変わる。
精霊なんて、自然なんて、そんなものだろう。
全てを理解できるのは、やがて僕もハイエルフとしての時を終え、精霊として彼らの中に混じった時だ。
「質問はいいけれど、マイオス先生の知りたい事を正しく伝えられるかはわからないよ。精霊は、気持ちは教えてくれるだろうから、僕がそれを察して代弁する形になるかな」
あまり歯切れのよくない言い方になってしまったけれど、それでもマイオス先生は嬉しそうに頷く。
僕が代弁する以上、ある程度は僕の主観が混じった言葉にはなるけれど、……まぁ彼がそれでも納得できるなら、いいだろう。
そしてマイオス先生の口から転がり出た質問は、
「私は、人間が大地から石を切り出し、こうして像を彫ったり、建築に利用してる事を、精霊がどう思ってるか知りたいんだ。教会は大理石を豊穣神が齎した宝だなんていうけれど、そんなの精霊には関係のない理屈だろう?」
あぁ、実に彼らしいものだった。
そう、僕に彫刻を教えてくれるこの先生は、とても繊細な人なのだ。
もちろんそれは弱さとは別物で、マルマロス伯爵としての彼は、精霊がそれをどう思っていたとしても、石を切り出して輸出を続けるし、それを邪魔する物があれば権力の刃で取り除く。
ただ同時に、マイオス先生は芸術家として、繊細な感性を持っている。
尤も石を切り出して像に、家にする事に関しては、
「別に精霊は何とも思ってないよ」
……としか言いようがない。
全ての精霊がそうであるとは言わないけれど、少なくともこの場にいる地の精霊は、それに対して関心を持っていない。
人間が削って形を整えた石と、山から川底を転がる間に削れて整えられた石、それにどれ程の違いがあるというのだろうか。
人間にとっては、そりゃあ大きく違うだろう。
だけど地の精霊から見れば、そこに大きな差はないのだ。
また生き物は生きていれば、必ず精霊の領分を汚す。
例えば川で水を浴びれば、身に付いた垢や汗は水を汚してしまうだろう。
水が汚されたなら、その水に宿る精霊は、当然ながらあまりいい顔はしない。
でもその汚れは時に小さな生き物の餌となり、更にそれを魚が食べて、水中の命を増やす。
魚が死ねば、その死骸はやはり水を汚すけれど、他の魚がそれを食べたり、やはり小さな生き物の餌になったりして、水中を豊かにするだろう。
故に精霊は、余程に度が過ぎねば、己が宿る環境を汚されたとしても、怒りにまでは発展しない。
……怒る精霊も、もしかしたらいるかもしれないけれど。
僕だって木炭を燃やし、煙を出して大気を汚すが、風の精霊は許してくれてる。
木々もそうだ。
切られてしまう事は嫌がるけれど、それでも人間が生きる為には木々を切り倒し、家を建てたり燃料にする必要がどうしてもあった。
人間も世界の一部だから、その営みを維持する為の行いは、程度にもよるけれど、仕方がない。
草も命だが、それを食べる草食の獣が居て、更に草食の獣を食べる肉食の獣がいる。
これも生きる為に行われる、当たり前の行為だ。
人間が生存の為に木を切って家屋にするのと、獣が肉を食するのは、生きる為の行為という意味では、実はそんなに大差はなかった。
だって人間は家屋で雨風を遮り、身を守らなければ病に倒れて死んでしまうのだから。
「石を切り出した後の採石場を見て、物悲しく思うのはマイオス先生の、人間の感性だよ。精霊にそれを問うても、戸惑われるばかりで、責めもしないし、許しもしないよ」
多分これは、マイオス先生が望んだ答えじゃないのだろう。
僕が思うに、彼はきっと責められて、自分の罪悪感を肯定されたかったのだ。
実に面倒臭い話だけれど、人間は自らを特別だと考え、自然に強い影響を与えられるのだと思いたがる。
まぁ鉱山からの水の汚染とかもあったから、それも全くの間違いと言う訳ではないのだけれど、……それでも些か傲慢だなぁと僕は思う。
「あぁ、でも僕が見た限り、公園の狼の像は、精霊達にも気に入られてたから、あの巨狼は精霊の感性にも合ったんだろうね」
まるで下手な慰めのような言葉になってしまったけれど、これは単なる事実だ。
マイオス先生が彫った像は、全てがという訳ではないが、精霊に好かれる物もあった。
それをどんな風に受け止めるのかは、そもそも僕の言葉を信じるか信じないのかも、彼次第。
「……そうか」
少しの沈黙の後、マイオス先生はそう呟いて、再び石を彫る手を動かし出す。
彼が何を想ったのか、今の僕にはわからないけれど、やがて出来上がるだろう作品が、きっとその一片くらいは教えてくれるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます