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 それは僕がマイオス先生に彫刻を教わり始めて、三ヵ月くらいがたったある日の事。

「アンタが、最近ずっと父さんと一緒だっていうエルフか」

 午後の何時もの時間、マイオス先生の工房に向かう僕を、まだ少年と言っていい年齢の若者が呼び止める。

 腰に佩いた剣の柄に手を掛けて、警戒心を丸出しの目で僕を見る彼の顔には気品があり、そしてマイオス先生によく似てた。


 その言葉、風体から察するに、マイオス先生の末子である三男、……名前は確か、クレトスだっただろうか。

 クレトス・マルマロス。

 マルマロス伯爵家に生まれたが、兄二人のように統治者としての道は選ばず、武人として名を上げる事を望んでる少年。

 聞いた話では、彼はマルマロス伯爵家がシグレアの他の貴族から文弱と侮られるのを許せず、武に傾倒してるらしい。

 そしてその事から、父親であるマイオス先生とは、思春期らしい反抗心も手伝って、あまり折り合いが良くないと聞く。


 そんなクレトスから見ると、急に現れてマイオス先生に近付き、彫刻を教わっているという僕は、実に胡散臭く見えるのだろう。

 うん、まぁそれは別にいいのだけれど、敵意を剥き出しにして僕の前に立つ。

 これはあまりよろしくないんじゃないだろうか。


 別に僕が、マイオス先生に招かれて工房を訪れてると知って邪魔するのはいかがなものかとか、そういうのはどうでもいいのだ。

 でも僕と彼、彼我の実力差を理解せずに敵意を向けるのは、武人として名を上げる事を望んでる身としてはあまりに迂闊だった。

 今日、僕はある目的で、事前に許可を取って、自分の魔剣を持って来ている。

 武器を持った相手を見れば、その歩き方、身のこなしから、ある程度の実力の把握くらいはすべきだと思うのだけれど。


 もちろん僕だって、こんな場所で剣を抜いてマイオス先生の子を切り捨てたりはしない。

 そもそも子供に敵意を向けられたくらいで目くじらを立てる程に短気でもないし。

 ただクレトスが自身がまだ生きていられる理由が、状況や相手の寛容によるものだと、理解していないのは拙いだろう。



 さて、一体どうしようか。

 手荒な真似はせずとも身の程を思い知らせる手は、幾つかある。

 例えば強く威圧すれば、流石に自分の無謀さを理解もする筈。

 ……しかしそれでは、彼の武人を志すという意気すら折ってしまわないか。

 僕はそれを懸念した。


 確かにクレトスは、ここまで見た限りでも父であるマイオス先生との折り合いは、あまり良くないだろうと察せられる。

 だけどそれでも、彼は父を、或いはマルマロス伯爵家を心配して、僕という余所者を見極めに来たのだ。

 武人を志す事だって、自分の家が、マルマロス伯爵家が馬鹿にされてる現状が許せないというのが、その理由の一つだろう。

 僕にはそれが、とても健気に思えるから。

 今ここで、クレトスの意気は折ってしまいたくない。


 ではどうするか。

 折角、今日は魔剣を持って来たのだから、やはりそれを使うとしよう。


「少年、僕は今から君の父に芸を一つ見せる予定だから、折角だから君も見て行くといい。決して損はさせないし、それに僕を怪しいと思うなら、近くで見張ってた方がいいだろう?」

 僕は彼にそう言って、笑みを見せる。

 そう、今日はマイオス先生に、授業料を支払う日なのだ。


 マイオス先生は武を好まない。

 それは十分に知っている。

 何せ武人を志す息子への接し方に、頭を悩ませているくらいだから。

 仮にマイオス先生とクレトスの間に会話が多ければ、この少年が僕の前に現れるのは、もっと早かったんじゃないだろうか。


 けれどもだからこそ僕は、僕が知る最も美しい剣技を、マイオス先生に見て欲しかった。

 そう、カエハが僕にくれた、ヨソギ流の剣を。

 あのチンクエディアに、芸術性をちゃんと見出してくれたマイオス先生なら、そこにきっと何かを感じてくれる筈だ。


 今日切るのは、何かに使えるかと思って工房に運び込んだはいいが、あまりにも大き過ぎて結局は持て余してしまってるという巨岩。

 四分割程すれば丁度良い大きさになるそうだから、それを切ろうと思ってた。

 後は、うん、ヨソギ流の演武を見せればいいだろう。



 僕が向けた笑みに、クレトスは少し戸惑った様子だったが、歩き出せば素直にその後を付いて来る。

 剣を見せた際の、親子の反応の違いが少し楽しみだ。

 もちろん僕が剣を振ってみせた程度で、父と子の関係が改善するとは思わないけれども、ほんの少しだけでも溝が埋まる手伝いになると、きっと嬉しい。


 工房で僕を出迎えてくれたマイオス先生は、クレトスの顔を見て驚いた顔をするけれど、結局は何も言わなかった。

 その事に、クレトスが不満げな表情を浮かべたのも、僕は見た。

 でも口は挟まない。

 人と人の関係は、複雑で難しいものだから。

 他人の言葉は、あまり意味をなさない。


 だけどこの剣は、そんな彼らの目を奪う。

 所作で、剣閃で、一瞬で四つにわかたれた巨岩という結果で、その場の空気をも切り裂いて。


 そう、ヨソギ流の剣は、深過ぎる恋心以外は、大体は切って断てるから。


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