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 結局その日は、街道沿いの宿場町に辿り着き、衛兵に賊を突き出して、僕が宿に泊まれたのは随分と夜も更けてからになってしまった。

 宿代は事情聴取が長引いてしまった詫びにと町から出る事になったし、報奨金としてそれなりの額も貰えたから、誠意ある対応だと思う。


 すっかり遅くなってしまった夕食は、残った物で申し訳ないと出された黒パンに野菜のスープ、それから焼かれたベーコンがひと切れ。

 まぁ遅くなってしまった事情は宿の人には関係ないし、それでも衛兵からの説明を受けて泊めてくれたのだから、僕としては宿には感謝しかない。

 スープを匙で掬って、口に運ぶ。

 野菜をよく煮込んで、塩で味を調えたスープは、温め直した物でも美味しい。

 何よりも硬くて酸味のある黒パンとは相性が良かった。


 硬いパンもスープに浸して、それからゆっくりとよく噛めば、じんわりと口に味が広がって楽しめる。

 もちろんベーコンだって旨い。

 塩気に酒が欲しくなるけれど、あぁ、うん、流石にそこまで贅沢は言えないだろう。


 硬いパンもスープもベーコンも、こうした人の手の込んだ温かな食事は、プルハ大樹海や深い森では口にできなかった御馳走だ。

 僕はそれらを全て、綺麗に平らげてから、最後に盥に入った沸いた湯を受け取り、指定された部屋へと上がる。


 こう見えても僕は食欲旺盛なので、さっきの量では腹八分目にも届かない。

 けれども取り敢えず、人心地は付いたし、寧ろ久しぶりの人里の食事だからこそ、贅沢な物よりはあれくらいが丁度良かった。

 いきなり贅沢なんてしたら、舌も心も驚いてしまうから。


 あぁ、そういえば、以前にヴィレストリカ共和国を訪れた時は、海産物が食べたくて行ったんだっけ。

 記憶を振り返ってみれば我ながら、実に食い意地の張った理由であの国を目指したんだなぁと、そんな風に思う。

 でもあの時は、うん、実に楽しかった。


 今回も、またあんな風に楽しく過ごせるだろうか。

 ギアティカが大きく変わったように、きっとヴィレストリカ共和国だって以前のままではない筈だ。

 だけどそれは僕も同じで、あれから何度も船に乗ったし、大きな魚を釣ったり、口にしてきた。

 今生で初めて海産物を食べたあの時のような喜びは、同じ事をしても味わえない。

 それは当たり前の話だろう。


 しかしそれでも僕は期待してる。

 ヴィレストリカ共和国なら、今の僕にも新鮮な、新しい何か発見をさせてくれるんじゃないだろうかと。



 久しぶりのベッドは寝心地が良くてついつい寝過ごしてしまったけれど、この宿場町に長居をする気は僕にはなかった。

 やっぱり随分と遅くなってしまった朝食を平らげ、宿の主人に礼を告げてから、僕は再び歩き出す。

 南へ、ヴィレストリカ共和国へ、或いは海へと向かって、ひたすらに。


 徒歩の旅でも一週間もすれば、ギアティカとヴィレストリカ共和国の国境を越える。

 国境といっても、別に大地に線が引かれてる訳じゃない。

 僕は普段、街道を使わずに野や森を突っ切ったりする事も多いから、気付けば国境を越えていた、なんて事も稀にあった。


 そもそも国境自体が曖昧な場合も、実は決して少なくはないのだ。

 例えば辺境の村になると、その時々で所属する国がコロコロ変わったり、或いはどちらの国からも他国の村だと思われてたなんて話があるくらいに、国の境なんて曖昧なものだ。


 これが文明が高度に、そう、僕が前世に生きた世界程にとまでは言わずとも発達すれば、国の境は明白になり、そこを踏み越えるには多くの手続きが必要になるだろう。

 でもこの世界は、そこまで高度な文明が築かれていない。

 ……或いは、過去にそんな文明が築かれていたとしても、真なる竜が世界を焼いてしまったのだろう。


 サリックスに不死なる鳥、緋色の事を任せた時、

「あぁ、まさか本当に不死なる鳥を、私がハイエルフである間にこの目で見られるなんて。……エイサー、これは凄い事だよ。何せ不死なる鳥は、世界が竜の炎に焼かれる時、我々ハイエルフを空の上に逃がしてくれる存在なんだ」

 なんて事を、驚きと共に口にしていた。

 彼が言うには、竜が世界を焼いた後、不死なる鳥は地にハイエルフを下ろして、卵を産んで、残ったその身を灰と化した地に還す。

 するとそこからは木々や獣といった生命が芽生え、ハイエルフがそれを育てる事で、巨大な森が生まれるらしい。


 つまりそれが何千年、何万年の昔の話かは知らないが、少なくとも一度は不死なる鳥が卵とならねばならぬ事態があったって話になる。

 恐らく世界は、少なくとも一度は、竜の炎に焼かれているのだ。

 そして今、不死なる鳥が孵った事で、もしかするとこの世界は再び焼かれる準備が整いつつあるのかもしれない。


 そんな怖い事を、少し考えてしまう。

 まぁ僕だって、それは些か考え過ぎだと思ってるけれども。

 もし仮に、万一、僕が動いた為に世界が焼かれる用意が整いつつあるというのなら、僕は僕の全てを賭してそれを阻む。

 既にその時、僕が精霊になってしまっていたとしてもだ。



 ……話を元に戻すけれども、この世界でも国同士の関係が悪ければ、国境沿いに砦や軍の駐屯地が築かれて、国境線が明確になる事も時にはある。

 或いは街道を通っているなら、国境に検問が設けられ、不審者や禁制品の取り締まり、或いは関税の徴収が行われてる場合もあった。

 ギアティカとヴィレストリカ共和国の関係は、属国と宗主国という事もあって、今はとても良好なのだろう。

 検問は一応あったけれども、簡単な手続きで国境は越えられた。


 国境を越えてヴィレストリカ共和国の地を踏み、暫く進めば、風に潮の香りが混じり始める。

 それはとても微かで、僕も感覚を研ぎ澄ませてやっとかぎ分けられるくらいのものだけれど、海から吹く風の匂いだった。

 ヴィレストリカ共和国の港町の一つ、サウロテの町は、もう然程に遠くない。


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