二十二章 旅と、やっぱりいつもの気まぐれ

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 雛である不死なる鳥と、それから故郷の深い森に別れを告げて、僕はプルハ大樹海を歩く。

 だけど今、僕が目指しているのは、ルードリア王国にあるプルハ大樹海に面した辺境の町、ヴィストコートではなかった。

 色々と考えはしたのだけれど、僕の足は、今は南東を向いている。


 もし仮に、僕がルードリア王国に戻ったならば、行き先は自然と王都になるだろう。

 そしてきっと、また数年はそこに腰を下ろす。

 何故ならあそこは、ヨソギ流の道場は、僕にとって居心地が良すぎる場所だから。

 うっかり根が生えてしまいかねない。


 別にそれが悪いって訳じゃないのだ。

 あの場所には僕を家族だと言ってくれる人がいて、心安らぐ時間を過ごせるとわかってる。

 でも深い森で過ごして、それは三年という短い時間だったにも拘らず、僕は新しい刺激に飢えた。

 そう、今の僕が求めてるのは、根を下ろして安らぐ事ではなく、新しい何かを見たい、したいだったから。


 それならいっそ、プルハ大樹海を西に抜けた逆側に向かう事も考えた。

 プルハ大樹海の西側は、……以前にも述べた事があっただろうか、実はまだ大陸の西部と言う訳ではない。

 今いる大樹海は、この大陸のほぼ中央に存在していて、それを挟んだ両側の地域が大陸の中央部にあたるという。


 尤も同じ中央部という区切りであっても、プルハ大樹海に遮られた東と西の行き来は容易ではなく、陸路ならば険しい北の山地をぐるりと迂回して、或いは船で海路を行く必要がある。

 西中央部は、大陸の西部の思想や文化と、東中央部のそれが入り混じり、または争う、渾沌とした場所らしい。

 例えば人間こそが最も高い地位にあるとする西部の宗教と、全ての人は大地の子として平等であり、感謝をして日々を生きようとする豊穣の神を崇める東中央部の教会は、互いに少しでも多くの信徒を得ようと激しい勢力争いを繰り広げていた。

 国によっては西部の宗教を国教とし、それ以外の教えを取り締まっていたり、かと思えばその隣国では豊穣の神を崇める教会が勢力を誇っていたりと、狭い範囲で人の信じる教えが全く違う。

 更にそこに、国同士の力関係や思惑が絡めば、西中央部は実に複雑怪奇な物となる。


 だから西中央部に行けば、僕はきっと新しい何かを見られるだろう。

 しかしそれも、今の僕の望みとは少しかけ離れていた。

 確かに新しい何かを見たいとは思うが、それは人と人が争う姿では決してない。


 もちろん西中央部じゃなくても、東中央部にだって人と人の争いは転がってる。

 つい数年、七年か八年程前までは、大国ズィーデンを中心に東中央部でも大きな争いが起きていたのだし。

 その爪痕は、賊や魔物の増加という形で、未だに残っている筈だ。

 まぁ東中央部の争乱はその余韻も治まりつつあるから、賊や魔物への対処も進み、やがては落ち着きを取り戻す。


 故に新しい事を学ぼうとするなら、東中央部の方が落ち着いて学べるだろう。

 あぁ、そうなのだ。

 僕は新しい事を、具体的には石工や彫刻師といった、石像彫刻の技術を学びたいと思ってる。


 このままの方角、南東に進めば、プルハ大樹海を抜けた先はギアティカだ。

 ギアティカは、元はパウロギアという名前だった貧しい国で、今はヴィレストリカ共和国の属国となってる。

 そこから更に南東に行けば、そのヴィレストリカ共和国に辿り着く。


 そして進路を東に向ければ、今は小さくなったカーコイム公国を通り、ラドレニアが見えてくるだろう。

 豊穣神を崇める宗教、教会の総本山であるラドレニアを越え、以前にも訪れたドルボガルデの更に東には、シグレアがあった。

 シグレアは危険地帯である人喰いの大沼に接する、強い軍を持つ国で、良質の大理石を産出すると知られてる。

 そう、僕の目的は、そのシグレアで、腕の良い石工や彫刻師に弟子入りする事だ。


 石像彫刻の技術自体は、きっとルードリア王国でも、王都のウォーフィールでも辺境のヴィストコートでも、他の国でだって学べるとは思う。

 けれども良質な大理石の産出で知られる国ならば、腕の良い職人も多く居るに違いない。

 どうせ技術を学ぶなら、そんな腕の良い、そしてできれば面白かったり頑固だったり、僕と気が合う師に学びたいと、そう思ったから。

 僕はシグレアを目指す。


 シグレアはそれなりに遠い場所だけれども、それでも所詮は東中央部の国だ。

 大陸の東の果てに向かった旅に比べれば、ちょっと足を延ばす程度の感覚で目指せる。

 何ならヴィレストリカ共和国からドルボガルデまでは船を使えば、旅の期間は更に短縮できるだろう。


 当然ながらこの旅に、学びに時間を使えば、シズキやミズハとはもう二度と会えない。

 いやもう既に、会えなくなってる可能性も十分にあった。

 でも二人とは、既に最後の別れは済ませてる。

 いずれまたあの場所を訪れる、いや、帰る事にはなるだろうが、それでも今は心を残してはいないから。


 そうして僕は数週間、いや、一ヵ月程も歩いてプルハ大樹海を抜け、ギアティカの地を足で踏む。

 森の外の空気を吸うのは三年ぶりだけれど、たったそれだけの年月なのに、随分と久しぶりな気分がする。

 さぁ、以前に訪れた時と、この地はどれだけ変わったのだろう?

 きっとそれは、名前だけではない筈だ。

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