十八章 変わるもの、変わらぬもの 前

第179話


 北西へ。

 街道を歩き、時には街道を逸れて森へと入り、そのまま森を抜けて川を越えて、また街道と合流したら、その上を歩く。

 少し久しぶりの陸の旅。

 食べれる木の芽を齧ったり、花の蜜を舐めたり、もいだ果実を口にして、……あぁ、もちろん狩った獲物も捌いて焼いて食す。

 小川で狩った獲物を冷やして寝かして、食べ頃になるのを数日待つのも、急ぎの旅ではないからこそだ。

 この自由気儘に振る舞う楽しさは、船旅では得られなかった感覚だった。


 まぁ海には海で別の自由、解放感があったけれども、基本的には運んで貰うだけの身分だったし。

 自らの足で、進むも止まるも、その速度も、気分で決めて歩くというのは、何だかそれだけで少し楽しい。

 途中で見掛けた村に立ち寄って、狩った獲物と塩を交換して貰ったりもしながら、僕はのんびり旅をする。


 ドルボガルデの最大の港、ネルダニアの町から、小国家群の一国、トラヴォイア公国のジャンぺモンまでは、僕の足でおよそ一ヵ月と半分くらい。

 少々道草を食ってたりもするから、実際には二ヵ月程か。

 見えて来るのは、そう、一面の麦畑。

 今は黄金の穂麦が見れる一番良い季節を少し外しているけれど、それでも僕は、その麦畑に囲まれた石造りの町を懐かしく思う。


 ただ、……視界の端に、覚えのない建造物が引っ掛かる。

 それはジャンぺモンから西の、麦畑の向こう側。

 その場所にはなかった筈の、物々しい砦が見えたのだ。


 あぁ、あちらに向かえば、カーコイム公国があった。

 北半分をズィーデンに侵略され、残った南半分はヴィレストリカ共和国の属国となった、彼の国が。

 もしかしなくてもジャンぺモンから西に向かえば、丁度二つの勢力がぶつかり合う境界線に、ぶち当たる。


 つまりジャンぺモンは、戦場の間近にある豊かな食糧庫といえるだろう。

 戦いで両軍が食料に窮すれば狙われる可能性は……、皆無じゃない。

 またそこまでの事態にならずとも、戦場に怖気づいた脱走兵や傭兵が、賊となって略奪に来るのは確実だった。

 そりゃあ砦の一つや二つは、備えとして当然必要だ。


 僕にだって、理解はできる。

 ただそれでも僕は、実りの時期に見れるであろうあの光景に、物騒な影が映り込む事を、残念に思わずにはいられない。



 町に入る為の身分の証明で、僕は本当に久しぶりに上級鍛冶師の免状を使った。

 そこに記載された日付を見て少し驚いたのだけれど、……この免状を与えられたのは、もう六十年以上も前になる。

 森を出て旅を始めてから数えれば、七十年以上だ。

 いや、逆に言えば、あれだけ色々と旅をしてきて、まだその程度の月日しか経っていないのか。

 なんだか奇妙にも感じてしまう。


 門番、町の入り口を守る衛兵はその免状の古さに少し驚いたようだったけれど、エルフである僕に対する疑いはかけず、……いやむしろやけに丁寧に、門を開いて通してくれる。

 あんな砦ができるくらいだから、町への入場は手間取るだろうと思っていただけに、少しばかり拍子抜けだ。


 尤も都合が良い事には変わりないから、僕は少し様変わりしたジャンぺモンの町を、道を思い出しながら歩く。

 元々が古い町だから、通りは幾度も補修を受けて大事に使われてるから、特に変化は見られない。

 だけど家は古いままの物もあるけれど、建て直されて形が変わってたりして、記憶の中のそれとは微妙に異なる。

 そして一番大きな変化は、辿り着いた目的地である、ノンナの一家がやっていた宿屋だった。


 あぁ、いや、もちろん今はもうノンナはいないだろうし、その両親である女将さん達だって同様だ。

 でも宿屋に起きてた変化は、そういうどうしようもない話じゃなくて、外観がまるっきり変わってた。

 ノンナの宿屋と言えば、宿代が手頃で食事の美味しい、こじんまりとした宿屋だった筈なのだけれど、今、僕の目の前にあるのは、記憶よりも倍以上、いや三倍くらいに大きくて高級そうな宿。


 ちょっと戸惑うし、入っていいものか躊躇ってしまうが、……入らねばわざわざジャンぺモンに来た意味が薄くなってしまう。

 たとえノンナがもういなくても、僕にとってのこの町の思い出は、あの宿の居心地の良さ、食事の美味しさ、彼女を含む町の人々の暖かさだったから。

 変わってしまったというのなら、どうしてそうなったのか、その変化が喜ぶべき物なのか否かを、僕は知りたい。


 意を決して、足を踏み入れる。

 その途端飛んで来たのは、

「いらっしゃいませーっ! あっ、エルフの人だ! おかーさーん、エルフだー。エルフの人が来たよー!」

 とても無邪気な、高級そうな宿には似つかわしくなくてホッとする、少女の歓声だった。


 ニコニコと、笑みを浮かべながら母親を呼ぶのは、八歳くらいの少女。

 初めて出会った時のノンナよりも幾分小さな年頃だけれど、……少女は、まるで時が巻き戻ったのかと僕に勘違いをさせる程度には、彼女に似ていた。

 あぁ、間違いなく目の前の少女と、ノンナには血の繋がりがある。

 ……人間の生のサイクルを考えると、曾孫辺りになるのだろうか?

 だとすれば、少女が呼ぶ母とは、ノンナの孫か。


「こら、アイナ、お客様に失礼でしょう。すいません、ようこ……、お客様、失礼ですが、もしかして、エイサーさんですか?」

 少女に呼ばれて出て来た、この宿の女将であろう女性は、僕の顔を見て驚きに目を見開き、そして問う。

 僕が首を傾げて、それから頷けば、女将と思わしき女性は嬉しそうな笑顔を浮かべて、

「失礼しました。お婆ちゃんから聞いてた通りのお姿だったので、思わず……。エイサーさん、ようこそ。貴方がいらっしゃる日を、お待ちしておりました」

 そんな言葉を口にする。

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