第171話
バドモドに寄港して二日目の夜、船に一人の侵入者があった。
その侵入者の手際は見事で、幾ら港に入って油断してるとはいえ、大勢の船員がいる船に忍び込み、巧みに間をすり抜け、やり過ごして……、僕の部屋まで辿り着く。
実際、僕も条件次第では、気付けなかった可能性は決して低くはない。
それ程に見事に気配を消して、侵入者は夜の闇に溶け込んでる。
但し、港に入っていても、または船内であっても、ここは海の上で、強い力を持った水の精霊の領域だ。
海に宿る水の精霊は、侵入者が侵入したその瞬間には、騒いで波で船を揺らし、僕に警告を発してくれたから。
だから僕は、侵入者が扉を音もなく少しだけ開いて中を窺い、その隙間から暗い室内に滑り込んだ瞬間に、
「止まって。それ以上動いたら敵対と見做すよ。……たとえ君という個体の死が、君達にとって大した意味はなくても、一度でも敵対したらこの島の君達は全てが僕の敵だ」
ベッドから起き上がって、隠し持ってた魔剣を鞘から抜かずに構えた。
僕は鞘付きの剣でも並の相手は簡単に殴り倒せるし、何よりもこのままの方が、目の前の侵入者にとっては効果が高いと判断したのだ。
そして僕が考えた通りに、相手は実に嫌そうに構えた剣から少しでも遠ざかろうと、ジリジリと小さく後ずさる。
暗闇で視界は利かないが、僕は、それから恐らく侵入者も、それでも相手の動きを察せるくらいの感覚は持っていた。
まぁ本当なら、後ずさりも動いたうちに入るのだけれど、嫌がると分かって剣を、鞘を向けたのは僕だし、その位は見逃しておく。
しかし妖精が、妖精銀を嫌うという話は本当だったのか。
そう、今、僕の前に現れた侵入者は、紛れもなく妖精だ。
けれどもその姿は手のひら大の小さな羽の生えた小人……、ではなく、黒い布切れをすっぽりと頭から被り、白い素焼きの仮面を身に付けた、人間の少女だった。
年頃は、十二か十三といった所か。
要するに妖精に取り込まれた、島の人間の子供だろう。
……その事に関して思う所がない訳じゃないけれど、先にも判断した通り、それは僕が口を出す筋合いの話じゃない。
「ウ、ウゥ……、古き人トの、敵対の意思はなイ。どうかソレを、こちラに向けナいで欲しい」
絞り出す様な声。
そこに込められた感情は、紛れもなく屈服だ。
故に僕は頷いて、向けた剣を、一先ず下ろす。
もちろん敵意を削いだとしても、妖精は俄かに信用できる相手じゃない。
だけどこのまま剣を、妖精銀を仕込んだ鞘を向けていても、話は進まないだろうから。
「古き人ノ寛容に感謝ヲ。……我々はシー。されド大陸ノ同胞とは切り離さレ、この島にコロニーを築ク者。今日は古キ人に願いがアっテ、参りマシタ」
所々、つっかえ、引き攣るようになりながらも、口上を述べる、妖精に取り込まれた子供。妖精の端末。
彼女の言葉が不自由に聞こえるのは、他の妖精達と意識で繋がっている為、恐らく普段は声を発する必要がないからだろう。
つまり声を出し慣れていない為である。
だから僕はつっかえがちな言葉にも、努めて感情を動かさずに、彼女に話の続きを促す。
まずは冷静な判断が、必要だ。
目の前の彼女を妖精に組み込まれた犠牲者だと哀れんでも、彼女もまた妖精の一員だと憤ってみても、言葉を発する機能が劣化する環境に思いを馳せてみても、抱く感情はどれも判断を鈍らせそうだから。
「どうカ、我々に、アナタ様がオ持ちの、生命の実ヲ、お分ケ下サい。今、他の群レとの交わリのナイ我々は、少シずつ数ヲ減らシていまス」
そういって彼女は、頭を下げて見せる。
けれども僕は、やはり感情を動かさずに、話の続きを待つ。
だって妖精にとって一つの端末でしかない彼女が頭を下げる事が、彼らにとってどんな意味を持つのか、妖精ならぬ僕には理解できないから。
ただ、まぁ、彼らの抱える問題に関しては、何となく察しがついた。
そして彼らが欲しているのは、僕が黄古帝国の黄古州で、つまりはエルフの聖域で、これでもかと収穫してきた仙桃だろう。
要するにアプアの実と同じ、霊木に生る果実の事だ。
恐らくは扶桑樹の実も、同じカテゴリーになるのだろうけれど、……アレはちょっと大き過ぎて、流石に持ち帰れなかったから。
「生命の実ヲ食せバ、数を増ヤす力の弱まッタ我々も、再ビ数を増やセます。この時、古き人ガ、この島ヲ訪れたのハ、運命、デス。どうぞ、我々ヲ、オ救い下サい」
何度も、何度も頭を下げる彼女。
人間の姿でそんな風に振る舞われると、……ちょっと絆されそうになってしまう。
僕はなんだかんだと言っても、やっぱり人間が好きだから。
あぁ、しかし成る程。
恐らくこの島、バドモドの妖精が抱えた問題は、血の濃さだ。
僕は種族としてではなく、個の妖精の寿命の長さを、正しくは知らない。
でも多分、かなり短い時間で世代交代が行われる種族なんじゃないだろうか。
……そう、それこそ人間よりも短い時間で。
だとすれば、個ではなく、種族としての不滅を求めたという事にも頷ける。
また群れの外から新しい血が入らなければ、血が濃くなり過ぎる早さも、世代交代が早い分だけ、やはり早い筈。
血が濃くなる事に関しての弊害は、僕はあまり詳しくはない。
だけど先程の話だと、この島の妖精達は繁殖能力に問題が出始めているのだろう。
そこに丁度良く、生命の実の一種である仙桃を持った僕が訪れた。
生命力の塊と言っても過言ではない仙桃、霊木に生る果実なら、衰えた繁殖能力を賦活させる事もできる。
そりゃあこの島の妖精達からすれば、群れの危機を解決する為の千載一遇の好機だ。
まぁ実際には妖精達に外との交流手段がない以上、仙桃で繁殖能力を取り戻したとしても、時間が経てば同じ問題は再び起こってしまうが。
それでも大きく時間の猶予が得られれば、他の解決策を模索する余地も生まれる筈。
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