第170話


 西進する船が左に進行方向を変えれば、南へ進む。

 何を当たり前の話をしてるんだと思われるかもしれないが、この場合の南に進むとは、もっと具体的に言えば大陸から離れるって意味だった。


 既に少し述べたと思うが、この世界で航海をする場合、船を襲うような大型の魔物の縄張りでない場所を選んで通る。

 そうせねば船が大型の魔物に沈められ、船員も積み荷も海の藻屑となるからだ。

 仮に小舟等を使って沈む船から脱出しても、小舟程度では大型ではない魔物にだって襲われてしまう。

 つまり海の上で船が沈んだ場合、僕のような例外を除けば助かる術は基本的には存在しない。

 運が物凄く良ければ、無事に陸まで流れ着く事も、ひょっとしたらあるかもしれないけれども。


 だからこそ大型の魔物の縄張りという情報は船乗り達に重視され、共有されたり、厳しく管理をされていた。

 一般の船乗り達は港に着く度に近海の魔物の情報収集を怠らないし、国が所有する海軍は得た情報が他国に漏れないように管理するのだ。


 また当然の話になるが、魔物の縄張りの情報は大陸に近い海域の方が、詳細に揃っているだろう。

 逆に言えば大陸から遠ざかる進路は、その先が未知である場合が多く、危険も多い為、多くの船乗りには嫌われる。

 尤もこれには例外もあって、扶桑の国のように近くの海に人魚が住み、陸の人々に協力してくれる場所であれば、大陸から遠く離れた場所であっても情報は揃い、比較的安全に航海が可能だ。

 特に別の大陸との交易に関しては、人魚の助力なしには絶対に成り立たない。


 まぁさておき、そんな事情もあって南に逃げたこの船の追跡を、軍船はすぐに諦める。

 しかしだからといって、この船も今更元の航路には戻れない。

 そんな事をすれば、今度こそ軍船に捕捉されて捕まってしまうだろうから。


 そしてこの船の長であるスインの手元にある情報で、この付近を南に向かって安全に通れる航路は唯一つ。

 本来なら立ち寄る予定になかった、バドモドという島に寄港するルートのみだった。


 バドモドに住む人間は四千人程で、僕にはそれが多いのか少ないのかは判別が付かないが、……けれども島の支配者はどうやら人間ではないという。

 入港前にスインに忠告されたのだが、どうやらバドモドを実質的に支配するのは、驚いた事に妖精らしい。

 そう、あの大草原にも生息していた、性質の悪い種族だ。


 だがバドモドに住む人々は島の中央部に巣食う妖精をまるで神のように扱い、海で獲れた魚や収穫した果物を捧げ、宥めながら暮らしている。

 妖精は時に人の子を攫い、自らの集合意識に組み込むけれど、島の人間はそれすら祝福と称して尊んでいた。

 ……僕からすると正気の沙汰ではないのだけれど、それが彼らの信仰だというのなら、外から口を挟む筋合いでは、ないだろう。


 より詳しく話を聞けば、バドモドの人達は妖精達が生成した蜜を下賜され、嗜好品としているそうだ。

 島の人間にしか口にする事は許されない蜜で、舐めれば多幸感が得られるらしい。

 随分と昔に好奇心に負けた船員が盗み出して口にし、島の人間に処刑されたそうだけれど、首を刎ねられて死ぬ瞬間まで、その船員は幸せそうな笑みを絶やさなかったという。

 またこっそりと仲間の船員が、処刑される前の彼を助けに行ったらしいが、蜜がない島の外に出るのは嫌だと、処刑されると分かっても逃げ出さなかったのだとか。

 多幸感に依存性……、どう考えても、真っ当な代物ではなかった。


 つまりは、まぁ、バドモドとはそういう島だ。

 ここの妖精は居所がハッキリと知れてるから、多分駆除も不可能じゃない。

 けれどもこの島の人間は、それを望みはしないだろう。

 それに僕が口を挟む筋合いではなく、出る幕でもなかった。


 なので僕は不要なトラブルを避ける為、バドモドに寄港する間も、船から下りずに過ごす事にする。

 妖精の感覚は人間よりも鋭いから、僕という脅威が彼らの縄張りに踏み込めば、過剰な反応を引き起こす可能性があるから。

 船長であるスインは航海士を連れて付近の海の情報を仕入れに行ったし、交易担当である主計長は急な寄港で狂った交易計画の練り直しに忙しそうだ。

 港というのは外から富を招き入れる設備で、その整備と維持には少なからぬ労力を必要とするから、一度寄港した以上、何も売らず、仕入れずに出て行くという訳にはいかないらしい。

 これから先の航路を考え、バドモドで売る物を選別し、また空いた倉庫に仕入れる品と量を決める。

 当然ながら仕入れる物は、この先に寄る港で売れる、需要のある品でなければならない。


 入念に準備していた交易計画の建て直しは、そう簡単な仕事ではないだろう。

 故に恐らく、この船はバドモドに、二日か三日は留まる事になる筈だ。


 僕は甲板で、船員に借りた釣竿から糸を海に垂らしながら、ぼんやりと空を見上げる。

 日差しは強くて、空もやけに青かった。

 船に乗って訪れた南の島なのだから当たり前だが、大陸との違いは数多い。

 吹く風や、海に宿る精霊も、何だか少し陽気である。


 そういえばバッタ等の空を飛べる虫の類は、風に乗って海を越える事があると、……どこでだったか聞いた事があった。

 この島の妖精も、そうやって大陸から海を越えて来たのだろうか。

 だとすると少し、不思議に思う事が幾つかあって、首を傾げてしまう。


 だって妖精は、個を捨てて集合意識を形成し、不滅を成し遂げんとした種族だ。

 だけど幾ら妖精でも、その相互にリンクする能力が、無限に届くという事は考え難い。

 故にこれは、僕の勝手な想像になるけれど、妖精達は普段は群れごとの集合意識に所属していて、必要に応じて他の群れと接触し、互いのバックアップを行う。

 そうする事で種族としての不滅性を保ってるんじゃないだろうか。


 しかし僕の想像が正しいとするなら、バドモドの妖精は、その種族としての不滅性の外側に置かれている。

 当たり前の話だが、大陸と海を隔てたこの島は、互いの行き来はそう容易い事じゃない。

 たとえ妖精が空を飛べても、身体の軽い彼らが、風に乗ってこの島に辿り着けるかどうかは、完全な賭けになるだろう。

 そんなリスクを冒さねばならぬ場所に住んでいる理由は何なのか。

 僕は恐らく、この島の妖精達は、敢えてバックアップを受けられぬ場所に住んで……、否、もっとはっきり言ってしまえば、追放されたのだと思う。


 理由はもちろん、僕には分からない。

 妖精という種族から切り捨てられる行為を彼らが行ったのか。

 それとも妖精という種族が受け入れられぬ思想に染まったのか。

 はたまた、妖精という種族にとって害ある病にでも罹ったのか。


 いずれにしても大陸に暮らせなくなった妖精の群れが、決死の覚悟で海に飛び出し、この島に辿り着いたのだとすれば、それは彼らが勝ち取った幸運だ。

 その結果として、人間と妖精が穏やかに共生してるなら、それはそれで面白くも思う。

 用いる手段が、僕の倫理観にそぐわぬ物であっても。


 物思いに耽っていると、グンッと強い手応えと共に、握る釣竿が大きくしなる。

 ……この引きの強さは、きっと結構な大物だ。

 僕は慌てず騒がず、無理に竿を立てる事もせず、魚の動きに合わせて操作しながら、相手が疲れるのをゆっくりと待つ。

 さて、日差しも空も、吹く風だって違うこの南の島では、一体どんな魚が釣れるのだろうか。

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