十七章 青い帰路

第168話


 一度は歩いた道を引き返す。

 けれども今度は、誰にも見つからないようにこっそりと。


 この国の象徴である扶桑樹が、僕を持ち上げる為に動いた姿は、その巨大さ故にある程度離れていてもハッキリと見えたのだろう。

 前線基地である城塞都市、鎮守は見るからに大騒ぎになっていて、……となればその騒ぎは央都にも伝わる筈だ。

 仮に僕の為に扶桑樹が動いたと知られれば、或いはその騒ぎはもっと大きくなるかもしれない。

 僕としてはこれ以上は扶桑の国に関与しないと決めたのだから、見付かる訳にはいかなかった。


 ゴン爺やミズヨなら、その騒ぎを起こしたのが僕だと、すぐに理解するかもしれないけれども。

 まぁあの二人なら、きっとそれを理解した上で笑い飛ばしてくれるだろう。


 僕は一月ほど掛けて海陽の港まで戻り、そこから大陸行きの船へと乗り込んだ。

 しかし大陸といっても、扶桑の国が取引をするのは黄古帝国のみである為、この船は青海州までしか運んではくれない。

 そこから先は、また別の船に乗り換えて、大陸の中央部を目指す必要があった。


 大陸の中央部は遠いから、恐らくこのような乗り換えは何度かする事になるだろう。

 実は青海州からでも、直接大陸の中央部に向かう船もあるらしいけれど、乗り込むのは難しい。

 何故ならそういった船は、国が差配する船団に属する大型の船だ。

 どこの誰とも知れぬ旅人が金を出したからといって簡単に乗れる筈もないし、そもそもそう頻繁に出る物じゃない。


 僕が頼めば黄古帝国の仙人達は、その為だけに船を集めて船団を組んでくれかねないが、……そこまでして貰うのは気が引ける。

 まぁ多少の里心はついてるけれど、急ぐ旅ではないのだし、のんびりと船を乗り継いででも、帰れさえすればそれでいいから。

 折角の船旅を楽しもう。



 改めて、乗り込んだ船を見回せば、扶桑にくる時の船とは幾分雰囲気が変わってる。

 そう、扶桑の国にくる時の船には、船員以外にも傭兵らしき男達が幾人かいたが、逆に青海州へと向かう船には、船員以外は僕しか乗っていなかった。

 やはり扶桑の国は、そういう場所だったんだなぁと、思う。


 船員達も、船長ですらも、扶桑の国から青海州へと戻る余所者が、それもエルフ、もとい森人だからと尚更に珍しいのか、色々と話を聞きにくる。

「あちこちを旅してまわっててね。扶桑の国には、扶桑樹を見に来たんだよ。あれは凄いね。これまでに見たどの大樹よりも、比較にならないくらい大きかった」

 でも僕がそんな風に言えば、彼らは概ね納得してくれて、特に扶桑の国の民だと思わしき船員達は、皆が一様に嬉しそうに、それから誇らしげに笑った。

 扶桑の国は、決して安全な国とは言い難いが、その地の民である彼らは己の国に、象徴である扶桑樹にも、深い愛着と誇りを抱いているのだろう。

 あぁ、その気持ちは、あの国を旅して、幾つかの良い出会いを果たした僕にも、少しばかり共感できる。

 刻一刻と離れていく扶桑の国は、僕の好きな国の、一つだった。


 そしてそんな風に、船員や船長と交流したのが良かったのだろうか。

 青海州から西へと向かう船は、彼らが伝手を使って探してくれる事となる。


 一口に船といっても、その質は様々だ。

 馬車と同じく人を運ぶ道具ではあるが、馬車とは違って何かあったからといって途中で下りる訳にもいかない。

 ……いや、まぁ、僕は海の上で船から下りても徒歩で陸まで戻るくらいはできるけれども、普通はどうにもならないだろう。


 故に海の上で船長、船員の立場は強い。

 時には海の上で、船長や船員がその立場を笠に、乗客に無体を強いる事だって皆無ではなかった。

 しかし同業者の視点から見れば、或いは彼らの間に流れる噂で、そうした性質の悪い船は判別が付くそうだ。

 また同業者から紹介された客ともなれば、やはり彼らの間に流れる評判を気にしてか、決して悪くない扱いをしてくれる筈だとも。


 実にありがたい話であった。

 急ぐ旅ではないとはいえ、不愉快そうなトラブルを、敢えて楽しみたいとは思わない。

 僕は扶桑の国から世話になった船長達の厚意に甘え、青海州で二泊してから、紹介して貰った船へと乗り込む。

 その二日間で、黄古帝国の仙人達に、扶桑の国で見聞きした事を纏めた、手紙を出して。


 新たに乗り換えた船は、黄古帝国の南、赤山州をぐるりと迂回して西へと進み、南海の島々を幾つか経由してから、大草原の南にある海沿いの国でも一際大きな、ミンタールという国を目指すらしい。

 現地で荷を下ろした後は、買い付けた荷を運んで青海州へと戻るというから、僕はまた別の船を探す必要があるだろう。

 その時までに今の船の船長や、船員達との交流を深め、次も西に向かう別の、良さげな船を紹介して貰えれば最良といったところか。


 海を行く船が受ける風は心地良く、僕は両手を広げてそれを浴びる。

 ただ僕は、黄古帝国と扶桑の国の行き来が安全だった事や、船を紹介して貰った幸運に、ついうっかりと失念していた。

 実は海の上で起こるトラブルというのは、何もその船や乗員の質だけが問題になるのではなかったのだ。


 この世界では、海にも魔物が多く生息する。

 海の魔物も陸の魔物と変わらず、力が強くて知能が高く、そして好戦的だった。

 だが川を行く船に比べると、海を行く船は圧倒的にサイズが大きい。

 魔物も含む自然の世界において、大きさとは即ち強さである事が殆どだ。

 故に海を行く船くらいに大きな存在に対して、敢えて挑もうという魔物は然程にいない。


 もちろん皆無ではないのだが、船を襲う程に強くて巨大な魔物は、自らの好む環境、定めた縄張りを出る事が滅多になく、船乗り達は幾多の犠牲の上に巨大な魔物の縄張りを把握し、安全な海路を知っていた。

 そう、だからこの、僕から見ればどこまでも続く一面の海にも、何かしらの区切りがあって、道もあるのだろう。

 けれども強い魔物を避ける為に海路が限られるというならば、魔物に非ず、されど人を襲う存在、つまり賊の類は、その限られた海路で待ち伏せる。


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