十五章 遠き地の大帝国 後

第140話


 河川沿いに北へ、より正確には北東に向かう。

 白河州で最も早い移動手段は船を使う事だが、サイアーの存在を考えると陸路の方が都合がいい。

 馬を乗せてくれる船は意外と少ないし、船の上だとサイアーは何日も動けないままだ。

 しかも水運が発展してる分、白河州には河賊も多いそうだから、僕とは離れた場所にサイアーが荷として積まれると、万が一って事もある。


 陸路を旅するにあたって、河川の多さは障害だろう。

 川を迂回する為に遠回りをしたり、渡る為には橋が必要だ。

 けれどもそれは、普通の旅人の話であった。


 おっかなびっくりのサイアーを撫でて宥めながら、僕らは川の上を歩いて渡る。

 そう、水の精霊の助力を得れば、流れる水の上でも地上と同じように歩けてしまう。

 故に僕らの旅路には、河川の多さは障害にならない。

 ジゾウは少し呆れ顔だけれど、何も言わずについて来た。

 でもやはり、水の上を歩くのは剛胆な彼であっても戸惑うのか、一歩一歩が慎重だ。


 川を越えてショートカットし、僕らは最短のルートで黒雪州を目指す。

 旅をするには良い時期というか、実はギリギリの季節だった。

 何故ならもうすぐ、白河州は雨期に入ってしまう。

 雨季の白河州はどの河川も水量が大幅に増し、非常に荒れる。

 そうなるとこんな風に川の上を歩いて渡る事は難しい。


 風の精霊に尋ねてみれば、雨季の訪れは半月後。

 それまでにはまぁ、なんとか白河州を抜けるだろう。



 ……さて、白河州を抜ければ辿り着くのは黒雪州だが、そこは過酷な土地である。

 北部に活火山帯が存在し、火山灰を撒き散らす。

 それ故に、時に火山灰の混じった黒い雨風が、季節によっては黒い雪が降る事から、黒雪州と呼ばれていた。


 火山灰が降り積もった大地は、不毛とはいわずとも、地の恵みを育てるには適さない。

 それどころか水を得る事すら困難で、飢えと渇きに強い地人以外はとても住み難い場所だ。


 尤も幾ら地人が飢えや渇きに強くとも、この土地から富を生むのは難しく、彼らは黄古帝国の全土に出稼ぎに出掛ける。

 力が強く、身体が強く、過酷な環境で育って精神まで鍛えられている地人は、単純な労働力としても、戦力としても重宝される存在らしい。

 ジゾウが白河州で酒場の用心棒をやっていたのも、その出稼ぎの一環だった。


 黒雪州に踏み込むにあたって最も気遣わねばならぬ事は、サイアーの餌であろう。

 水害に見舞われる事はあっても、白河州は基本的に豊かな場所だ。

 だからサイアーは気楽に道草を食い、村や町で仕入れた食料を分け与えて、飢えさせず、渇きもせずにここまでこれた。

 しかし黒雪州に入ってしまえば、草がそこら中に生えてるという環境じゃなくなるし、食料の補充だって難しくなる。


 でもここまで共に旅をしてきたサイアーを、そう簡単には手放したくはない。

 手放すにしても、譲る相手は厳選したい。

 なので白河州の最北の町、白眼で日持ちのする野菜類を思い切り買い込み、サイアーの背に積む。

 もうここからは、僕が乗ってる余裕なんてないのだ。

 水は、少量でもあれば水の精霊に頼み、量を増やす事くらいはできる。

 だけど食べ物ばかりはそうもいかないから、最も重要で量の多い荷はサイアーの食糧だった。


 もちろん黒雪州にも地人達の住む町はあって、そこに辿り着きさえすれば、価格はさておき食料だって買えるだろう。

 南の赤山州の山地だって、馬の足には辛かっただろうから、多分どっちもどっちである。

 旅路の辛さを、嘆いていてもしょうがない。


 僕らは万全と思われる準備を済ませて、灰の積もる大地、黒雪州へと足を踏み入れる。

 不思議な事に、白河州と黒雪州の境界はハッキリとしていた。

 それは境界上に関所があるとかそういう意味ではなくて、踏む地の色が、漂う空気が、ある線を越えると明確に変わったから。

 当たり前の話だが、こんな事は通常では、ありえない。

 何らかの要因がない限り、環境の変化はなだらかに起こって然るべきだろう。


 降り積もる灰は徐々に濃く、厚くなるのが普通だろうに、まるで線引きをされたかのように白河州には灰は積もらず、黒雪州は濃い灰に覆われていた。

 そして何よりも奇妙なのは、同行するジゾウがそれをさも当たり前のように思っていた事である。

 彼は僕の疑問に、意味が分からないといった風に首を傾げたのだ。

 恐らくはジゾウだけでなく、黄古帝国の誰もがそれを当たり前に思っているのだろう。

 こんなにも露骨な異常であるにも拘わらず。


 僕はそこに、何者かの意思を感じずにはいられない。

 白河州では二股の尾を持つ白い霊猫が信仰されていたように、黒雪州では黒い甲羅の霊亀が信仰されるという。

 その信仰の違いが、この環境の変化と、何か関係するのだろうか。

 尤も、この国に長居をする訳でもない僕がそれを追及したところで、答えが出るとも思えないが。


 少なくとも、精霊は僕に何の警告も発さなかった。

 あぁ、いや、細かな灰を吸い込む事はあまり身体に良くないが、それに関しては僕もサイアーも、風の精霊が対処してくれる。

 この地の出身であるジゾウは、別に不要らしい。


 まぁ精霊が警告を発しないのなら、この地に眠る秘密が何であれ、僕の旅には影響を及ぼさないだろう。

 僕は荷を背負ったサイアーの手綱を引いて、灰の大地を踏みしめ歩く。


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