第131話


 ジュヤルがダーリア族に戻ってから、二年が経つ。

 つまりは、そう、僕がバルム族と行動を共にする心算だった、五年の時間が終わった事になる。


 未熟だった戦士達は己を鍛えて立派な戦士に成長し、子供は一人前になって、未熟ながらも戦士になった。

 ツェレンも十五歳になって、一人前とされる年齢に達してる。

 彼女は僕から見ればまだ少女だけれど、でも随分と綺麗になって、バルム族の若者達がこぞって婚約を望んでるらしい。


 後は、そう、風の精霊から助力を得る術、精霊術の実力も、大体僕の想定通りに。

 要するに風の精霊に限定されるが、七つ星の冒険者であるアイレナに近い実力で、剣もヨソギ流をそれなりに振れるのだ。

 ……うん、たった五年で随分と強くなったなぁと、少し感慨深い。

 ツェレンに求婚するバルム族の若者達も、実に大変である。

 ちなみに僕が見る限り、ツェレンに釣り合う実力者は、バルム族の中にはいない。


 僕は結局、彼女が一体何を考え、望んでいたのか、分からないままだった。

 でも今のツェレンは、何故だかとても自由に見える。

 風の精霊に好かれるに相応しく。

 あぁ、いや、彼女はもしかしたら、最初から自由だったのかもしれない。

 自身の望みを、ツェレンだけが理解して、ずっとそこを目指して歩いてた。

 単にその道中が険しく、不自由に見えただけで、彼女自身は何も縛られていなかったのか。


 バルム族は、この先もツェレンに率いられていくだろう。

 もちろんそれを、彼女が望むならの話だが。 


 そういえばこの二年、ジュヤルが戻ったダーリア族と、バルム族の間に争いは起きていない。

 むしろ近頃、絶えていた交流が再開した。

 どうやらダーリア族は、ジュヤルが掌握しつつあるらしい。


 彼がこの二年、どんな風に過ごし、何を目指したのかは分からないけれど、間違いなく頑張ったのだろう。

 強引な手段も用いただろうし、障害を力で捩じ伏せもした筈だ。

 僕がその頑張りの内容を知る機会はないだろうし、褒めてやる事もできないけれど。

 ダーリア族、いや、草原の民は強さを重んじる。

 今のジュヤルは、間違いなく強いから、大丈夫。


 彼は力がなければ物事は成せぬと学び、力を振りかざすだけではより強い力に潰される事も学び、力は使い方が大事なのだとも、学んだ。

 他者の気持ちを慮る心も、自分を慕う者がいる事も、安易な道を選ばぬ強さも。

 多くを学んだジュヤルは、きっと良い長になるだろう。


 最後にシュロは、まだ子供ながらに、戦士達に一目を置かれる実力を示し始めた。

 弓はまだまだといったところだけれど、剣は僕と決闘した時のジュヤルよりもずっと鋭い。

 後はもう、何も教えなくても、バルム族の戦士達と打ち合いながら、自分なりに磨いていく筈だ。


 つまりは僕の、この地での役割は、もう完全に終わったと言っても良い。

 先を心配する気持ちはあるけれど、きっと僕の教え子たちは皆優秀だから。



「行って、しまわれるのですね」

 夕食が終わり、明日の旅立ちの為に荷造りをしていた僕に、ツェレンが後ろから声を掛けてきた。

 僕は振り向かず、荷造りを続けながら、頷く。


「そうだね。風の精霊の頼みは果たしたし、シュロとの約束も、もう果たせただろうしね」

 元より目的のある旅の途中だったのだ。

 頼まれ事さえ終えれば、旅に戻るのが筋である。

 この五年で草原での生き方や、獲物の狩り方も分かったし、真っ直ぐ東に草原を抜ける事もできるだろう。


 この草原にも兎や鹿といった草食動物や、それを狩る狼、コヨーテ等の肉食動物が生息してた。

 そしてそれらが元になった魔物も。


「先生への御恩を、私達はまだ何も返せていません」

 ツェレンの手が、荷造りを続ける僕の背に触れる。

 彼女が僕の事を、風の使いではなく先生と呼び始めたのは、何時からだっただろうか。

 割と最初からだったような気もするし、老人衆の死の後だったようにも思う。


「恩……、ね。別に良いよ。僕を師とか、先生って呼ぶ相手に、恩とか言う心算はないし。弟子を助けるのは師の務めだよ。少なくとも、僕の師匠はそうしてくれた」

 僕は振り向かず、荷造りをする手も止めない。

 背に置かれたツェレンの手は、熱かった。


 それにこのバルム族と過ごした時間で、僕が得た物も決して少なくはないのだ。

 先程の草原の知識もそうだし、何より馬に乗る術を得てる。

 鍛えた剣と引き換えに馬も一頭譲り受けたから、この先の旅はずっと楽になるだろう。

 また何よりも、剣を弟子に教えたという経験こそが、この五年で得た最も貴重な物である。


 最初は見ず知らずの人間同士の争いに首を突っ込むなんて、厄介事だと思う気持ちが強かった。

 けれども過ごした日々は思うよりもずっと楽しかったし、今となっては彼らとの出会いに、そう、感謝すらしているのだから。


「……またお会い、できますか?」

 その問い掛けに、僕は一瞬、答えに詰まった。

 頷くのは簡単だ。

 ツェレンもそれを望んでる。

 けれども、だからこそ、安易にそう答えちゃいけない。


「いや、ツェレンにもシュロにも、ジュヤルにだって、教えられる事はまだ残ってるとしても、教えるべき事はもう残ってない」

 僕は首を横に振る。

 恐らく僕は、一度抜けてしまえば、もうこの草原を訪れない。


「皆はもう立派に育ったからね。僕の役割は終わったよ。雛鳥は皆、巣立ちの時だ」

 荷造りが終わった背負い袋を、僕はポンポンと叩いて笑う。

 そっとツェレンの手が、僕の背中から離れた。

 それでも背に、その熱は残ってる。


 僕をこの地に繋ぎ止めたかったのか。

 それとも言葉通りに本当に恩返しがしたかったのか。

 彼女の気持ちはさっぱり分からないけれど。


「だけど本当に困ったら、草原を捨てざるを得ないような事があったなら、中央部のルードリア王国の、王都であるウォーフィールに、ヨソギ流の道場がある」

 でも本当にツェレンが、シュロが、ジュヤルが困る時があったなら、助けを求めてくれれば、助けようとも。

 雛鳥が巣立った後も、僕が彼らの師であった事に、何ら変わりはない。


「僕の名前を出して剣を振って見せれば、彼らはきっと力になってくれる。それに巡り合わせが良ければ、僕もいるかもしれないしね」

 旅の目的、ヨソギ流の源流の地を訪れた後は、僕も中央部に戻る予定だから。

 恐らく、これが永遠の別れではあるのだろうけれど、僕は気休めの言葉を口にしてしまう。

 それにツェレンからの返事はなくて、僕がバルム族と過ごす最後の夜は更ける。


 旅立ちの朝、シュロは我慢し切れずに泣き、ツェレンの様子は何時もと何も変わらない。

 僕は馬の背に揺られて、再び東への旅を再開した。

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