第81話
ラーヴァフロッグの肉は、もも肉を切り取って焼いて食べたけれど、思った以上に美味だった。
鳥肉に近いクセの少ない味なのに、けれどもしっかりと美味い肉。
尤もわざわざあの厄介なラーヴァフロッグを狩ってまで食べたいかと言えば、ちょっと苦労に見合うかどうかは怪しいけれども。
しかしそんな事はさて置き、僕はラーヴァフロッグを狩って皮膚を手に入れ、ドワーフの国に持ち帰る。
アズヴァルドは安堵と呆れ、喜びの入り混じった複雑な表情で、
「お前さんなら大丈夫だとは思っていたが、こんなに早く帰って来るとはな。ソレはドワーフの戦士が数人でどうにか倒せる位の難物なんじゃが……。しかし、あぁ、だからこそ今回は助かった。礼を言う」
僕に感謝の言葉を告げてくれた。
うん、まぁ確かにあのラーヴァフロッグは意表を突いて来る厄介な魔物だったけれども、我が鍛冶の師から感謝の言葉が聞けるなら、あの苦労も悪くはない。
そしてそれから数週間後、最後の素材であるラーヴァフロッグの皮膚を使って、待望の炉は完成する。
「じゃあ始めるとするかの」
そう言ってアズヴァルドは、新しく出来上がった炉に火を入れる。
その間に僕は、以前の炉に宿る火の精霊に、お願いして引っ越しを受け入れて貰う。
新しい炉にも、使い続ければすぐに別の火の精霊は宿るけれども、既に出来上がってる関係を無駄にするのは余りに惜しい。
炉と鍛冶師には相性があると言われるが、実はそれは鍛冶師と、炉に宿る火の精霊の相性だ。
アズヴァルドはたとえ精霊が目に見えず、感じられずとも、炉の中で燃える火に機嫌がある事を知っていて、常にそれに誠意を以て向き合って来た。
故に二十年以上も大事に使われた炉に宿る火の精霊は、アズヴァルドに強い好意を持っていて、彼との相性がとても良い。
それを新しい炉の完成でふいにしてしまうのは、勿体なさ過ぎるし、寂し過ぎる。
でも今、この場所には精霊を見る事が出来る僕が居るから、その言葉に火の精霊は素直に頷き、燃える木炭の一つに宿って、それをアズヴァルドが新しい炉へと運ぶ。
それから火の精霊が新しい炉に馴染める様に、轟々と炉の中で火を燃やし続けて、……恐らくは三日もすれば完全に引っ越しは終わるだろう。
その間は勿論、僕とアズヴァルドが交代でずっと炉の番だ。
最初は木炭を燃やしていたが、だけど途中からは燃やす燃料が変わる。
アズヴァルド曰くドワーフ秘伝の燃料らしいが、……僕には石の様にも見えるから、もしかするとコークスだろうか?
もしかすると僕の良く知らないこの世界にしか存在しない、高温で燃焼する燃料かも知れないが、まぁ別にどちらでも良いだろう。
そんな事は、今の鍛冶場の熱さに比べれば非常に些細な事だった。
熱い。
暑いじゃなくて、熱い。
もう随分と長く鍛冶師をしてるから、鍛冶場の熱さには慣れた心算だったけれども、今の熱さは僕の限界を超えている。
炉に問題は発生しなくて、火の精霊も上機嫌だ。
クソドワーフ師匠が平然とした顔で、大きなふいごを動かして、炉に酸素を送り込む。
いやだから既にもう本当に熱いんだけれど、あぁ、久しぶりに、心の底からアズヴァルドの事をこのクソドワーフって思ってた。
熱に強い種族とか、ずる過ぎやしないだろうか。
……しかもこの上、更に僕が火の精霊に力を振り絞る様にお願いして、炉の温度を上げるのだ。
ちょっとこれは、無策だと普通に死にかねない。
僕はアズヴァルドに一言告げて鍛冶場を出、頭から水を被って体を冷やし、その上で風の精霊に助力を乞う。
どうか僕の周囲を巡って欲しい。
炉から吹き寄せる熱を逸らして欲しいと。
少しでも体感温度を下げてくれれば、後は何とか耐えるから。
そうして新しい炉に火の精霊が馴染む三日が過ぎれば、いよいよミスリルを加工する準備は整った。
アズヴァルドが鍛冶場に運んで来たのは、既に精錬されてる風に見える金属塊。
何でもミスリルは、自然に存在する鉱石から抽出するのではなく、最初から精錬された金属として得られるらしい。
詳しい事はドワーフの秘中の秘として、少なくとも今は、アズヴァルドが王になるまでは、他の種族には教えられないそうだ。
僕の身に危険が及びかねないからと。
うん、まぁ、それでもおおよその想像は付くけれど、恐らくは妖精銀と似た様な形で、魔物が関係して得られるのだろう。
ドワーフの国でしか得られない、鍛えられない金属である以上、僕とミスリルが関わるのは今回限りなのだから、詳しく知る必要は別にない。
ミスリルは恐ろしく硬い金属で、不変、不壊の象徴とされる。
けれども高温の炎に晒せば、それから少しの間だけは柔らかくなり、ハンマーで打っての加工が可能となると言う。
但しミスリルが冷えて硬く戻れば、次に柔らかくするには、前回よりも更に高温の炎に晒す必要があるのだとか。
ミスリルは炎を浴びて冷える度により硬く、強く、そして加工し辛くなって行く。
故にこの金属の加工には、高い熱量を得る手段と、それを正しく段階的に管理する方法、素早く加工を済ませる鍛冶の腕、その全てが欠ける事無く必要だった。
僕の仕事は、炉の温度管理だ。
アズヴァルドの相槌を打つ余裕もなく、僕は炉を、中で踊る火の精霊を見て、状態を把握し続ける。
炉が出せる熱量には限界があるから、段階的に温度を上げて行き、なるべく多くの時間、アズヴァルドがミスリルを加工出来る様にしなきゃならない。
だけどそれだけでは絶対に足りない事もわかっているから、……炉が普通に出せる温度の限界に達したら、そこから先は火の精霊に力を借りて、炉の性能の限界を超えて行く。
……どれくらいの時間を、そうしていたのだろう?
ミスリルの加工は途中で中断できる仕事じゃないから、ずっと作業をしっ放しだ。
「これで最後じゃ! 思いっ切りで頼む!」
アズヴァルドが最後にミスリルを、完成間近のソレを炉に入れ、僕は火の精霊に頼む。
全力を以て燃え盛り、炉の温度を上げてくれと。
炉の全ての熱量を、このミスリルに注いでくれと。
すると僕等が大仕事の最中であると理解してる火の精霊は、本当に全力で燃えてくれて、オーダー通りに炉の全ての熱量を、ミスリルの剣に注ぎ込む。
その瞬間、ミスリルの剣は真っ白に光った。
アズヴァルドは炉から引き抜いたそれを素早く研磨し、刃を付け磨き上げて、ミスリルの剣は完成する。
そして僕達は、二人して同時に、大きく大きく息を吐く。
張り詰めていた物が、途切れたからだ。
「あぁ、やったのぅ。やってやったぞ」
それからアズヴァルドは、クツクツと押し殺したような笑い声を漏らす。
ミスリルと言う、ドワーフにとって特別な金属を自分の手で鍛え上げた喜びを、ゆっくりと噛み締めながら。
気だるさに抗いながら、僕は視線を出来上がったばかりの剣にやれば……、あぁ、それはやっぱり見事な出来栄えだった。
悔しがる気も起きない程に、アズヴァルドの、僕の鍛冶の師は、突き抜けた腕の持ち主だ。
多分今回の王座を巡る競争も、ミスリルの加工なんて要素が飛び出さなければ、きっと一人で勝ち抜いただろう。
でもそんなアズヴァルドに、僕は間違いなく手助けが出来た。
それがどうにも嬉しくて、僕も笑みが抑えきれない。
「乾杯したいね。思い切り良いお酒で、アズヴァルドの奢りでさ」
今の僕は、ウィンも、衣食住の全てをアズヴァルドの世話になってるから、奢りも何もないのだけれど、僕は笑ってそう口にする。
僕の言葉にアズヴァルドは頷き、
「あぁ、悪くない。でも乾杯するなら、ここでじゃな。鍛冶場で飲み食いは不作法だが、酒だけなら良かろう。そこにおるんじゃろ。もう一人が」
それから炉を見て、やっぱり笑う。
もうお互いに、笑いが止まらない。
そんな妙なテンションの僕等を、炉の中から火の精霊が不思議そうに、だけど楽しそうに眺めてた。
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