第80話


 思えば、前世も今生もどちらも通して、実際に溶岩が流れてる光景を目の当たりにしたのは、多分初めてだ。

 恐らく前世の娯楽、漫画やゲーム等を通してこんな物だろうと言うイメージは薄っすらとはあったのだけれど、正にその通りの世界が眼前に広がっていた。

 ここは恐らく、迂闊な行動を一つ取れば簡単に、或いは最適な行動を取っていても運が悪ければ、命が容易く奪われてしまう地獄の様な場所だろう。


 しかし同時に、精霊を友とするハイエルフとしての感性が、僕を少し興奮させてる。

 何て力強い環境なのだと。

 地の力と火の力が、驚く程に強いのだ。

 嵐に感じる風の様に、海に感じる水の様に。

 しかもこの場所の地と火は単純に力強いだけではなくて、……妙な言い回しになるけれど、不思議と若々しさを感じる強さと荒さを持っていた。


 でもそんな僕を嗜める様に、耳元で風の精霊が囁く。

 この先には地から噴き出たガスが立ち込めていて、吸えば僕の身体に毒となると。


 あぁ、実に危ないし、怖い。

 勿論、風の精霊が吹き散らしてくれれば、立ち込めたガス位はどうとでもなろう。

 だけど風の精霊は敢えて警告を発する事で、僕の注意を促してくれた。


 うん、そう、ここは危険地帯なのだ。

 それを忘れてはいけなかった。

 幾らこの場所に満ちる地の力と火の力が強くても、別に僕自身が強くなった訳じゃないのだから、それに引っ張られて高揚していては、思わぬ不覚を取りかねない。

 胸に手を当て、深い呼吸を繰り返し、それで漸く平静となった僕は、更に火口近くを目指して歩き続ける。


 それにしてもプルハ大樹海もそうだったが、自然の力、特に地の力が強い場所と言うのは、どうにも魔物が発生し易い。

 一体こんな場所で何を食べて育ったのか少し不思議に思うけれど、……例えば視界の片隅に見える大きな岩、周囲の岩より一回り大きい程度で何の変哲もないそれは、擬態して岩に成りすましてる大きなトカゲの魔物である。

 迂闊に近付けば、バクリと大きな口で噛み付かれ、肉を食い千切られてしまうだろう。

 僕を狙っているのか、上空で大回りで旋回してる鳥も、アレも魔物だ。


 尤も擬態した魔物は地の精霊が教えてくれるから避ける事は難しくないし、空飛ぶ魔物も風の精霊が風を乱して飛行を阻害し、僕に近付けない様にしてくれていた。

 いやいや、それでも中々に怖いと言うか、これ程に精霊が色々と助けてくれなければまともに歩けやしない場所なんて、ちょっと他には記憶にない。


 だがそんな風に多くの助けを受けながらも前に進めば、僕は漸く、溶岩の川の中に半身を浸ける、人間なんて軽く一飲みにしてしまうだろう巨大な蛙の魔物を発見する。

 グコグコと喉を膨らませて鳴きながら、目を閉じてリラックスしてるその魔物は、そう、僕がこの危険地帯にやって来た目的である、ラーヴァフロッグだ。



 ……僕に気付かずに油断し切ってるラーヴァフロッグは、それはもう隙だらけであった。

 しかしこの状態で、ラーヴァフロッグを仕留める訳にはいかないだろう。

 何故ならラーヴァフロッグは溶岩の川の中に居て、仮に仕留めた所で僕にはその躯を回収する術がない。

 そもそも到底持ち運びなんて出来ないサイズだから、仕留めたその場で解体し、皮膚と食べられる分だけの肉を切り取る必要がある。

 だとすれば、まぁその解体作業に都合の良い場所に誘い出すには、やはり僕が自分自身の身を見せ餌として釣り出すより他にない。


 だから僕は、鏃を外した木の矢を一本、弓に番えて引き絞る。

 狙うはラーヴァフロッグの頭。

 外さず、けれども直撃させず、油が分泌された表皮で矢を滑らせ、皮膚を傷付けず、ましてや絶対に仕留めてしまわない、一射を放つ。


 体表を矢が滑った感触に、ラーヴァフロッグがギョロリと目を開く。

 良かった。

 流石に攻撃を受けた事にも気付かぬ程には、鈍い魔物じゃなかったらしい。


 僕が次の矢、今度は鏃付きの矢を弓に番えるのと、ラーヴァフロッグの視線がこちらを捉えたのは、恐らくほぼ同時。

 ラーヴァフロッグが溶岩の川を出て、こちらに歩み寄って来たら、一射で仕留める。

 狙うは心臓。

 蛙は時に、脳を失っても暫くは生きてる事があるらしいから、皮膚を可能な限り傷付けずに仕留めるには、心臓を狙うのが一番良い。

 こうして弓を構えれば、ラーヴァフロッグの顔の下、胸の奥に、脈打つ生命が透けて見える気がした。


 ……けれども、ラーヴァフロッグは溶岩の川から歩み出ず、グッと身体を沈めると大きく大きく跳躍し、少し信じがたい事に、その巨体が宙を舞う。

 意表を突かれるとは、正にこれを言うのだろう。

 想定外の事態に僕は咄嗟に飛び込みの前転、地を転がりながら降って来る巨体を避け、

「地のッ」

 咄嗟に地の精霊に助けを求める。

 全ては言い切れなかったけれども、僕の意図を察した地の精霊が岩を突き出して壁を造れば、その直後にラーヴァフロッグの口から飛び出した舌が、出来たばかりの壁を抉って砕く。

 もしも後一瞬、壁を造るのが遅かったなら、あの舌は僕の肉体を抉っただろう。


 いやそれよりも、あの跳躍力は一体何だと言うのか。

 蚤の類じゃあるまいし、流石に飛び過ぎである。

 これだから魔物は油断出来ないし、怖いのだ。


 僕は身体の震えを抑えながら大きく息を吐いて、ゆっくりと起き上がった。

 勝敗は、既に決してる。

 地の精霊が造った壁で稼げた一瞬の時間で、僕は起き上がらずに矢を放ち、構えも滅茶苦茶のままに放たれたその矢は、それでも狙い違わずラーヴァフロッグの胸を貫く。

 体表を覆うラーヴァフロッグの油も、グランウルフの牙を研いだ鏃の鋭さは防げずに、矢は間違いなく心臓にまで達したから。


 力を失ったラーヴァフロッグの身体は崩れる様に地に伏して、その活動を停止する。



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