第71話


 木々が僕等を気遣って、歩き易い様に少しだけ根を避けてくれる。

 僕が一人での森歩きならそこまでの気遣いは不要だけれど、今は二人の子供が居るから、木々の優しさがありがたい。

 恐らくはベテランの狩人でも驚く程の速度で、僕等はサクサクと森を進む。

 けれどもやはり、目的地であるこの森の最奥に辿り着く頃には、日は暮れてしまうだろう。


 実はこの森の一番深い場所には、今は他国の森へ移住中の、エルフの集落が一つあるのだ。

 そこが今回の目的地で、日帰りは不可能な距離だから、今日はそこで一泊をする。

 ……一泊であっても女の子であるミズハの外泊、それも野外に泊まる事に関しては、当然ながらカエハも、その母だって、あまり良い顔はしなかった。


 それでも今回の、ハイキングと言うには大掛かりで、旅と言うには小さ過ぎる、一泊二日の旅行を許してくれたのは、僕が必ずミズハを無事に返すと約束したから。

 その言葉が信じて貰える程度には、僕は二人に対して信頼を積んでいる。

 それからもう一つ、やはりカエハもその母も、シズキばかりがヴィストコートまで旅をした事に関しては、二人の子供の扱いが公平でないと考えていたのだろう。


 故に何とか、渋々とではあるが許可は下り、今回の旅行が実現した。

 恐らく二度目の許可は出ないだろうし、僕だって求めない。

 しかしそれでも今回、僕がこの森の奥にウィンとミズハを連れ出したかった理由は、……今じゃなきゃ見れない物がそこにあるからだ。


 そう、今は移住をしてるエルフ達が一部でも帰って来たら、人間であるミズハは勿論、ハーフエルフであるウィンも、森の最奥には立ち入らせて貰えないだろう。

 だから本当に、それは今しか目に出来ない。



 森を歩き続け、木々の間を抜けてエルフの集落に辿り着いた僕等の前に、それは姿を現した。

「っ!? う、うっわぁ……」

 暮れ始めた太陽に紅く染まったその威容に、ミズハは息を飲み、それから感嘆の溜息を吐く。

 それは霊木と呼ばれる、大きな森の最奥に一本だけ生えるとされる不思議な、小山の様な巨樹だ。


 森の生命の結晶とも言われ、霊木の周辺の土地は力に満ちる。

 更に不思議な事に、霊木は精霊を見る目を持つ者の前にしか姿を現さなかった。

 今は僕やウィンが居るから、ミズハの目の前にも姿を見せているけれど、もし仮に後日、彼女が一人でこの場所まで来たとしても、もうこの巨樹を見付ける事は叶わないだろう。


 もしかしたらウィンは、僕が引き取る前に居た集落で、既に霊木を目にしてるかも知れないけれど、物心が付くか付かないかの頃の話だし、改めて見ておくのも悪くはない。

 ただこの森の霊木は、森の広さからして仕方のない事だけれど、然程に大きい方ではなかった。

 当然ながら他の木とは比べ物にならないサイズだけれど、もっともっと広い森に生えた霊木だったなら、この倍程の大きさにも成長しうる。

 そしてその様に本当に巨大に育った霊木には、凝縮された命の恵みとしてアプアの実が生るのだ。


 ……故郷の森、深い森にはそんなアプアの実が生る霊木が当たり前にゴロゴロと存在してたから、僕はあまり有難みを感じないけれども。

 霊木が大きな森の奥に一本だけしか生えないルールがあるなんて、外の世界に出て来てから初めて知った事実である。


「エイサー、あれ!」

 不意にウィンが、僕に呼び掛け、指を差す。

 するとそこにあったのは、霊木の枝に綺麗に咲いた、一輪の花。

 あぁ、どうやら霊木も、僕等の来訪を歓迎してくれてるらしい。


 周囲の集落で暮らすエルフ達が居なくなって暫く経つから、……霊木も少し寂しかったりするのだろうか?

 ふとそんな事を、考えてしまう。

 だとしたら、もう少しだけ待って欲しい。

 アイレナ曰く、ルードリア王国の森に戻ろうとするエルフの数は、僕が思ってたよりもずっと多いそうだから。



 霊木に登って咲いた花を摘みたがるミズハを危ないからと宥め、次はそんな彼女に振り回されながらもお腹が空いたと悲しい目で僕を見るウィンの為、大急ぎで弓矢で仕留めた野兎と見付けた食用のキノコを焼く。

 そんな風にバタバタとしていると、あっと言う間に日は落ちて、夜が来た。


 僕とウィン、ミズハの三人は、焚き火を囲んで夕食を取る。

「エイサーさん、連れて来てくれて、ありがとう! 私ね、今日ね、凄く楽しいの。もしかして私、冒険者に向いてる?」

 肉を齧り、満面の笑みを浮かべたミズハが、僕に礼を言い、それから問う。


 ……さて、どうだろうか。

 彼女は恐らく、勇敢ではあるのだろう。

 剣の腕も道場で磨いていて、大人の弟子とも打ち合える。

 見た事のない物を見て感動する心を持ち、野外での活動を厭わない。

 あぁ、向いてそうでは、ある。


「うぅん、わからないかな。カエハ師匠みたいに凄い冒険者になれるかも知れないし、あっさり死んじゃう場合もあるし。……でも冒険者になるなら、蛇も食べれた方が良いかもね」

 でも僕は、敢えて答えを明言せずに混ぜっ返す。

 蛇の話を持ち出されたミズハは言葉に詰まり、それを笑ったウィンの頬を引っ張った。


 まぁ彼女はまだ、十歳にも満たない年齢だ。

 ミズハも、その双子の片割れであるシズキも、年齢の割にはしっかりしているけれども、それでもまだまだ大人じゃない。

 自分の道を決める時間は、まだまだある。

 それは僕から見ればあっと言う間の時間でも、彼等にとってはそうじゃないから。


 ただミズハが仮に冒険者の道を選ぶなら、武器や防具を用意する事位は、してやろうと思う。

 僕が以前、カエハにそうした様に。

 ヴィストコートの家だって、彼女が必要とするならば。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る