第56話

 しかし幾らノンナがウィンの面倒を見てくれる事になったとは言え、これ幸いと任せてウキウキと鍛冶仕事に向かう、なんて真似は流石にしない。

 ウィンのノンナに対する印象は、食事の美味しさや彼女の優しく丁寧な気遣いが合わさって、決して悪くないどころか寧ろ凄く良いだろう。

 恐る恐る木匙を口に運んで、それから味に驚き、目を輝かせるウィンはとても愛らしかった。

 ……が、それでもウィンが完全にノンナに慣れた訳じゃないのだ。

 少なくとも最初の一ヵ月程度は、僕も二人と一緒に過ごして、関係の構築を手助けすべきだと思う。

 後は、そう、もしもウィンがノンナに物凄く懐いて、鍛冶仕事に行ってる僕の事なんてすっかり忘れてしまったら、多分泣き崩れる位に悲しいし。

 

 と言う訳で今日はノンナに案内されながら、ジャンぺモンの町をウィンと一緒の三人で見て回ってる。

 まぁ見て回るとは言っても、その主な目的は久方ぶりに食べる菓子類だ。

 何でも隣国であり隣町でもあるアルデノ産の果実をふんだんに使ったタルトを出す店が、ノンナのお勧めなのだと言う。

 そんな話を聞いてしまえば僕は当然食べたくなるし、またウィンにだって食べさせてやりたい。

 尤もジャンぺモンの町を離れてしまうと、欲してもそう簡単には得られない贅沢だから、癖にならない程度にだけれども。


 そう言えばアルデノで思い出したが、以前に助けた果樹農家……、確かアジルテ?の妻が作ってくれたリンゴパイも美味しかった。

 もし叶うなら、是非もう一度食べたいと思うのだけれども、果たして彼等は僕を覚えてるだろうか?

 

 ウィンの手を引き、彼の足に合わせて町を歩けば、そこかしこから視線が向けられる。

 それ等は最初は好奇の視線で、でもその大半はすぐに微笑まし気な、好意的な物へと変化した。

 邪な類の物は、今の所は感じられない。

 一人で旅をしている時はあまり気にしなかったが、ウィンを連れている今は、この町の治安の良さを豊かさ以上にありがたく思う。

 いや、食に困らず生活も豊かだからこそ、皆にゆとりがあって穏やかな心を保てるのか。


 そんな風に感心し、また少しばかり感謝もしながら町を歩いていると、ふと僕の顔を見て驚いている男性に気付く。

 記憶の片隅に、どこかで見た様なその顔は、……あぁ、確かトラヴォイア公国の鍛冶師組合の職員だ。

 複数いる職員の一人として、あまり強い印象は持ってなかったけれども、既に大人だった彼はノンナと違ってそんなには変化してなかったから、どうにかこうにか思い出せた。


 軽く頭を下げて挨拶すれば、彼はとても嬉しそうな笑みを浮かべて、……しかし隣にウィンやノンナが並んでいる事に気遣ったのだろうか。

 声はかけて来ずに、同じく頭を下げて去っていく。 

 うぅん、気遣いはとても有難かったが、あの様子だともしかすると、近日中に何か仕事を頼まれる事もあるかも知れない。


 勿論それは、本来ならとても嬉しい話である。

 だって僕が以前にこの町で鍛冶仕事をしたのは、もう五年も六年も前の話だ。

 僕の様なハイエルフなら兎も角、人間にとっての五年は決して短い時間じゃない。

 しかもその時、僕がこの町で仕事をしたのは、僅か数週間。

 なのにあの職員は僕……、否、僕の仕事を覚えててあんな風に再会を喜んでくれたのだから、嬉しくない筈がなかった。


 でもそれはそれとして、僕はまだ暫くは働かずにウィンと過ごすと決めているので、今は鍛冶仕事を頼まれても断るだろう。

 ほんの少しばかり、いや割と心苦しいけれども、優先順位は違えない。



 街歩きでウィンの足が疲れて遅くなってきた頃、僕等は目的の、タルトが美味しいと言う菓子店に辿り着く。

 僕とウィンの姿に驚く店員に、ノンナは慣れた様子で話しかけて、店内のテーブル席を確保する。

 随分と手際が良い事から察するに、彼女はかなりこの店に通っているらしい。


 そしてテーブル席で出て来たタルトを食べながらの話題は、僕が以前にジャンぺモンの町を訪れ、旅立った後にどんな風に過ごしたか。

 隣のアルデノ王国に行き、ツィアー湖を船で渡り、オディーヌまで旅をした話。

 その中でもノンナが特に興味を示したのは、

「へぇぇ、エルフの人って、リンゴが好きなんですね。うちの宿もリンゴを使った料理を出せば、エルフの人が一杯来てくれたりしないかなぁ……?」

 エルフの多くはリンゴが好きだって話だった。

 彼女は何故か感心した様に頷いて、タルトで汚れたウィンの頬や口元を布で拭う。

 まだ幼いウィンは、当然ながら旅の話なんて理解は出来ないだろうけれど、僕やノンナが話す様子を機嫌が良さそうに、楽しそうに眺めてる。


「うん、まぁ僕はこの、木苺のタルトも美味しいけれどね。あぁ、やっぱりエルフは果実を好むかな。……僕は麦も肉も魚も野菜も、全部好きだけど」

 僕がこれまで旅してきた中で、麦を使った料理の種類が一番多かったのはこのトラヴォイア公国、ジャンぺモンの町だ。

 肉は色んな所で食べられるから一番は決めにくい。

 魚料理は、やはり海に面したヴィレストリカ共和国が間違いなく一番である。

 ツィアー湖や、そこから流れ出る川が多い小国家群でも魚は食べられるのだけれど、海魚と川魚の違いは大きいのだ。

 野菜の類も、各地で収穫される物が大きく違うから甲乙つけがたいが、そう言えばプルハ大樹海で得られる山菜は非常に良質で、ルードリア王国のヴィストコートで食べた山菜料理はとても美味しかった。

 いやまぁ、山菜は野菜じゃない気もするけれど……。


 今はまだ幼いウィンに、徒歩での長旅は厳しい。

 けれども彼がもう少し大きく成長したら、色々と美味しい物を食べ歩く旅にも連れて行きたかった。


 勿論、今でも馬車を利用すれば何とかなるのかも知れないけれど、……僕が馬車酔いで弱った所を魔物や盗賊に襲われたらと思うと、その手は可能な限りは避けたいところである。

 あぁ、或いは、馬を飼って僕が手綱を引いて、ウィンをその背に乗せて歩こうか。

 僕はやはり、きっと旅が好きなのだろう。

 だからウィンにも、彼が嫌でなければだが、旅を好きになって貰いたい。

 そして一緒に、二人でいろんな場所を見たいと、そう思う。 

 僕と比べての話だが、彼の時間は決して長過ぎると言う程にはないのだから。


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