第55話
ザインツとジデェールを抜けて小国家群に入れば、川を東へ遡行する船に乗ってツィアー湖へ。
そしてツィアー共和国の町、フォッカで少し休んだ後は、今度は川を南西に下る船に乗って、ジャンぺモンのあるトラヴォイア公国の近くまで運ばれる。
一度通った道だけあって、実にスムーズな旅だった。
歩く旅と違って、船旅は景色の移り変わりも結構早いから、幼子であるウィンも飽きる事無く周囲を見回して目をキラキラとさせている。
船を降りて少し歩けば、ジャンぺモンはすぐそこだ。
残念ながら以前に訪れた時とは違って、麦はまだ実りの時期を迎えていないが、それでもどこまでも続く畑はとても雄大だった。
出会ってすぐに旅の身となったから、僕とウィンはまだ相互に理解を深めてはいない。
僕の彼に対する印象は、掴みどころのない子供といった物だ。
どうやら僕に好意は持ってくれてる様だし、周囲からの刺激に対する反応も素直な物ばかりだけれど、あまり自分の我を見せない事が気に掛かった。
あぁ、そう、つまりウィンは、少しばかり手の掛からない良い子が過ぎる。
別にそれは決して悪い話じゃないのだろうけれども、それが生来の気質ではなく育った環境でそうなってるのだとしたら、あまり喜ばしい事でもないだろう。
あんなに小さいのに弁えてる幼子なんて、深く考えると悲しくなって来る話だ。
尤も僕とウィンの関係はまだ始まったばかりだし、僕等の時間は普通の人間に比べたらたっぷりとあるから、焦る必要は少しもなかった。
ゆっくりお互いを知って行けば良いし、またそれ以外に方法もないのだから。
流石にあれから五年か六年も経ってるから、門番の衛兵は違う人だったけれども、町へ入る為の手続きは実にスムーズだった。
上級鍛冶師の免状と共に、このトラヴォイア公国の鍛冶師組合が発行してくれた書類を見せれば、何やらすぐに納得して町に入れてくれたのだ。
……何でも以前にこの町で打った剣が今でも鍛冶師組合に飾ってあって、町の催しがある際には稀に展示されたりもしてると言う。
だから門番の衛兵も、僕が打った剣を見た事があるらしい。
いやいや、なんと言うか照れ臭いと言うか面映ゆいと言うか、結構普通に恥ずかしい話だ。
勿論、あの剣の出来には自信があるし、粗末に扱われるよりはずっと嬉しい事なのだけれど、それはそれとしてやっぱりとてもこそばゆい。
僕は衛兵から大いに歓迎の言葉を受けて、ジャンぺモンの町へと入った。
数年ぶりのジャンぺモンの町は以前とそれ程に変わりはなくて、僕はウィンを抱いたまま、記憶を頼りに歩いて宿へと辿り着く。
けれども、町は変わらずとも人は変わる。
「いらっしゃいませ、お泊りですか? お食……あっ、エルフのっ、エイサーさん!?」
宿に入った僕を驚きの声で迎えてくれたのは、記憶にある姿よりも一回りも二回りも……、或いはもっと大きくなって、すっかり女性らしさを身に付けた少女、ノンナだった。
尤もまだまだ綺麗と言うよりは、可愛いと言った側面の強い年頃だけれど。
あぁ、どうやら、彼女も僕の事を覚えてくれていたらしい。
突然の大きな声に驚くウィンの背を軽く擦って宥めながら、僕は笑みを浮かべて頷く。
「お久しぶり。大きくなったね。泊りと、それからお腹も空いてるから食事もお願い。僕と、この子の分をね」
その僕の言葉に、ノンナは顔に浮かべた驚きの色を更に深めて、戸惑いながらも二階へと案内してくれる。
そうして通されたのは、以前に僕が泊まっていたのと同じ部屋。
宿代も以前と同じく一泊銅貨五十枚で、しかし食事代は少し値上がりしていて、朝食が銅貨十枚と、夕食が銅貨十五枚。
でも記憶にある食事の質から考えれば、それでも全然安いけれども。
「えっと、お帰りなさい、エイサーさん。あの、その、その子は、エイサーさんのお子さんですか?」
部屋の鍵を渡してくれながら、戸惑いがちにノンナが問う。
何だか以前にもこんな事があったなぁと思い出して、何やら懐かしい。
以前は確か、僕がエルフかどうかを聞かれたんだっけ。
「うん。色々と事情があってね。今は僕の子。……まぁ養子になるんだけれど、うん、僕の子で、男の子だよ。ウィン、このノンナお姉さんに挨拶出来る?」
僕は抱いたままだったウィンにそう問うて、彼が頷くのを確認して、床に下ろした。
ウィンは自分で立ってノンナを見上げ、
「うぃん、です」
小さくそう言って僕の足に半分ほど隠れる。
その仕草が、ちょっと筆舌に尽くしがたい程に、可愛らしい。
そしてどうやらそう思ったのは僕だけじゃなく、ノンナも全く同じだったみたいで、
「うん、よろしくね。ウィン君。この宿に居る間は、何でも私に言ってね!」
そんな言葉を口にする。
よし、良いぞ。
これで僕が鍛冶場で働く間、ウィンの世話を頼み易くなった。
別に意図した訳じゃないだろうけれど、ナイスフォローだ。
「あぁ、そうだ。それでね、この町に来た理由なんだけど、僕が鍛冶場で働く間、この子の、ウィンの世話をしてくれる人を探しててね。誰でも良いって訳じゃないから信用できる人になるんだけど、そこで君を思い出したんだ」
今が好機と見た僕は、ウィンの頭を一つ撫でて、早速本題をノンナにぶち込む。
僕に対してではないけれど、『何でも』なんて言葉を口にした以上、今なら断り難いだろうし。
……いやまぁ勿論、彼女が仕事が忙しいから無理と言うなら素直に諦めるし、その場合はまた他の心当たりを探す事になるけれど。
「勿論十分なお礼は支払うから、もし良かったら頼めないかな? 多分一年か二年程は、この町に居る心算だからね」
ただ断られる心配は、あまりなさそうだ。
それは僕に信用してると頼られた事が嬉しかったのか、それともウィンの可愛らしさに負けたのか、もしくは僕が支払う謝礼を期待したのかはわからないけれど、ノンナはその話にとても嬉しそうな顔をしたから。
ノンナは自分の頬に手を当てて、
「はい、嬉しいです。エイサーさんに、そんな風に覚えてて貰えるなんて。あ、一応お母さんに聞いてみますけど、でも絶対に良いって言わせて見せますから! ウィン君、私と一緒にこの宿でエイサーさんが仕事から帰って来るの、待とうね!」
笑みを浮かべてそう言った。
何とも実に頼もしい返事で、僕もホッと安堵の息を吐く。
ウィンはまだ少し状況が掴めずに、まぁ当たり前の話だけれど、戸惑っている様子だったが、そのうち彼も慣れる筈。
また僕も、ウィンが新しい環境に慣れる様に一緒に努力をしよう。
安堵したら、僕は急に空腹を思い出す。
森で数年間育ったウィンは、まだあまり自分から食を欲する様子を見せないが、そんな彼がこの宿の食事にどんな反応を示すかは、少しばかり楽しみだった。
何せこの宿の食事は僕も十分に満足できる程に美味しいし、それにノンナが、子供が食べ易い食事を用意してくれるとも言っていた。
僕はもう一度、ウィンの頭を軽く撫でて、荷解きの為に部屋へと入る。
これからの生活を思うと、期待に胸は高鳴っていた。
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