第41話




「うっわー、凄いな。これでも海じゃないんだよね」

 内陸なのに水平線があるその光景に感動し、僕は湖に手を突っ込んで顔を洗う。

 やはりその水に塩っ気はなくて、ここはやっぱり海じゃなく、淡水の湖なのだと実感させてくれた。


 ツィアー共和国の主産業は、その名の由来であるツィアー湖とそこに流れ込み、或いは流れ出る川を使った水運だ。

 小国家群のどこにでも……、と言う訳では流石にないが、小国家群内の流通でツィアー共和国が担う役割は大きい。

 トラヴォイア公国の麦も、アルデノ王国の果実も、近くの河川から船でツィアー共和国に運ばれて、小国家群内の各地に散って行く。

 つまりツィアー共和国の特徴は、中継地点として商業が盛んな事である。


 パルノールの村から川沿いに歩けば大きな湖、ツィアー湖にぶつかり、そこから湖沿いの街道を二時間ほど歩けば、フォッカの町へと辿り着く。

 町に入る身分証は、例によって上級鍛冶師の免状と、トラヴォイア公国の鍛冶師組合がくれた納品履歴と評価が記された書類。

 上級鍛冶師の免状だけなら、鍛冶の腕が良い余所者扱いだけれども、納品履歴を記した書類があれば、小国家群の役に立つであろう余所者と言う扱いになる。

 要するに、信用が増すのだ。


 尤もどんな仕事にでもその書類が出ると言う訳じゃないので、言うなればトラヴォイア公国の鍛冶師組合からの、感謝状の様な物であった。

 小国家群の中ではと言う条件付きだが、身分の証明として大きな効力を発揮してくれるだろう。


 フォッカの町へ入る為に必要となった料金は僅かな額で銅貨が十枚。

 しかもここから船に乗ってルゥロンテへと移動すれば、向こうでは町に入る為の税は必要ないんだとか。

 でもフォッカの酒場で食事を取った時に相席した旅人は、どうせその分は船を使った湖の渡し賃に上乗せされてるんだと、ブツブツ文句を言っていた。

 実際の所は分からないけれど、まぁ決してありえない話ではない。


 ただ僕は、商業を活性化させる為に敢えて町の出入りの税、つまり関税は安くしてるんだろうとも思う。

 関税を安くして人と物の流れを大きくし、町に落ちる金を増やして、結果的に税収も増やす。

 水運を主産業とする国なら、取りそうな方針じゃないだろうか。


 何にしても、僕はフォッカに長く留まる気はない。

 これまでは河川を行く船も、船酔いを恐れて避けて来たけれど、……流石にツィアー湖は迂回して進むには広すぎた。

 フォッカからルゥロンテまでは、朝に船を出せば夕方には辿り着く。

 しかし日が沈むと湖に棲む魔物に抗う術がなくなる為、朝にしかフォッカからルゥロンテに向かう船は出ない。


 船を使った湖の渡し賃は銀貨で三枚と、確かに高かった。

 酒場で相席になった旅人が、愚痴を言うのもわかる値段だ。

 しかし船には速度を確保する為の漕ぎ手や、武装した護衛も乗り込むから、仕方のない値段なのだろう。


 たとえ値段が安くても、船が遅くて護衛が居なければ、魔物に襲われ湖に落ちる可能性だってあるし、そうなったら元も子もない。

 寧ろどうしても金を節約したいなら、ツィアー湖は迂回して進むと言う手も、非常に面倒臭いが存在はするから。



 一度乗ると決めたなら、後は度胸あるのみだ。

 渡し賃を支払って船に乗り込めば、中央に用意された席の一つに案内される。

 船の縁は湖の魔物に襲われる危険性があるから、乗客はこうして中央に集めて守るらしい。

 水にぷかぷかと浮かぶ船は出港前から既に少し揺れているけれど、別に気持ち悪くはならなかった。


 そして船が出る時間になると、ドン、ドンと一定のリズムで船尾で太鼓が鳴らされる。

 漕ぎ手達は一斉に、その太鼓のリズムに合わせて櫂を漕ぐ。

 屈強な男達が全力で漕ぐものだから、船の速度はグングンと増して、前方からの風を感じる程にもなった。

 想像していたよりもずっとスピード感があってとても楽しい。


 僕の耳に、風の精霊がはしゃいでる声が届く。

 湖上の風は冷たく、それが非常に心地良い。

 周囲の光景も最高で、湖に陽光が反射する様は、ずっと見てても飽きない位に。


 その開放感のお陰だろうか。

 馬車に乗った時の様な気持ち悪さは、全くと言って良い程に感じなかった。


 ドン、ドンと太鼓の音は止まずに鳴り続けてる。

 何でもあの太鼓の音は、単に漕ぎ手のリズムを取るだけでなく、慎重な魔物を遠ざけて、好戦的な魔物の注意を船尾の太鼓の叩き手に集めるんだとか。

 故に太鼓の叩き手は船員の中で最も勇敢な実力者であり、彼が魔物の注意を惹く事で、思わぬ場所が攻撃される事態を防いでる。

 もしも太鼓の音がなかったならば、魔物は漕ぎ手を狙ったり、船底を攻撃したりしてしまうだろう。

 そうなれば最悪の場合は、船が沈んでしまう事すらあり得るから。


 太鼓の叩き手は身を張って魔物の注意を惹き、また他の船員からの敬意も集めていた。

 加えて言うならば、魔物が攻撃してくる場所を絞る事で、護衛達が働き易くもなるのだ。

 船全体を守るとなると大変だけれど、襲われるのが太鼓の叩き手だと分かっていたなら、注意を払う部分は少なくて済む。


 ……とは言え、魔物になんて襲われないに越した事はないから、太鼓の叩き手も、船の漕ぎ手も、手を一切休めずに、目的地を目指して船を動かし続ける。

 そうして空が赤く染まる頃、船はフォッカの対岸である、ルゥロンテに到着した。



 ルゥロンテはフォッカと双子の都市で、町の構造も殆ど変わらない。

 湖を挟んで対称になる様に、二つの都市は設計されてる。

 港や役場と言った公共の施設は当然ながら、商会の倉庫や造船所までもが同じ位置、同じ形をしてるのは、どこか偏執的な物を感じてしまう。

 何せフォッカで宿があった場所には、ルゥロンテにも宿がある位の徹底ぶりなのだから。


 それ故にルゥロンテでは新たに見たい物は特になく、僕は一泊した後は、早々に町を出てオディーヌを目指す。

 ジャンぺモンの町でのんびりし過ぎなければ、もう少し色々と見て回れた気もするけれど、後悔はない。

 振り返ってみても、実に良い旅だった様に思える。

 遠くに、高い尖塔が幾つも立ち並ぶ、城壁に覆われた都市が見えてくる。

 何でも小国家群の力ある魔術師、魔導士とよばれる人々は、尖塔に住む事でその存在を誇示するのだとか。


 つまりあれこそが、魔術の国であるオディーヌだった。

 僕の旅の目的地は、もうすぐそこまで迫ってる。


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