第7話
僕がこのヴィストコートの町にやって来てから、およそ一ヵ月が過ぎた。
鍛冶屋での仕事は順調その物で、客足は確実に増えている。
やはり町一番の冒険者チーム、白の湖の影響は大きいらしく、アイレナとその仲間が装備を一新してからは、来客が一気に増えた感じだろう。
後はまぁ、ドワーフの店で働くエルフと言うのも物珍しいそうで、僕が目当ての客もそれなりに多いらしい。
また鍛冶修行の方はボチボチと言った感じだが、炉の温度管理は火の精霊が見える僕の役割になったりと、手伝える事も少しずつだが増えつつある。
精霊の力を借りる以外にも、手先の器用さも認めて貰えたので、本格的に鍛冶を教わる日も、そう遠くはないと思う。
尤も僕の予定では、十年か二十年程は鍛冶に熱中する予定なので、別に教えて貰えるのがゆっくりでも、然程に問題はないのだけれども。
しかし鍛冶屋での仕事や修行は順調だったが、他の問題がなかった訳では決してない。
例えば一週間以上の町への滞在をする為の、滞在税を役場に納めに行く際に迷子になったりとか。
一ヵ月も宿代を出して貰ってて、流石に悪いから家を借りると言ってるのに、アイレナが心配だからとそれを許してくれないだとか。
色々とどうにもならない問題はあるのだ。
因みにクソドワーフ師匠が僕にくれる給料は一日銀貨二枚で、週に一度は休みがあるから、一週間の収入は小金貨一枚と銀貨二枚。
これはヴィストコートの町で働く成人男性の平均的な稼ぎを上回る。
弟子と言う扱いで雇われてる身としては、破格も破格の条件らしい。
だが今泊まってる宿屋の料金は一日銀貨五枚で、僕が仕事に行こうが休もうが料金は発生するから、一週間の支払額は小金貨三枚と銀貨五枚。
全く以て欠片も収入が追い付いていなかった。
アイレナは僕から精霊術、精霊の力を借りる方法を学んでるから、宿代なんて気にしなくて良いと言い張る。
だけど僕は師であるクソドワーフ師匠に十分な給料を貰ってるにも拘らず、一応は弟子みたいな形になってるアイレナに生活費を支払って貰っているのだ。
流石にこれは、ハイエルフがどうとか言う以前に、人としてどうかと僕は思う。
「そんな感じでねー。もーどうしようかなって思うのさー」
エールの入った木製ジョッキをグイと傾け、中身を一口飲んでから、僕は少しずつ積み重なった感情を吐き出すように、愚痴る。
愚痴の相手は僕がこの町にやって来て最初に出会った、もっと言うならば、この世界で初めて会った人間である、衛兵のロドナー。
顔が広く気の良い彼は、僕の仕事の休みに合わせて休暇を取って、この安くて美味いと評判の食堂に案内してくれていた。
「ははは、でもそれも仕方ないと思うぜ。だってアンタの保証人はあのエルフの姉さんだしな。あらゆる意味でアンタを放って置けないのさ」
フォークを刺した腸詰めをガブリと齧って、ロドナーは笑う。
彼の笑みには嫌味がなく、本当にこの食事と酒と、ついでに僕との会話を楽しんでる事が伝わって来る。
それにしても良い店だった。
建物もテーブルも古めかしいが、掃除はしっかりされていて床も綺麗だ。
テーブルは頑丈で、凭れ掛っても不安がない。
腸詰めを齧れば口の中に肉汁が溢れて広がるし、エールも全く酸っぱくなかった。
ついでに看板娘は、人間の基準で言えば美人の部類だろう。
愛嬌のある笑みを浮かべてテキパキと料理を運ぶ様は、見ているだけで心地が良い。
「それにしてもさ、あのエルフの姉さん。エイサーには偉く恭しく尽くすよな。白の湖のアイレナと言えば、貴族にすら頭を下げなかったって語り草なのにさ」
テーブルの横を通った看板娘に手を振って、ロドナーは僕を窺うように見る。
探るような視線……、と言うよりは、もう本当に単純に気になっているのだろう。
確かにアイレナの態度はあまりにも露骨だから、同じ疑問を抱いているのはロドナーだけではない筈。
しかし敬意を求めた貴族にはそれを向けず、そんな物を求めてない僕には敬意を向けるとは、アイレナも難儀な生き物だ。
僕は空になった皿を翳して、看板娘に注文を取りに来てくれとアピールする。
「見ての通りさ。ちょっと変わり者とは言われるけれどね。あ、骨付き肉が二人前と……、ねぇ、揚げ芋ってない? あ、やっぱりないのか。じゃあ腸詰めもう一皿と、エールおかわり」
僕の注文に、看板娘は笑顔を一つこちらに向けて、それから厨房にオーダーを届けに歩いて行く。
お尻をフリフリ振りながら。
だけどやはり、こんな風に麦の酒を飲むなら、揚げた芋や唐揚げが食べたいと思う。
残念ながらこの世界には、少なくともこのヴィストコートの町には、揚げ物文化はないらしい。
フライヤーって、頼んだらクソドワーフ師匠が作ってくれたりしないだろうか?
酒と一緒に揚げ物を出したら、クソドワーフ師匠なら確実に気に入ると思うのだけれど……。
まぁさて置き、見ての通りとの言葉には、人間とエルフで全く違う意味がある。
と言うのもエルフは一目でハイエルフを見分けるが、人間にはエルフとハイエルフの違いが分からないからだ。
だからエルフのアイレナにとっては、僕は見ての通りハイエルフで、人間のロドナーにとっては、僕は見ての通りに単なるエルフであった。
なので別に嘘はついてない。
「ふぅん、ま、良いけどさ。まぁどうしても宿を出たいなら、相談してくれたら治安の良い物件を探して来てやるぜ。そこならあのエルフの姉さんも少しは安心するだろうしさ」
ロドナーの言葉に、僕は頷く。
多分きっと、彼の世話になるだろう。
愚痴を聞いてくれるだけでも有り難かったのに、解決策まで提示してくれて、しかもそれを押し付けて来ないなんて、ロドナーは本当に頼れて、気の良い奴だ。
アイレナに、クソドワーフ師匠。
それからロドナーと、僕は本当に、人の縁に恵まれていると、心の底からそう思う。
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