転生してハイエルフになりましたが、スローライフは120年で飽きました
らる鳥
一章 クソエルフとクソドワーフ
第1話
大きな木の、やはり大きな枝の上に寝そべって、私は木の実を一口齧る。
シャリッと心地良い歯応えと共に、軽い酸味と甘味が口の中に広がった。
この木の実、アプアの実は若返りの霊薬を作る素材になるとも言われる代物で、人の間では金貨を積んで取引されるらしい。
しかしこの森の中でなら、こんな物は食べ放題だ。
「風の精霊よ」
アプアの実を食べ終わった私は、そう呟いて残った芯を放った。
次の瞬間、渦巻いた風が芯を磨り潰す。
こうして果肉は私の滋養に、芯は地の滋養に。
そして種を吐き出せば、運が良ければ芽吹くだろう。
くぁっと大きく欠伸をすれば、空から舞い降りた鳥が私の胸に留まり、チチッと高い声で鳴く。
そっと指を差し出せば、鳥はまるで甘える様にそこに顔を擦り付けた。
私が決して害を加えぬと、鳥は充分に理解している。
その理解の根拠となるのは、私が森と共に生きる一族、エルフであるから。
まぁ正確に言うなら、より精霊に近いハイエルフになるらしいのだけれど、森の住人というカテゴリで見れば大差はないと私は思う。
だってエルフもハイエルフも然して変わらぬ、変化に乏しい生き物だ。
「うん、正直、飽きた」
私はダラダラとだらけながら、誰に話すでもなく独りで呟く。
腹が空けば果実を食べ、狩りをする訳でもないが弓を引いて腕を磨き、精霊と語らっては世界の真理を覗く。
エルフの生活とは正に理想的なスローライフと言えるのだけれど、……流石に百二十年もそんな事をしてると飽きが来る。
因みに私は今年で多分百五十歳位なのだけれど、物心ついたのが三十歳位だったから、そこから数えて百二十年だ。
勿論、他のエルフやハイエルフ達はそんな生活に疑問を抱かず、何の不満もなさそうに森を愛して生きている。
何故なら彼等にとってはそれが当たり前で、他の生活なんてはなから考えもしないから。
だけど私は、この深き森の奥に生まれ、外の世界など一度も出た事はないけれど、それでも物心ついたその瞬間から、比較対象となる他の生活を知っていた。
そう、私は前世の記憶を持った、別の世界からの転生者という奴である。
私の前世は人間で、しかもその時に生きていた世界では、エルフなんて物語上の存在でしかなかった。
その世界、地球では凄惨な争いも多かったが、同時に娯楽や芸術、文化の産物で溢れていたのだ。
争いの多いせわしない世界を知っているからこそ、エルフの緩やかで平和な生活の素晴らしさが分かる。
でも同時に文化の産物で溢れた世界を知っているからこそ、エルフの生活の刺激の乏しさにもはや限界が来ていた。
先ず何よりも、
「肉、食べたいなぁ」
果物ばかりの生活はウンザリだ。
私がそう呟いた途端、胸に留まっていた鳥が大慌てで飛び去って行く。
あぁ、もう、随分と賢い鳥である。
でも別にあの鳥を捕まえて食べようって訳ではなかった。
何せこの深き森の中で火を使えば、他のエルフやハイエルフがすっ飛んで来て文句を垂れるだろうから。
どうせ肉を食べるなら焼きたいし、肉を焼くなら森を出るしかない。
つまりそれは、逆に言えば、森を出てしまえば肉を焼いて食べて、それから色んな物を見て回る刺激に満ちた生活が出来ると言う事だ。
「よし、エルフの生活はもう良いや。私には、……うぅん、僕にはちょっと向いてなかったね。コレ」
どうにかハイエルフの生活に溶け込もうと、百年以上もそれらしく振る舞って頑張ってみたけれど、やっぱりそろそろ限界だ。
何せ老いと無縁なハイエルフの寿命は一千年を超え、しかも肉体が滅んだ後は、魂が精霊となって世界の終わりまで自然界を揺蕩うとされる。
この百二十年と同じ生活があと八百五十年も、或いは世界の終わりまで続くなんて、流石にちょっとぞっとしない。
どうせ長い寿命があるのなら、外の世界に出て色んな物を見て、色んな物を食べて、色んな事を経験して、満足してから精霊なり何なりに成りたいじゃないか。
僕は森を流れる川へと向かい、そこで岩を拾ってぶつけ合わせ、何度も何度も割って、石のナイフを作る。
この森の中に加工された金属製品は、存在しない。
鉱石として地の中に眠るなら兎も角、加工された金属製品は、森の木々が怯えるからと言う建前だ。
実際のところはエルフが、鍛冶に優れた種族であるドワーフを忌み嫌うが故の決まりだろう。
だってそりゃあ、木々を切り倒す斧やら何やらなら怖いかも知れないが、スプーンやフォークと言ったカトラリーの類を、木々が怖がる道理がない。
なので森の中で刃物を欲するなら、こうやって石を割って尖らせるか、大型の獣の牙や骨を削って作る。
但し石を割った刃物は兎も角、大型の獣の牙や骨は貴重品で、長じたエルフやハイエルフしか持つ事は許されない。
何故なら未熟なエルフやハイエルフが物欲に囚われたなら、獣に対して無益な殺生を働く様になってしまうから。
そう、つまり僕みたいな欲深には、絶対に持たせて貰えない代物だった。
まぁそんな事はもうどうでも良い。
森から出るのなら、そんな仕来たりは僕には関係がなくなる。
僕は流れる水面に映った自分を見ながら、石のナイフを用いて自らの髪をバッサリと切り落とす。
長い髪は高貴なるハイエルフの象徴とやらで、整える程度で短くする事は許されなかったが、正直ずっと邪魔だと思っていたから。
尤も適当なナイフであまり短くし過ぎると、失敗した時の取り返しがつかないから、とりあえず今は肩位の長さに。
こんな姿を見られたら、ハイエルフの長老達には三日三晩の説教をされてしまうだろう。
しかも数十年はその事を引き合いに、ブツブツと小言を言われ続ける。
そんなのは当然真っ平なので、さっさと森を出てしまおう。
髪を切る。
たったそれだけの事なのに、僕の心は随分と軽くなった。
出発前に挨拶をして置きたい人も、特には居ない。
血の繋がった親は存在するのだけれど、ハイエルフの子供は若い芽として、集落全体で育てられる。
だから血の繋がった親であっても、集落の他のハイエルフと同程度にしか親しみを持てない。
仲の良い相手が居なかった訳ではないのだけれど、森を出る事を話しても理解はしてくれないだろうし。
まぁ、仕方ない。やむをえまい。
これが今生の別れになるとは限らないのだし、縁があればまた会える。
彼等が僕の失踪に気付くのは、多分一カ月位は後の話だ。
そう割り切って、僕は颯爽と森の外を目指して歩き出す。
手荷物には弓と矢、蔦を編んだ袋にアプアの実を詰め、それから石のナイフを持って。
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