クラウディオ・ケラヴノス 十六

 僕に襲い掛かったあの日以来、どうしても断れない先約を除いてはパトリツァ夫人にはしばらく外出を控えてもらうことにした。あの一味から距離を置くためだ。


 そして何日かは僕たちが出勤している間にトリオとの時間を持つようにはしていたらしい。でも、トリオが少しでもぐずったり何か汚したり、オムツ替えをしてもらいたがったりするたびに癇癪を起して喚き散らすため、乳母たちが音を上げた。

 挙句、あの孤児院の子供たちを基準にした「理想の子供の躾け方」とやらをまくしたて始めて……ついに彼らが子供との接し方の見本を見せてほしいと直訴してきた。

 どうやらトリオに手を上げようとすることもあるらしい。僕たちに訴えてきた乳母たちの手や顔にはいくつもの痣ができていた。そういえば、僕も彼女が何度かトリオを叩いたり、投げ捨てようとするのを止めたことがあったっけ。

 僕がいる時なら事前に止めたり、いざというときに治療することができるけど、不在時に万が一のことが起きると対処できそうにないな。

 僕のいない時はあまりトリオと夫人を接触させない方が良いのかもしれない。


 結局、トリオの散歩は毎朝出勤前に僕がすることになって、夫人は僕が彼の世話をしている様子を見ているだけになった。

 毎日ギラギラと憎悪に満ちた視線を送られるので、正直いない方が良いんだけど……朝から精神をやすりで削られている気分。せっかく可愛いトリオと過ごす時間なのに、台無しだよ。

 ただ散歩しながらトリオがいろいろ訊いてくるのに答えてるだけなのに、僕の一挙一動がいちいち癇に障るらしい。直接は何も言ってこないくせに、ぶつぶつと聞こえるように悪態をついているので朝っぱらから鬱陶しいったらありゃしない。そんなにトリオの世話が嫌なら僕がトリオと過ごすのに口出ししなければいいんだ。

 だいたい、早朝に無理やりたたき起こされてるって言っても、僕はもっと早く起きて鍛錬や沐浴や食事を済ませた後だよ?いつもはいったい何時まで寝ているんだろう?夜遊びが当たり前になりすぎていて生活のリズムが乱れているんだろうけど、あれだけの事をしたんだから、少しは身を慎もうって思えないんだろうか?


 そんなこんなで不平不満をため込んだパトリツァ夫人、どうやらここ数日は頻繁にプルクラ嬢と手紙のやり取りをしているらしい。僕のせいで屋敷に閉じ込められて虐げられてるとか、僕が侯爵家を乗っ取ろうと企んでいるのに、エリィも使用人たちもみんな騙されていて誰も味方になってくれないとか、ないことないこと書き散らしているようだ。


 僕はエリィと一緒にいられればいいだけだから、正直侯爵家なんかどうでも良いし、エリィが夫人に冷たくなったのは度重なる裏切りのせい。使用人たちが彼女を嫌っているのは見目の良い男性使用人にはすぐ性的関係を強要したり、女性使用人には当たり散らして暴力や暴言を奮い放題だから。トリオが彼女に懐かないのは自分を嫌っている人だからだし、僕に懐いているのは自分に愛情を注いでいる人だから。


 全部自分に原因があるのに、なぜかみんな僕のせいだと思い込んでいて、僕さえいなくなれば全て思い通りになって当然だと思っているらしい。ある意味おめでたいと言えばおめでたいけど……逆恨みされる側としてはたまったもんじゃない。


 プルクラ嬢からは僕のせいで教会の活動に妨害が入っていることが縷々るるつづられており、地方で貧しい子供たちを救うための活動をしていた仲間が不当に逮捕された、夫人も用心して余計な事を言わないようにと書かれていた。

 二週間ほど前、以前仕掛けた罠にまんまと引っかかって派手に動いた人買いをまとめて逮捕したのだが、おそらくその事だろう。今頃報せが入ったのか、もともと知ってはいたがパトリツァには知らせていなかったのか。

 いずれにせよ彼らが焦っているのは間違いない。


 実はエスピーア殿からも頻繁に手紙が来ているのだが、さすがに渡していない。内容はいつも同じ「今は耐えてください、必ず邪悪な愛人と心無いご主人を罰して貴女を助け出します」だってさ。この間観てきた芝居の話をまだ引きずってるんだね。色男ぶっている割には随分と芸のない事だ。

 ただ、何らかの形で連絡はしているんだろうな、と思う。むしろ大っぴらに送ってくる手紙はカモフラージュかもしれない。

 パトリツァ夫人はともかく、エスピーア殿はずる賢い男だ。間違いなく何か仕掛けてくるに違いない。


 いよいよ一斉摘発を控えた大事な時期だ。足元をすくわれないように気を付けないと。

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