パトリツァ・コンタビリタ十四

 孤児院で天使のような子供達と戯れ、夢のような時間を過ごして屋敷に帰ると、もう夕方になっておりました。

 急いで自室に戻り、着替えをいたしますと、旦那様がお帰りになられたご様子。慌てて玄関までお迎えに参りますと、今日もまたあの方を伴っておいででございました。


 もちろんお夕飯は旦那様とわたくしの二人きり。

 今日も炊き出しの奉仕活動がいかに大変な作業で、わたくしが朝から働きづめだったか、集まった貧しい人々がいかに惨めで、わたくしたちの施しに感謝し涙していたかをご報告いたしました。

 帰りに孤児院に立ち寄り、こどもたちに教会で作ったお菓子を差し入れて本を読むなどして遊んでやったお話も致しました。

 旦那様は下々の者が何を食べているのか興味がおありだそうで、本日のスープに入っている具材は何だったのか、パンはどこのお店から仕入れたのかを事細かに尋ねて下さいました。そのようなこまごまとした事にまで考えが及ぶ旦那様は本当に聡明でいらっしゃいます。


 聡明で行動力に溢れる旦那様は、第二王子マリウス殿下の信頼も篤く、ぜひ側近にと請われていらっしゃるそうですが、なぜか旦那様は一介の法務官僚である事にこだわりがあるご様子。せっかくのお誘いがもったいなくも口惜しゅうございますが、妻が旦那様のお仕事にまで口を挟むのははしたのないこと。

 妻として、黙って旦那様のご活躍を見守ることといたしましょう。


 夕飯が終わると旦那様はまた執務室に向かわれました。

 今日もまたお仕事をたくさんお持ち帰りになったそうです。あのお方はわたくしたちが晩餐を楽しんでいる間も一人で黙々と書類と格闘しておられたようで、執務室に入られる旦那様を迎えた時も、だいぶ疲れたご様子でした。

 どうせなら旦那様がゆっくりしている間に政務を全部一人で片づけておけばよろしいのに。図々しくもこの屋敷に自室を与えられて我が物顔に出入りしているのです、そのくらいやって当然でございましょう?


 朝になって、わたくしは小鳥のさえずりのような愛らしい声で目が覚めました。

既に太陽はさんさんと輝いており、雲一つなく晴れ渡った、爽やかな初夏の朝でございます。わたくしは声に誘われるままテラスへと足を進めました。

 すると今朝もあのお方がアナトリオと歩く練習をしておられます。アナトリオはもう伝い歩きはマスターしたらしく、今は支えなしに一人で歩く練習をしているようです。


「歩くのがお上手になりましたね。さあ、もう少しです」


「だぁ!」


 しゃがんでアナトリオを目を合わせ、優しく語り掛ける柔らかなアルトがわたくしの神経を逆撫でします。アナトリオが輝くような笑顔でそれに答えているのがますます腹立たしく、せっかくの朝の爽やかな気分がぶち壊しになってしまいました。


「お前はいつからアナトリオの乳母になったのかしら?乳も出ないくせに」


 冷ややかな声でたしなめると、ようやくわたくしに気付いたあの方が挨拶を返してきました。


「おはようございます、パトリツァ夫人。いらっしゃったのに気付かず申し訳ありません。もしお時間があればアナトリオ様のお散歩にご一緒しませんか?」


「わたくしがお前のような暇人のような言い方はしないでちょうだい。冗談ではないわ。今日も孤児院に行って子供達と遊んでやる予定なのよ」


「孤児院で身寄りのない子供たちと遊んであげるのは素晴らしいことです。しかしながら、その前にご自身のお子様とも向き合ってさしあげてはいかがでしょうか?

 この年頃の幼子はたくさんの家族の愛が必要です。どうかアナトリオ様とも過ごすお時間を作ってください」


「やかましい。お前ごときが口を出すことではありません。身の程を知りなさい!」


 思わず厳しい口調で叱りつけると、アナトリオは自分が叱られたと思ったのか、あの方にしがみついて大声で泣き出しました。


「どうしたんだ?ものすごい泣き声が聞こえたが」


 すると泣き声を聞きつけて旦那様がいらっしゃいました。


「ごめんね、僕がちょっと出しゃばってしまったみたいで。もう準備できてるならしばらく抱っこしてあやしてあげて?僕も支度してくるから」


 あの方は旦那様にアナトリオを抱っこさせると、そそくさと立ち去ってしまいました。

 まったく、無責任にもほどがあります。

 いい加減、この屋敷から追いだしてしまわないといけませんわね。

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