エルネスト・タシトゥルヌ 十二

 朝起きると、ディディはまず軽く鍛錬をして汗を拭き、朝食を済ませてトリオの相手をする。


 今朝は伝い歩きをはじめたばかりのトリオの手をとって、歩く練習につきあってくれた。よちよち歩くトリオと、そのトリオを笑顔で見守りながら手を引くディディ。朝の光の中で、彼ら自身が輝いているかのように見える。


「アナトリオ様、お上手ですよ。もうこんなところまで歩いて来られました。

 さ、お父様のところまであと少しです。もうひと頑張りですよ」


「だぁっ!!」


 笑顔で励ますディディに応えてトリオがきゃっきゃと声を立てて笑う。可愛い、可愛すぎる。きっと彼らは天使に違いない。


「お父様のところに到着!よくがんばりましたね」


「よくやったな、これでこそ私の子だ」


 ついに俺のもとにたどり着いたトリオを抱き上げて頬ずりすると、実に嬉しそうにしがみついてきた。傍らで嬉しそうに見上げてくるディディの瞳もキラキラと輝いていて、とても幸せそう。

 朝から使用人たちとともに尊い光景にすっかり癒された俺は上機嫌で登庁した。


 夕刻になり、ほどほどの政務が片付いた頃、屋敷から使いの者が来た。

 と、いう事はパトリツァが誰か要観察対象と接触したという事だろう。ディディと顔を見合わせてから渡された紙に目を走らせる。


「パトリツァがティコス家の娘と接触したそうだ。随分と意気投合したようだな」


「大丈夫なの?イプノティスモ家の次男ともだいぶ深入りしてるみたいだけど……」


「念のため早めに帰宅して話をしてみる」


「僕は時間をずらして帰った方が良さそうだね。

僕がいると意固地になって話を聞く耳持たなくなるから」


 気が重いが、とにかく機嫌を取って話をするしかないだろう。残る政務をあらかた整理すると、後はディディに任せて早めに退庁した。


 帰宅すると、パトリツァは上機嫌で玄関に出迎えに来た。


「お帰りなさいませ、旦那様。今日は良い一日でしたか?」


「わざわざありがとう、パトリツァ。今日も仕事ははかどりましたよ。

 このところ政務漬けで一緒に食事もできず、すみませんでした。今日の夕飯はもう済ませましたか?」


 俺が尋ねると、パトリツァは一瞬目を瞠ると驚きと喜びを露わにしたが、次の瞬間にはとりすました顔になってフンと鼻を鳴らし、高飛車な口調で答えた。


「まだいただいておりませんわ。もしよろしければご一緒できませんか?」


「もちろんです。では後ほど食堂で」


 夕食の席では、ティコス家の娘プルクラがいかに美しく聡明で優しい娘で、流行に敏感で様々な娯楽に通じており、話していて楽しい存在かを延々と話していた。

 そして近日中に巷で人気の芝居を一緒に見に行こうと誘われているのだと。できれば屋敷に招いてゆっくり二人で過ごしたい、と言われて少々思案する。

 ティコス家は教会を隠れ蓑にした児童買春と人身売買に深く関わっている疑いのある家だ。しかし、人気のある芝居の舞台であれば、公共の場で人目も多いのだからおかしな事にはなるまい。

 まして、我が家に一人で乗り込んできてもたいしたことはできないだろう。

 パトリツァもこんなに喜んでいて上機嫌だし、うまくするとあちらの手の内もわかるかもしれない。あまり警戒した態度を取れば、捜査の手が間近に及んでいる事を悟られてしまうだろう。

 ここは快諾した方が良さそうだ。


「貴女がわざわざお一人だけ屋敷にご招待するということは、よほど親しいお友達なのですね。丁重におもてなしするよう、皆に申し付けておきましょう。ぜひ楽しい一日をお過ごしください」


 意識的に優しい笑顔を作って答えると、パトリツァはやはり一瞬だけ嬉しそうな顔をしたものの、すぐに面白くもないという顔に戻って「当然だ」と言わんばかりにフン、と鼻を鳴らした。可愛げがないことおびただしいが、まぁ仕方ない。


 夜、久しぶりに寝室を共にする羽目になった。

 うまく務めを果たせるか不安だったが、背後から赤い髪だけを見つめて、常に傍らにある輝くような茜色を思っていたら何とかなった。

 とりあえずは義務を果たせたことに安堵するとともに、事後とてつもなく罪悪感にかられてしまう。パトリツァに対しても……何よりディディに対しても。


 たとえ妄想の中であっても、 彼をけがすような真似はしたくない。それに、身代わりにされていると気付いたらパトリツァも惨めだろう。

 やはり政務を口実に極力私室で休むようにしよう。

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