パトリツァ・コンタビリタ 七
エスピーア様との夢のようなひと時を終えて帰って来たわたくしが子供部屋の前を通りがかりますと、ちょうど旦那様がアナトリオを抱いたあのお方と共にいらっしゃいました。
「お帰りなさいませ、夫人。ちょうどアナトリオ様がお休みになるところです。ご一緒に寝かしつけなさいますか?」
あの方が
子供の世話は乳母に任せ、母親は余計な関わりを持たぬのが正しい貴族の在り方というもの。乳母でもないあの方がしゃしゃり出て良い幕ではございませんわ。
「結構ですわ。わたくしは我が子を甘やかして、一人で眠る事もできぬ出来損ないにするつもりはございませんの。お前も出しゃばって余計な事はしないように」
侯爵夫人にふさわしく
「パトリツァ?貴女は何か勘違いしていませんか?」
「勘違いしているのはあの者でしょう?わたくしは気分が悪いのでこれで失礼いたしますわ」
「あ、待ちなさいパトリツァ」
「気分が悪いと申しております。旦那様もお暇ではないのですから、アナトリオの事は乳母にまかせてお仕事にかかられてはいかが?おやすみなさいませ」
こんな時ですら旦那様はあの方の肩を持つのです。
わたくしは悔しさに涙が
翌朝、いつもより遅く目覚めたわたくしは、テラスから聞こえる鈴を振るような笑い声に心惹かれてそちらに向かいました。見ると、あの方がつかまり立ちをするアナトリオを支え、伝い歩きの練習をさせているではありませんか。
旦那様のもとへと一歩、また一歩とおぼつかない足取りで歩みを進めるアナトリオを、旦那様が
「お父様のところに到着!がんばりましたね」
「よくやったな、これでこそ私の子だ」
旦那様のもとにたどり着いたアナトリオは、父親に抱きあげられ、頬ずりされて実に嬉しそう。きゃっきゃと笑いながら甘えるようにしがみついておりました。
その温かな輪の中にわたくしは存在しません。
輝くような幸せに包まれた光景に、わたくしは疎外感と惨めさに苛まれながら誰にも気づかれぬよう、とぼとぼとその場を立ち去るほかありませんでした。
朝食を終えるとわたくしにはもう今日の予定はございません。
茶会やパーティーを開くにも旦那様のお許しが要ります。今のお仕事が一段落つくまでこのお屋敷に人を入れるのは控えてほしいとおっしゃっていて、当分の間は茶会を開くことも難しいのです。こんな時こそ、どなたかお誘い下さればよろしいのに。
さて、今日はどうやって時間をつぶそうかとぼんやり邸内を歩いておりますと、両手いっぱいに書類を抱えたあの方に出くわしました。これから旦那様と役所に出勤するご様子です。
「毎日毎日、我が物顔にわたくしの屋敷をうろついておりますが、ここはお前の家ではございませんのよ。これ見よがしに忙しそうに振舞って、わたくしへのあてつけでしょう?」
「おはようございます、侯爵夫人。何かお気に触ったようで申し訳ございません。
もしや、夫人もご主人の手助けをしたいとお考えでしょうか?ならば領地の帳簿などをご確認いただければ……」
「お黙り。わたくしのような高貴な夫人が帳簿なぞ見るわけないでしょう。
だから
「それは失礼いたしました。では貴婦人らしく刺繍でもされてはいかがでしょう?
そうそう、近頃ではイリュリアの貴婦人の間で絵を描くのも流行っているらしいですよ。そう言えばアニサ王女のサロンでは近頃さまざまな楽器の合奏をされているとか。お招きがあった時のために何か練習されるのも良いかもしれませんね。
それでは私はこれより出勤ですので、失礼いたします」
書類を抱えたまま器用に一礼して立ち去るあの方を、わたくしはただ歯噛みしながら見送りました。
悔しいですが、大量の書類を抱えて早足で歩いていても、あの方の優雅で儚げな美しさは損なわれません。口汚く罵られても、控えめな笑みを絶やさず、丁寧に対応されます。
あの取り澄ました顔を嫉妬や屈辱で歪め、はしたなく喚かせることができたなら、どれほど
それに引き換え、わたくしはなんと惨めなんでしょう。
社交界の華であるわたくしは日々茶会や夜会に忙しく、刺繍のような下らない
ですから、今日のように誰からもお招きがない日には、何をして良いのかわからず途方に暮れてしまうのです。
わたくしはこの家の中だけでなく、社交界でももはや居場所はないのでしょうか。そんなはずはございません。
わたくしこそがご令嬢ご婦人方の羨望の的、社交界の華でございます。
しみったれた刺繍や汚らしい絵画のような賤しい趣味がなくても、その華やかな輝きに誰もが
わたくしは
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