その朝のすべてを準備された日。
ももいくれあ
第1話
ワタシの朝はやっぱり騒がしかった。
相変わらず、カノジョたちの朝食を作ったり、洗濯物をONにする準備をしたり、
燃えるゴミを捨てに行くために、髪にドライヤー用のクリームを付けたり、スカートに見えるワイドパンツをクローゼットから選んだり、眉を描かなくてもいいように見えるメガネを寝室にとりにいったら、なくって、部屋中探し回ったり、
とにかく、慌ただしく、細かいコトの積み重ねで埋まっていった。
細かいコトを折り重ねて、ワタシは、ようやく珈琲を挿れようとしていたことを思い出した。
ここまでに1度目の目覚めからすでに1時間半が過ぎようとしていた。
豆はペーパードリップ用にひいてもらい、冷凍庫でそれらは静かに眠っていた。
紅茶の茶葉は常温保存らしいと聞いたが、珈琲豆は冷凍保存。1ヶ月位で使い切って欲しいと言って渡された。珈琲の豆が一滴二滴ゆっくり落としたお白湯を含み、ふわぁと膨んで、香りを放っていく。じっくり4-5分かけて回しかけたお白湯が、深い味わいじんわりとした朝の珈琲に仕上がっていく。騒がしかった朝のほんの少しの安らぎとも言える香り。ホッとした。色んな意味で。ワタシのココロは鎮まっていった。
そんな朝の決まり事。
それは、左腕に巻いて圧をかける事。ワタシは色んな意味で不自由だった。特に午前中はたいへんで、ひとつ事をこなすと、左腕にひと巻き。ぎゅーっと何度となく圧をかけた。
76、52、55、不整脈。やっぱりこのくらいかと。肩を落とす訳でもなく、ワタシはベッドになだれ込んだ。低い時には60台迄下がってしまい、立っていられない。立ちくらみと、吐き気に襲われるだけでなく、今朝は頭痛も近づいていた。そういう時はとにかく、横になる事だ。と色んな人、ドクターや保健室の先生や近所のお婆ちゃんも言っていた。ワタシの朝はいつもいつも、吐き気とめまいと、頭痛と、立ちくらみと、そういう事で埋め尽くされていた。幼い頃からそうだった。つい最近たずねた病院のドクターには幼少期からの症状でかなりご苦労されたでしょうね。と言われたところだった。
出来たよぉ〜。いい香りがしてきて、ぼぉーとした頭のワタシは2回目の目覚めをかみしめていた。
黄色くて、こんがり焼きあとがついて、スパイシーな茶色い魅惑の粉とトチのハチミツがかけられた、フワフワのフレンチトースト。それは、やっぱり、すべて忘れそうになるくらい心地良かった。
らせん階段を駆け下りて、ふかふかのクッションの椅子に腰掛けたワタシは、思いっきりその香りを吸い込んで、満足げに微笑んだ。ありがとうのコトバの代わりに。カレはそれで充分だった。それ以上でもそれ以下でもなく、ただワタシが2回目の目覚めを乗り越え、フカフカの席に座った事だけで大満足だった。そして、カレは一口目のフレンチトーストを頬張り、満足げに微笑んだ。はにかんだ。香ばしさや、甘さや、優しさや、温かさに包まれた香りが充満するリビングで、1人。ワタシは少しだけ泣いていた。
嬉しくって泣いていた。と同時に、そのすべてを一口も食べる事ができない自分自身がいる事を再確認させられて、苦しくってもうすこしだけ泣いた。
食べたくても、ノドを通る事ができないそれらの食べモノたちと、ワタシは日々押し問答を繰り返した。いったい食べるのか、食べられないのか、口の中の入れるまで私自身でもわからなかったら厄介だった。
そんなステキな朝の記憶。
気がつけば14時を回っていた。3度目の目覚めを迎えたワタシは、ミントとバジルに水分補給をする事を思い出していた。最近は、自家製ミントに有機栽培国産レモンをほんの少し絞り、たっぷりの炭酸水を2ℓ入りの入れ物に4つは常備していた。
夏が来た。
それは、ミントにそそのかされた夏の知らせでもあった。
バジルも大好きだった。だって、どちらもほとんどカロリーがないから。ミント炭酸水は1日に3ℓは飲み干した。そのすべてを飲んだところで、ほぼ、カロリーはなかったからワタシはココロの底から安心して、グラスいっぱいに注がれたそれを一気に飲み干す事ができた。
バジルは。というと、トマトととても仲が良かった。冷静パスタにすれば、毎日でも食べられる。エキストラヴァージンオリーブオイルはお気に入りのスペイン産。白ワインビネガーに、いつものレモンを少し。シチリア産岩塩に、黒胡椒。とってもシンプルで、スッキリした冷静パスタの出来上がり。もちろん、飲みモノは、昼はミント炭酸水。夜は、白ワインと決まっていた。フランスロワール地方のものではなくて、敢えてニュージーランドのソーヴィニオンブランを選んだ。青々しくてほんのり草の香りがするフレッシュな白。
6月に入ってすぐ始まった自家製ミント炭酸水と自家製バジルの冷静パスタ。1日に1度か多い時で2度。気がつけばずっと続いている。今のワタシが受け入れられるモノ。あんなに美味しかったフレンチトーストを食していた日々は遥か遠くにかすんでみえた。そんなワタシの偏った毎日を支えるカレ。1日に何度も目覚めるワタシに根気よく付き合ってくれていたカレ。そういえば、今日は見ていない。さっきまで、その気配をうっすら感じていたはずのカレの姿が見当たらない。
いいわ。べつに。いいのよ。いつだって。ワタシは自分自身に言い聞かせた。
いつも、いつでもそばにいてくれたカレの影が、いつのまにかうっすらとしていた事を、ほんとはとっくに気づいていた。
その朝のすべてを準備された日。 ももいくれあ @Kureamomoi
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