16:彼女は境界線上で死んだ

 一方その頃、俺と美子は道を渡り終え、波灘一郎と向かい合っていた。


「やあ、どうも」

 俺はともかくそう挨拶をすると、べたりと地面に座り込んだ。美子もすぐに座り込み、俺にもたれかかる。

「ねえ、あんた、なんか飲み物持ってない?」

 一郎は首を振る。

「何も持ってないんだ……この中には、その――」

「久美の首が入ってるんだろ? 俺達は味方だよ。今、間賀津――武文だっけ? どうやらすぐ近くにいて、君達を操ってたんだけど、さっき、とても頼れる人が捕まえに行ったんだ。なあ?」

「そうね。ま、頼れすぎて多分、間賀津は五体満足でいられないと思うけどもね……指が揃っているといいんだけど――」

「ちょ!? それって、あれ? けじめ的な!?」

「刃物の類がない事を祈るわねえ」

 俺と美子のやり取りに、一郎の緊張が段々と解かれていくのが伝わってきた。


『……その声、マドモアゼル寿美子さんですよね? 私ファンなんです!』


 女性のくぐもった声。バッグの中の久美の声だ!

「そうよ! 嬉しいわね! 間賀津久美さんね?」


『……波灘久美です』


 一郎がはっとした顔でバッグを見る。


『私達、結婚するんです。あと二年後に……』


 俺は絶句した。

 御頭さんから渡された資料――誰彼構わず魅了する久美――一郎はそんな彼女の能力が効かず、ある時、久美は自分の呪われた運命に確信を持ち、誰かに相談を――いや、そんなことしても意味がない。どうやったって変えられない。最初っから私は袋小路にいて、冷たい鉄のベルトコンベアに乗せられて一定のスピードで肉轢き機に運ばれていくただの物で、私をチヤホヤしてくれるのは私の目の所為で、こんな目なんか無くなっちゃえば――何をやってんだ!? 離してよ! あんたに私の何が判るって――だったら判るように言えばいいだろう! 君は――波灘君は――どうしてそんなに優しいの? それは――僕は――君が――本当に好きで――


「イダケン、それ以上はダメよ」


 美子が俺の目の前に開いた手を掲げた。ふっと、現実が戻ってくる。

「あんたにはそこが限界。もう読まなくてもいいの」

 美子は手鏡を取り出すと俺に向ける。目の端から血が垂れていた。頭痛もしてくる。

「で、でもよ!」

「あんたは今、二人に同情している。それは仕方がないのだけども、同情に溺れたら駄目よ! この問題はあんたが横やりを入れるべきものじゃない! 二人が決めるべきものよ」

 美子はそう言って、一郎にスマホを翳して厳しい視線を送った。


「今、間賀津を拘束したって連絡が来た。だけども、すぐにあんた達は追われることになる。恐らく間賀津は邪眼の情報と一緒に久美のプロフィールを各国の呪術バイヤーに流している。一郎君の姿も動画で実況されたと思う」


 一郎は口を真一文字に結び、バッグを愛おしそうに抱えている。中の久美は、目を閉じて一郎の胸に顔をうずめているのだろう。

「な、なんとかならんのか!? なんとかしようよ!」

 俺の言葉に美子は首を振った。

「選択肢は少ないわ。あたしにだってできることの限界がある。何より、この『国』がその答えを欲しているの」


 胃が重くなる。


 使い方によっては、大勢の人をノーコストで瞬時に殺害できる兵器。

 大量呪殺兵器とでも呼ぼうか。

 それは――管理されるべきものなのだろう。


「でも――彼女は生きてるじゃないか!?」

 一郎がびくりと体を震わし、そして首を振った。


「そうだ……忘れてました……彼女は死んだんです」


 俺は体を震わす。

 やっぱり、この二人は――


「彼女は……境界線上で死んだんです。僕は――僕たちはそれが判っていたのに、ずっとそれから逃げていたんです。あの時、首を切り離してすぐに燃やすつもりだったあの時、彼女の首が目を開けて話だした時に、僕は決断すべきだったんだ」


『……そうね。でも一郎君は――あなたは死んじゃ駄目だよ。整形をして、それから――』


 一郎は笑うと、バッグを自分の方に向けジッパーを引き下ろした。

「君独りじゃ寂しいだろ? 僕はそういうのに慣れてるからね。色々教えてあげられると思うんだ」

 泣いている。

 今、久美の首は、目を閉じて泣いている。

 一郎はバッグを持ち上げ、それから愛しい人掻き抱くように顔に近づけると、多分キスをした。


「御頭さん、トラックを」


 俺がはっと我に返ると、美子がスマホにそう言っていた。

 轟音と共にトラックが三台近づいてくる。

「お、お前、何を――」

 美子は、情けない声を出すことしかできない無力で無責任な俺の頬を張ると、手を引っ張ってその場から駆け出した。

「二人は死ぬつもりだった。それは、あんたにもわかってたでしょ?」

「そりゃ――そりゃそうだけども――だって――」

「いいから、走れ! あたしらがいると邪魔になる!」

 通りの向こうに辿り着くと、俺の足は限界だったのか、膝から勝手に崩れ、転がるように座り込んだ。

 一郎の前に銀色の長いコンテナを積んだトラックが横付けし、その左右も二台のトラックのコンテナがバックで塞いでいた。

 御頭さんが助手席からコンテナの上に駆け上がる。彼は火炎放射器のようなものを背負っていた。

「まさか……燃やすのか」

 ぼうっとした俺の言葉に、美子は割と大きな声でこう答えた。

「凍らすのよ。あのコンテナは結界が施してあんのよ。で、どこからも干渉できない状態にしつつ、被害の拡大を抑え――」


 俺は美子の顔を見る。

 美子は俺を見つめ返し、更に声を張った。


「上に簡易結界の投網を張ってね! そんで冷凍剤を噴霧して拘束する! で、諸々の検査後は――」

 俺は顔が緩むのを必死に耐え、深刻そうな声を出した。

「……廃棄されるのか?」

「そうよ! 粉々にして海洋もしくは火山に投棄されるわ! これで、おしまいよ!!」

 俺は、そうかと頷いた。


 そして、ごろりと路上に寝転がって、そのまま意識を失った。

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