15:ムラシー

 後から聞いた話である。


 村篠さんもやはり怪我をしていたのだそうだ。本人はかすり傷と言っていたけども、美子が無理やり病院に連れて行ったら、骨が『そこら中』折れていたとか。本人曰く、『痛みに強い』んで気が付かなかったとか。まあ、美子に言わせれば『やせ我慢が過ぎて鈍感になっている』のだそうで、俺もそう思う。


 ともかく村篠さんはヘッドセットのカメラを走りながら装着するとビルに走り込んだ。警報が鳴り、足元は水浸し。どうやら停電しているが感電の可能性もある中、ビルから出ようとする人の波が押し寄せてくる。

 間賀津は中に留まるのか、それとも人の波に紛れて脱出するのかは判らない。だから、一瞬だが外見を脳に焼き付けていた村篠さんは人波の真ん中で仁王立ちしながら、間賀津武文と名前を叫んだ。

 辺りは騒然としていたが間賀津は自分の名前の不意打ちに、はっと身を固くしたらしい。村篠さんから見て右斜め前方七メートル。丁度一階階段降り口に一歩踏み出した正にその時だった。


 二人の視線が一瞬絡み合った。


 間賀津はきびすを返して階段を駆け上がった。だが、村篠さんは冷静に壁に張られたフロアマップを確認した。出入口は表と裏。各階に非常階段あり。エレベーターとその横に階段が一つ。そしてエレベーターは動いていない。

 村篠さんは二階に上がると非常階段を調べた。鍵はかかってないが扉は重い。開いて外を見る。鉄骨剥き出しだが建物の裏のためにダメージはないように感じられた。レストランかカフェの制服を着た男女八人が手摺に捕まって速足で降りてくる。手には黒い小さなバッグ。恐らくは店の金だろう。

 村篠さんは中に戻ると、手を離して扉が自然に閉まるのに任せた。ごごんっと金属扉特有の武骨な音が微かにする。

 村篠さんは三階に上がる。二階に来るとき、間賀津と思われる階段を上がる足音がまだ聞こえていた。フロア自体は広いから虱潰しらみつぶしに探すには時間がかかりすぎる。


 さて、追われる立場として、間賀津はどう考えるか?


 俺なら、と村篠さんはニヒルな笑みを浮かべて語った。近い将来金が転がり込んでくるという状況で、力量の解らない自分を確実に追ってくる相手に対し、隠れてやりすごすことは絶対にしない。なんとしてもビルを出るか、それとも相手を殺すかの二択だろう。


 間賀津は逃げる方を選んだらしい。

 しかし、その方法が絶望的に間違っていた。


 四階に上がった時、村篠さんの目の雨に草原が広がった。

 間賀津が仕掛けた幻覚である。美子によれば、恐らくは床に施した結界に入った人間の視覚に任意の情報を流し込む、という術だったらしい。

 だが、村篠さんには術が効かないのである。勿論、物理的な衝撃の影響を受けるから、四天王みたいに殴ったり切ったりという相手や、火や水を操る相手には注意を要するのだが、呪いや幻術の類は話が違う。


 村篠さんには目の前の草原が『半透明』に見えたそうだ。


 本来なら肌に風すら感じるレベルの幻術だったらしいが(美子曰く、間賀津はそういう『卑怯な術』は腕がよかったらしい)、村篠さんからすれば、ぐちゃぐちゃになった四階のフロアの前に垂れ下がった薄膜で上映される安っぽい健康食品CM程度の物だったそうである。

 間賀津は悠々とした足取りで、靴音高く棒立ちの村篠さんに向かってきた。横をすり抜け階段を降りようとしたのだろう。非常階段を使っていたら、違う結果になったかもしれないが、ともかく間賀津は(村篠さん曰く)村篠さんの目が自分を追ってゆっくりと動くのに気が付いた。


 ぎょっとして、間賀津は足を止めた。


 村篠さんがゆっくりと顔を間賀津に向ける。

「きかねえから」

 簡潔な宣言に間賀津は小さく喘ぐと、懐から短刀を取り出した――まあ、出したまでは良かったが、すでに村篠さんの拳が顔面を砕いていた。


 四階の監視カメラが奇跡的に生き残っていたので、その後の村篠さんのあれやこれやは残らず記録されていたのだが、美子に言わせれば、いつもより大人しかったらしい。殴り倒された間賀津はその後マウントでボコボコにされ、両腕、顔面、肋骨、尾てい骨、その他諸々の骨を折られ、(村篠さん曰く、揉み合いの際の不可抗力で)短刀が右太ももを貫通し、ショックで気絶したまま御頭さんの部下に拘束(というか緊急搬送)された。


 ところで、どうして、そんな便利な体になったのかと俺が問うと、村篠さんは少し恥ずかしそうに笑った。

「ま、若気の至りってやつよ。昔、殴りこ――じゃなくて、ちょっとした喧嘩でちょっと頭に怪我をしてな。それが原因じゃねえかな」

 村篠さんはそう言って、こめかみの辺りに長くついた傷を指差した。

 俺は何も言えず美子に目で訴えると、彼女は片手で銃を撃つ真似をした後、頭ボーンというゼスチュアをした。


 俺は、凄いっすねという言葉を何とか絞り出すだけで精一杯だった。

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