9:配信部屋

「ここ? 間違いない?」


 時刻は午後三時を過ぎた頃。俺達の車は病院から数キロ東に行った大通りで横に寄せると停車した。左側には大きな看板と色とりどりの幟が並び、黒字の毛筆体で月面書店と書かれている。

「あ、あれだ! あのポスターの先を曲がってすぐにガーンと来た!」

 俺が指差したのは店の窓に張られたポスターだ。『爆売れ中!』と勇ましい手書きのラミネートポップが貼られたそれは、昼に観たエロDVDのものである。それが貼られたすぐ横には、細い道があり、住宅街に続いているようだった。


 おばちゃんがサングラスを外して窓から外を伺う。

「最近のHな店は小奇麗になったわねぇ……ん? 何も感じないわね……あ、ちょっと、感じるけどもこれは――微風ってとこかしらぁ?」

 人差し指を額に当て、目を瞑っていた美子も、あたしもあまり感じないと溜息をついた。

「どんどんヤバくなるわね……」

 俺は恥ずかしくなった。持ち上げられて、霊能力者気取りだったようだ。

「い、いや、すげーすんません。勘違いだったみたいで――」

 美子が違うわよ、と首を振った。

「あんたの霊視は多分外れてないわよ。ムラシーこの道、駅に通じてるんでしょ?」

 村篠さんはサイドミラーを確認すると、ゆっくりと車を発進させる。

「ああ。地図ソフトで見た限りじゃ、この横道を入っていくと、ちょっと先のガードを潜るよりも早く駅の向こうに行ける。で、例のスーパーの裏手を通る細道にも繋がってる」

 俺はぎょっとした。

「まさか、通勤とか通学路とかそういうこと?」

 美子が頷く。

「とはいえ、そんなに有名な道じゃなかったんでしょうね。多分エロDVD屋がここにあるから無意識に避けていた人が多かった。じゃなければ、被害はもっと大きかったかもしれない」

「エロさまさまってわけか……」

 おばちゃんがふっと笑う。

「真面目なトーンでぇ」

 美子がぶふっと口を抑え、笑かすなと俺の肩をばしりと叩いた。車が横道にするりと入る。

「……え? いや、大丈夫なの、これ? なにか防御的な事をしたりとかは――」

「多分平気よ。邪眼ってのは力が強くなればなるほど制御が難しいの。このレベルだと目を開いただけで発動するんじゃないかな。

 で、その段階までいったなら、目を閉じても色々漏れちゃうわけよ。

 とこらが、今はそういう気配がミジンコほども感じられない。だからもうここにはいないか、寝てるか、それともすでに死んでるか。

 死んでて欲しいんだけどなあ……」


 細い道だった。両側は一軒家が続いている。右の家の門の向こうで犬が俺達の車に向かって吠えたて、尻尾を振った。

「……周辺の生き物を無差別に攻撃って線はこれで消えたわね」

「しかし、それじゃ意図せず邪眼持ちになったら普通の生活ができないよな。そういう人たちはどういう生活を――」

「まあ色々よ。大抵は、色々あって最後には鏡で自分をじっくり見つめて終わりよ」

 俺は、うおっと言葉を詰まらせた。

 道はゆっくりと右にカーブしつつ、少しだけ登り気味に傾斜していた。先には踏み切りが見える。美子は窓の外を睨みながら、眉をひそめていた。

「ムラシー、ちょっと止めて」

 俺とおばちゃんは、美子が覗いていた窓にへばりつく。一軒のアパートがあった。

「成程ねぇ。道沿いで一軒家じゃないのはこれだけで、ここの窓からなら道に入ってからずっと有効範囲ねぇ」

 おばちゃんはそう言うとサングラスをはめ、ドアを開けて外に飛び出した。慌てて俺も続き、美子がドアを閉める。車はすぐに走り出すと踏切を渡って行ってしまった。


「おばちゃん、どう?」

 美子は俺の頭にヘッドセットカメラを付け、自分の頭にもカメラを付けた。

「ここも撮るのかよ!?」

「あったりまえでしょ!? 番組に使うかもしれないけども、それよりなにより、検証用に使えるのよ。映像ってのは、あたしらが肉眼で見逃した物がちゃんと残ってるの。いい? これからのカメラはそういう意味もあるんだからね? 勝手に止めんじゃないわよ?」


「……カメラを止めるな、と」


 うるせえよ、と美子が俺にツッコむ傍らで、おばちゃんは顎をさする。

「やっぱり何も感じないわぁ。とはいえ、安全策だけは講じるわよぉ」

 おばちゃんはそう言うと、両手をぱぁんと景気よく打ち鳴らす。

 途端に空気が一瞬揺れた。

「う、うわっ!? 何これ? あ、山のあれと同じく結界?」

「そうよぉ。このアパートの周りに張ったわぁ」

「……俺達は中に入るわけでしょ? 爆弾処理みたいなもん?」

 美子が頷く。

「邪眼の持ち主が意図的に人を攻撃したとなればテロリストだから、その表現でドンピシャかもよ。トラップとして本物の爆弾が仕掛けられてる可能性だってある。まあ、おばちゃんの結界は物理攻撃も防げるから周囲に被害は――」

「警察呼ぼうぜ!」

 俺はにこやかに美子に親指を立て、それは後でね! とにこやかに返された。

「安心して。今頃ムラシーが御頭さんに連絡してるから、不法侵入とかそういうのには問われない!」

「わー、ホッとしたー。ってか、御頭さん来るなら、そっちに任せたほうが……って、御頭さんは霊視できないのか。はい、判ってます。俺達が原因を見つけなくちゃならないのよね。うん……」

 そういうこと、と美子は懐から手鏡を二つ出した。

「まあ気休めで」

「見られたらかざせ、と」

「それじゃ間に合ってないでしょ。前に掲げて進むか、後ろを向いて鏡に映しながら歩くのよ。あたしはめんどいから前に掲げて進むけど」

 そう言って美子は鏡を構えてすたすたと歩きだす。俺も同じように構えて続いた。


 アパートは二階建てで、電気メーターが横にある階段の下にあった。美子はすぐに一つの部屋の電気メーターを指差し、声を潜める。

「動いてない。表札は?」

 メーターの横には各部屋のポストがまとめて取り付けてあった。それぞれに名札が張り付けてあったが、メーターが動いていない一階端の101号室には何もなかった。

「多分空き部屋だ。行くのか?」

躊躇ちゅうちょするよりも行動にうつすべし!」

 美子はさっとアパートの裏側にまわる。日陰でじめっとしたそこには玄関が並んでいた。一番手間のドアが101――

「……開いてねえか?」

 俺達の視線の先の101のドアは細く、しかし確実に開いていた。

「こ、これ罠とか――」

 美子は躊躇なくドアを開いて鏡をかざすと、続いて中に踏み込んだ。俺は慌てて続く。

「さっきヤバイ事になったって言ったでしょ。あれ、どうしてだか理解した?」

 美子は土足でずかずかと部屋に上がると、腕を組んで忌々しそうに天井を見上げた。俺も迷った挙句、土足であがる。

「……移動したってことか?」

「そうよ。正直ここで死んでてくれれば解決だったんだけどね」

 天井からごとごとと音がした。

「ねずみか?」

 俺の軽口に、美子は頭を振った。

「あたしのうなじを見て」

「……うお!? すげぇ鳥肌が立ってる!」

「おばちゃんが感じた微風がいるわ――」

 ばりんと何かが割れる音がした。

「訂正。今強引に結界の一部を破って出てったわ。こりゃ微風どころじゃないわよ。なんだろう――動物霊――いや式神か? うん? 名前が――まがつ? ん?」

「は!? 式神? まがつ?」

「いや、行っちゃったものは、ほっときましょう。今はここよ……」


 部屋には弁当やお菓子の袋、ペットボトルが置いてあった。散乱しているのではなく、一ヶ所にまとめられている。

 俺はしゃがみ込むと、袋に手を伸ばした。美子がさっと俺の手を掴んだ。

「ちょいと待った! やるの? いいの? さっきのとは危険度が違うわよ? 死ぬことはないと思うけど、負の感情の影響で鬱になったりするわよ?」

 俺は手を引っ込め、それからゴミを見た。

「……って言ってもな、見なきゃ追えねえんだろ?」

 美子は渋い顔で部屋を見渡し、しゃがみ込むとゴミをがさがさとやる。

「……都合よく身分証明書とかは落ちてないみたいね。ああ、もう!」

 美子は俺に後ろを向けと手で合図をする。

「やるしかないから、やるけども、安全策としてあたしも手を貸すわ。これも――カメラで撮るわけだけども、参ったわね……」

 俺は肩越しに首を捻った。

「え? 何か問題でも?」


 美子はしゃがみこむと、がばりと俺に抱き着いた。


「困るのよねえ、こういうのは。ファンが減るわ」

 背中に当たる胸の感触にドキリとした俺は、それがわざとやられているのに気づく。美子はニヤニヤとしながら体を上下に揺すっていた。

「どうよ?」

「……いや、正直興奮してるわ」

「エロい気分になった?」

「ま、まあ、そういう感じっすかね」

 繰り返すが美人であるし、抱き着かれて判ったが結構『ある』のだ。

「その調子よ。負の残留意思とか感情に対する特効薬はエロだからね」

 美子は俺の耳元で、エロっぽくそう囁くと、俺の頭のカメラを指差した。

「でもラブホで怪談話とかあるじゃないっていう、そこの君! ヤっちゃってる最中には出てきてないでしょ!? 賢者タイムにはそりゃあ出るわよ!」

「わかったわかった。だから、そんなに耳元で声を張るなっての。まあ、くびれ鬼の時と同じってことね。エロは偉大だなぁ!」

「偉大よぉ! これを否定してしまったら、人は何のために知性を持ったか判らなくなると思わない!?」

「今あらゆる宗教と色んな団体を敵にまわしたぞ」

「安心して。いざとなったらピー音で消すから。エロ万歳!!」

 俺は美子と一緒にゲラゲラ笑うと、袋めがけて一気に手を伸ばした。


「ムラシー、どっかテキトーな駐車場に急いで!」

 俺達が車に転がり込むと村篠さんは車を急発進させる。

「コンビニの駐車場でいいか?」

 美子はスマホを耳に当てながら頷いた。俺はといえば、断続的に襲ってくる頭痛に体を折り曲げ呻き声をあげていた。暖かい手が背中にそっと添えられ、顔を上げるとおばちゃんが難しい顔で俺の背中をさすっていた。

「イダケンちゃん、大丈夫ぅ? 相当消耗しているみたいだけど?」

「ま、まあ、ヤバいですけど死にはしない感じですかね。み――マドモアゼルが助けてくれたんで」

 美子が俺の頭をわしゃわしゃとかき回した。

「あたしはほとんど何もしていないわ! あんたはよくやってるわよ! 給料楽しみにしてなさいね、コンチクショウ!」

 俺は親指を立て、再び体を折り曲げた。頭の中でさっきまで見ていた光景が何度も何度も何度も嫌って程再生され続ける。


 真っ暗闇の中、喚き続ける血まみれの女性。

 傍らには大きな刃物――牛刀? 

 それを見ていた俺――男の子はおずおずと跪くと、彼女の頭を持ち引っ張り始める。

 悲鳴、怒号、肉が千切れていく音、吹き出す血、痙攣する体、男の子の泣き声、吐き気、骨が、捻る、まだ骨が、もう一回捻る、彼女の顔が上を向いて、血まみれの口から舌が飛び出して、ふっと体が後ろに倒れ、手がすっぽ抜けて、重い物が地面に落ちる音が――


 車がコンビニの駐車場に滑り込むと美子が怒鳴った。

「原因は邪眼よ! それと、あんたが言ってた『のっぴきならない状況』っての教えなさい! 現場に式神がいたわよ!」

 おばちゃんが忌々しそうに舌打ちする。

「式かぁ。くそっ、わかってりゃ、違う術式で逃がさなかったのに。舐めすぎたわぁ……」

 美子が続けて怒鳴る。


「あと、『まがつ』って名前に心当たりは!? 

 もしかして、あの『まがつ』なの!!?」」


 電話の向こうで御頭さんが毒づくのが聞こえた。どうやら霊視は成功だったらしい。

「む、村篠さん、これ――よ、読めます?」

 俺は部屋の中で拾ったレシートを手渡した。裏面に霊視直後に書きなぐったアドレスは、所々力が入りすぎて滅茶苦茶な事になっていた。

「大丈夫だ。これは今ここで開いてもいい奴か?」

「多分大丈夫ですけどマドモアゼルの電話が終わるまでは――」

 美子がちょっと待ってろと手で合図する。村篠さんが顔を寄せてきた。

「おい、これ頭の部分が有名動画サイトの奴だけど、どういうことだ?」

「こ、高校生男子がアップしてる動画のアドレスっす!」

「は? 高校生の動画?」

「何よそれぇ?」

 おばちゃんと村篠さんが顔を見合わせる。

「その男の子が邪眼持ちなのぉ?」

 おばちゃんの質問に美子がスマホを切って、違うわと首を振った。


「そのガキが持ち運んでる『首』が邪眼持ちなのよ!」

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