第6話
「ふぅ……ここまで来たら、大丈夫かな」
山を下り、村から離れたところまで来た。
ネロの領域で岩を担いで訓練していたお陰か、ちょっと走ったくらいであれば、全く身体がしんどくはなかった。
「でも……こそこそ逃げてきたなんて、なんだか悪いことしてた気分だ」
『我の祭壇を破壊したのであるがな』
悪いことはしっかり行っていた。
「ご、ごめんね、ネロ……」
『まあ、村の者が、近い内に建て直してくれるであろう。そんなことより、精霊契約の力の使い方を、しっかりとそなたに説明しておかねばな』
そんなこと、で済ましてしまった。
ネロは懐が広い。
『マナの貸し出しと精霊召喚を除けば……後は、化身召喚と精霊融合である』
「化身召喚と、精霊融合?」
『うむ。化身召喚から説明した方がよさそうであるな。精霊紋にマナを込め……我がマナを引き出し、そのマナを目前に放出するのだ。分散しないよう、丸く留めて、とにかく形にするイメージでな』
「こ、こうかな」
ネロの説明を聞き、精霊紋にマナを込めながら、両腕を前へと伸ばす。
「化身召喚!」
楕円形の黒い光が広がる。
それが変形して形を変え……犬の姿へと変わった。
青と黒の交った毛並みを有している。
背中からは、見覚えのある青黒い触手がふよふよと伸びていた。
「……ネ、ネロ?」
『うむ、そうである。精霊召喚にはマルクのマナではとても足りんが……こうして可能な範囲で、化身として召喚することもできるのだ! フフ、現界の空気とは、美味であるな!』
ネロが嬉しそうに、空気を吸ったり吐いたりを繰り返す。
牙を剥き出しにして笑う様子も、なるほど確かにネロそのままだ。
……にしても、元の姿を知っている身からすると違和感がある。
『視覚は元々マルクと共有しておったが、やはり化身の目で見た方が臨場感があるぞ! 全てが新鮮である! これならばマルクとの旅路も、より楽しめそうであるな!』
ネロがブンブンと尾を振ってそう燥ぐ。
あんなに怪物染みた姿をしていたネロが、今ではすっかり可愛らしく見える。
いや、仕草が可愛かったのは元々かもしれない。
『と、最後の精霊融合についても、話しておいた方がよいな。精霊融合とは……』
ネロが話し始めたとき、轟音がそれを遮った。
街路の先より、馬車がこちらへ向かって来る。
その背後には、巨大な怪鳥の姿があった。
馬車よりも一回りは大きく、黄金の翼と、巨大な嘴を有している。
両翼には、赤い魔法陣が記されていた。
「ギィイイイイイ!」
不気味な声で怪鳥が鳴く。
「〈風刃〉!」
馬車の荷台より、女の人が怪鳥へと剣を向ける。
剣先より放たれた風魔法の刃。
「よし、命中……」
だが、風の刃は、当たる手前でその形を崩す。
怪鳥の翼に傷を付けることさえ敵わなかった。
そのまま怪鳥は怯むことなく、巨大な鉤爪で、馬車の後部を殴りつけた。
馬車が横倒しになり、御者の人が投げ出され、地面を転がる。
「ひいいいっ!」
転倒前に馬車から飛び降りていた女剣士が、怪鳥へと正面から向かう。
「……魔法に耐性があるのは知ってたけど、牽制にもならないとは思わなかったわ。ロック鳥……まさか都市近くで、B級の魔物が出るなんてね」
ロック鳥……危険な魔物そうだけれど、ネロのマナを借りられる僕ならば、どうにかできるかもしれない。
僕は地面を蹴り、横転した馬車の許へと走った。
「助太刀します!」
近づいてきた僕に気が付いた女剣士が、ぎょっとした顔で僕を振り返った。
「子供……それも、丸腰の!? な、何しに出てきたの! 早く逃げなさい!」
精霊紋にマナを込め、宙にルーン文字を浮かべる。
あのロック鳥に、僕の唯一使える魔法……〈炎球〉をお見舞いする。
「ロック鳥の翼は、マナを弱める力があるのよ! そんな基礎の基礎の魔法じゃ、すぐに崩壊させられて……気を引くこともできないわ!」
「そ、そうなの……?」
ようやく、さっき彼女の口にしていたことの意味がわかった。
だが、ここまで来て止めるわけにもいかない。
僕はとにかく、夢中でマナを込めた。
「ギギギギギギッ!」
ロック鳥は、僕の行為を嘲笑うように鳴いた。
少しでも大きくすれば、ロック鳥の力に抗えるかもしれない。
「……ギィッ?」
炎の球を、僕の背丈の倍近くまで大きくしたところで、ロック鳥が間の抜けた鳴き声を上げながら首を傾げた。
「あ、あなた、何その馬鹿げた大きさの炎……」
「〈炎球〉!」
これで少しでも翼に負傷を負ってくれれば、ロック鳥の機動力が落ちてくれる。
分が悪いと見て逃げてくれるかもしれない。
「ギイイイイイッ!」
ロック鳥は大声で鳴くと、宙を歪な螺旋状の動きで飛び、炎の球を回避した。
「さ……避けられた! あっさりと!」
息を呑んだ。
僕はこれしかできないのに、容易く対応されてしまった。
「……あっさり? 滅茶苦茶必死に見えたけど」
「魔法に関しては、マナの出力を高めることしか教えてはおらんからな……。素早い相手に当てるのはまだ難しいか」
いつの間にやら、僕の背後にネロが立っていた。
『精霊融合を使うのだ、マルクよ。我の化身を出したときのように意識しながら、腕を振るうのだ』
「う、うん!」
ネロに言われるがまま、ロック鳥目掛けて腕を振った。
「精霊融合!」
僕の服の袖から、青黒い無数の触手が伸び……僕に背を向けていた、ロック鳥の身体を素早く搦め取った。
「ギィィイッ!?」
これはネロの触手だ。
精霊の身体の一部を、自身の身体に召喚することができるのが精霊融合らしい。
「えいっ!」
勢いよく腕を振り下ろす。
「ゴェエエエエ!」
ロック鳥が頭から地面へ叩きつけられる。
地面が大きく窪み、その中心にはロック鳥がぐったりと倒れていた。
「た、たた、助かったのですか……?」
御者の男は、頭を抱えながら地面に這っていたけれど、そうっと顔を上げた。
「助けられたけれど……な、何なの、あなた?」
女剣士が、若干引いたようにそう口にする。
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