第4話

『マルクよ、まずはこれを飲むといい』


 ネロはそう言うなり、背中から伸びる触手を用いて、岩塊を僕の前へと持ってきた。

 上に空洞があり、中は液体で満たされている。


「岩を削って造った、水樽……?」


『コップである』


 サイズがネロ専用過ぎる。


『ここの沼の水を、二百年掛けてニンゲン用に濾過して集めておいたものである』


 ネロが得意げに口にする。


 さらっと述べたが、年数が重すぎる。

 百年掛けて準備した後、前代が来るのを今か今かと七日間待ち続けていたであろうネロが不憫でならない。


『ただの水ではないぞ! 我の領域は、我の血肉にも等しい。高いマナを帯びておる。毒性を取り除いておるため、ニンゲンでも飲めるというわけである。これを飲めば、マナは漲り、生命力に満たされる。修行の前後には持って来いであろう?』


「なるほど、じゃあ……」


 手で掬い、口へと運ぶ。

 仄かに甘く感じて、美味しい……。

 確かに身体の中に熱い力が漲るような、そんな感覚があった。


 しかし、透明な水にしか見えないが、これがあの赤黒い沼と同じものだとは信じられなかった。


「これってどうやって綺麗にしたの?」


 僕が尋ねるなり、ネロは沼に勢いよく顔を付けた。

 それから口を閉ざし、隙間からぴゅーっと水鉄砲を飛ばす。


『これを繰り返すのだ!』


 ネロがいい笑顔で僕の方を見る。


「……うん、ありがとう、ネロ」


『さあ、腹が苦しくなるまで飲んでおくのだ! マナを伸ばすためには、まず摂取できるエネルギー量を伸ばすこと! 食事も鍛錬の内であるぞ!』


 僕は深くは考えないことにした。


 その後はネロに教わり、魔術を使うことになった。

 僕の家に魔術の使い方についてのものはなかったため、これが初めてのことだった。


『マナを鍛えるためには、複雑な魔法陣など必要ない。炎を強くイメージしつつ、炎のルーン文字を頭に浮かべ、下っ腹に力を込め……そして、身体全身からマナを絞り出すのだ』


「〈炎球〉っ!」


 ネロの指導通りに、魔法で炎の球を作ろうとした。

 ルーン文字が宙に浮かぶ。


「熱っ!」


 ……だが、手のひらに熱が走り、黒い煙が昇るだけであった。


『だ、大丈夫か、マルクよ! 手のひらを見せてみるがいい! そうだ、舐めてやろう! 痛みが引くぞ』


「大丈夫だよ、これくらい」


 僕は苦笑しながらそう答えた。

 不格好でも、とにかく限界までマナを酷使する。

 それがマナを鍛えるのには一番なのだと聞いていた。

 こんな程度で立ち止まってはいられない。


 数時間に渡って〈炎球〉の練習を続けて……それから、ようやく炎の球を飛ばすことに成功した。

 ……とはいっても、飛ばした〈炎球〉は少し進んだところで、すぐに霧散して消えてしまったけれど。


「はあ、はあ……ようやくか……。こんな調子で、間に合うのかな……」


『凄い、凄いぞマルク! 完璧な〈炎球〉であった! マルクが魔法を成功させたぞ!』


 ネロが激しく尻尾を振って、僕より遥かに喜んでくれた。

 少し暗い気持ちになっていた僕だったけれど、その様子に思わず笑みが漏れた。


 疲れ果てた僕に、ネロが触手の一本をあてがう。

 触手の先に光が灯ったかと思えば、優しげな……暖かな感覚が、僕の身体の中に入ってくるのがわかった。


「これって……」


『我のマナである。マナが枯渇した身体に、マナを流し込む。マナを回復させるだけでなく、体内のマナを通す管や臓器を一気に鍛えることができるのだ。身体に負担が掛かるため、休憩を挟む必要があるがな』


 ネロの指示を受けて「マナの消耗」、「ネロ水(例の水)の摂取休憩」、「ネロによるマナ補給」のサイクルを、丸一日繰り返し続けた。


「〈炎球〉!」


 身体の中の全てを絞り出すつもりで〈炎球〉を放った。

 炎の球は、離れたところにある岩塊にぶつかって爆ぜた。


「よし……強く、なってる……」


 意識が遠ざかり、僕はその場に膝を突いた。

 ネロ水とマナ補給で強引に回復させても、身体に着実と疲労と負担が嵩んでいっているようだった。


『だ、大丈夫であるか! さすがに無茶をし過ぎである! 明日からは、もう少し修行の量を控えた方が……』


「ずっと僕は、家の中で一人きりだったんだ。だから……誰かのために頑張れるっていうのが、凄く嬉しいんだ」


 僕は笑顔で、そう返した。


『マルク……』


「でも……さすがに限界みたい。少しだけ眠らせて」


『うむ、そうするといい。だが、ここの床は硬くて、ニンゲンの寝床には合わんだろう』


 ネロはそう言うと、触手で僕を掴んで、大きな背中の上へと乗せてくれた。

 柔らかくて、凄く心地がよかった。

 すぐに意識が泡沫へと沈んでいく。


『ずっと一人きり……か。マルクとは気が合うとは思っておったが、我らは似た者同士であったのかもしれんな』


 ネロが小さい、ぽつりと呟いた。



 翌日も、相変わらず僕とネロは、マナの消耗と補給のサイクルを繰り返し続けていた。

 三日目には肉体も鍛えるため、ネロの用意した岩塊を担いで走る訓練がサイクルの中に追加された。

 ――そうして修行の開始から、七日が経った。


「〈炎球〉!」


 手から炎の球を放つ。

 真っ直ぐに飛んで行った大きな炎球は、遠くにある大きな岩塊を破壊した。


「す、凄い……」


 我ながら信じられなかった。

 こんな規模の魔法、今まで見たこともない。

 初日は宙で消えてしまうような、弱々しい炎球がせいぜいだったのに……。


『おお、よくやったマルク! これだけの力があれば、我の契約紋も身体に定着させられるぞ!』


 ネロは千切れんばかりに、激しく尾を振り乱していた。

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