第216話

「――いや、とくには……」


 咄嗟に、俺は視線を都の瞳から逸らす。


「あ――」


 都が慌てた様子で、俺に手を伸ばしてくるのが、気配から分かる。

 ただ、俺は――、彼女から慌てて距離を取り、そのまま彼女の目の前から逃げるようにして走る。

 純也と物別れで終わったように、俺は――、きっと……、都とも理解し合えない。

 もしかしたら拒絶されるかも知れない。

 何より――、都が俺に見せた――、あの時、純也たちを救った時に、俺を見てきた恐怖に彩られた瞳。

 それを思い出したら、彼女の目の前に立つ勇気が無かったからだ。


「優斗っ!」


 捜査員が、都の安全の為にと彼女の動きを制止してくれた事は、正直有難かった。

 背中越しに聞こえる俺の名前を呼ぶ彼女の声を振り切るようにして俺はホテルから出た。


「桂木警視監っ!」


 ホテルを出たところで神谷が駆け寄ってくる。


「どうした?」


 気分を落ち着かせながら、俺に話しかけてきた神谷の方へ振り向く。


「ホテルのオーナーとの話が終わりました。支払いは警察庁の方で行うと言う事で理解して頂きました」

「そうか」

「何かあったので?」

「――いや。何でもない。それよりも、3人の身柄は、これからどうなる?」

「時貞官房長官より、これから何も問題も起きないのなら解放するように指示を受けています」

「そうか」

「桂木警視監は、どうなさいますか?」

「書類仕事とか残っているんだろう?」


 何か事件を解決した時には事務処理が山のように発生すると冒険者ギルドマスターが良く言っていたな。

 その仕事を手伝うのもいいかも知れない。


「事務処理については、私の方で行っておきます。桂木警視監は、しばらく休まれた方がいいのでは? かなりお疲れのように見えます」

「そうか?」

「はい」

「……分かった。すまないな」

「――え? あ、はい……」

「桂木警視監、どちらへ?」

「少し一人にしてくれ」

「分かりました」


 神谷と別れ、俺はすぐに携帯電話を取り出し、電話をかける。


「山崎です」

「俺だ。桂木だ」

「遅いですよ。もう日が暮れかかってますよ。何時間、キャンプ場で待たせるつもりですか?」

「悪いな。それよりも伊邪那美に電話を代わってもらってもいいか?」

「分かりました。命」

「妾だ。どうかしたのか? 直接、電話を寄こすとは――」

「パンドーラに、純也からの強力を得ることが出来なくなったと伝えてくれ」

「ふむ……。何か問題でも起きたと?」

「問題というよりも――。価値観の相違……だと……思う……たぶん」

「そうか」

「伊邪那美」

「なんだ?」

「人を生き返らせたい。手伝ってくれるか?」

「どのような理由で、死体になった人間を生き返らせて欲しいのかえ?」


 俺は、捜査員を生き返らすことを伝える。


「それは無理じゃな」

「どうしてだ? 以前に黄泉の国から死者を蘇らせる事は出来たよな?」

「それは、黄泉の国に直接、肉体を持って入って来た者については許可を出した。――というより、それしか魂魄が残ってないと言った方が良いかの?」

「どういうことだ?」

「人間の魂魄は、肉体たる器が死ねば、すぐに霧散していくことになる。そして、霧散せずに残っている魂魄が地縛霊などというモノになるが、それは執着心が無ければ難しい。なにより強い執着心があっても、それを生き返らせたとしても、本人の魂魄の色合いとは程遠いモノだ。つまり、ある一定の期間を過ぎれば傀儡を作るだけになる」

「……そうか」

「まぁ、強い霊力の人間なら話は別になるが……、そのような可能性は限りなくゼロに近い。だから生き返らせることはできない」

「……そうか」

「うむ。とりあえずエルピスの箱庭については、虫網で移動する事にしようかの」

「一応、持ち運びは可能なのか」

「推奨は出来んが、致し方ない。とりあえず、こちらでエルピスの箱庭については対処するとしよう。天神ならば、何か良い案を思いつくかも知れんからのう」

「すまないな」

「どうかしたのか? ずいぶんと素直だが――」

「いや、何でもない」

「それにしても、伊邪那美は、俺に協力的なのはどうしてなんだ?」


 伊邪那美は、最初に出会った時から協力的だった。

 その理由が、まったく思いつかない。


「なあに、汝には貸しがあるからの」

「貸し?」

「気にすることは無い。それよりも、何か事情が起きたら連絡をしてくればよい」

「分かった」


 電話を切り、俺は何時の間にか橋の上を歩いていたことに気がつき、足を止めて手すりから川を見下ろす。


「何をしているんだろうな。俺は……」



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