第69話

「ええ、構わないわ。――それなら、貴方の部屋に行った方がいいかしらね?」

「そうだな……」


 両親の寝室は、妹の隣。

 対して、俺の部屋は廊下を挟んで斜め向かいにあるので多少距離はあるが……。


「少し付いてきてくれるか?」

「え?」

「さすがに家の中だとアレだからな」


 戸惑う山城綾子を他所に俺は玄関から出て屋上へと上がる階段へと向かう。

 屋上へと向かう階段には、危険だという理由で鉄格子が設置されていて、南京錠で鍵が掛けられていたが、俺は南京錠を力任せに引き千切る。

 しばらくすると、白いコートを羽織った山城綾子が家から出てくる。


「こっちだ」


 俺は、素手で引き千切った南京錠ポケットに入れたまま階段を上がっていく。


「不用心ね。うちの高校もそうだけど、屋上にこんな風に簡単に上がれて大丈夫なのかしら?」

「まぁ、わざわざ上がるような奴はいないからな」


 山城綾子に返答しながら公団住宅の屋上へと通じる階段を上がると、平べったいコンクリートと給水塔だけが存在しており――。


「――それで優斗君。ここなら話をしてもいいのかしら?」

「ああ」


 短く答える。

 さて――、何を知りたいのか。


「優斗君。貴方は人間なのよね?」

「どんな質問だ……」


 俺は思わず苦笑いしてしまう。


「神社庁の連中が、何も言ってこないって事は、俺は人間ってことだ」

「……そうね」


 返した言葉に、しばらく沈黙をしたあと、山城綾子が返してきた言葉。

 それと共に真剣な表情を俺に向けてきた。

 そして――、口を開く。


「私は、自分の爪が割れていたのを自覚しているの……」

「自覚?」

「ええ。体を操られていた時の記憶があるの」

「そうか」


 つまり、俺が助けに行った時の記憶があるということか?

 だが、確かに意識を失っていたのを確認していた。

 それでも実際、この目の前の女は、爪を見せて俺から譲歩を引き出そうとしてきた。


「ええ。体を自分で動かすことはできなかったわ。それでも痛みは感じていたの。爪が割れて血が流れた時に……。だけど、私の身体を操っていたナニカは、一瞬、体を強張らせて呟いたの。【化け物】が来るって――、それで私は意識を失ったの」

「なるほど……。つまり、次に目を覚ましたら俺が居て、自分の爪が治っていたから、気になって聞いてきたということか?」


 コクリと頷く山城綾子。

 つまり、実際は治った場面を見てはいなかったということか。

 それなら誤魔化す方法はいくらでもあるな。

 まずは、彼女の爪が治ったことを絶対に認めないこと。


「ねえ。優斗君」

「悪いが、俺に爪を治す力なんてモノはない。だから、何かを治療して欲しいという話はしても無駄だ」

「そんなことないわ!」

「何を根拠に、言っている?」

「私、聞いたの! 優斗君、帰宅中に事故に遭遇したわよね?」

「そんな事もあったな」

「それで、事故のことに関して警察の人が聞きにきたの」

「警察が?」

「うん。お父さんが対応していたけど、私は聞いたもの! ガードレールに付着していたのは、学生はケチャップだと言っていたけど、それは本当の血痕だったって」

「そうなのか?」


 やはり警察を誤魔化すのは無理があったか?

 だが、それなら何故? 俺に聞きに来なかった?


「――でも、優斗君の身体には、何の怪我も無かった……。だから、お父さんは、学校の経営者として大ごとにしたくないという理由もあって、取り合わなかった」

「それで済む問題なのか?」

「だって怪我人は、車を運転していた人だけだったから」

「なるほどな……」


 つまり自損事故という形で何とか誤魔化すという方向に持っていこうとしたわけか。


「だけど、私は思ったの。ガードレールに付着した血が実は本物で――、私の爪を治してくれたのも本当は優斗君だったら……、もしかしたら強い霊力を持っているって神社庁の人が言っていたから……、優斗君は怪我を治す力を持っているんじゃないのかなって……、夢物語かも知れないけど……、私の空想かも知れないけど……」


 震える声で呟く山城綾子。


「だから! 力を貸してほしいの!」

「知り合いを治して欲しいということか?」


 頷く綾子。

 そこで、俺は深く溜息をつく。


「何を言ってくるのかと思えば、すべて気のせいだし、勘違いだ。そもそも俺に、そんな特別な力があったら、その力でお金を稼いでいる」

「だけど!」

「俺はただの一般人だし、何の力もっていない普通の人間だ。だから、勘違いするな」


 わざと突き放す言い回しを選ぶ。


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