キツネは晴天になく

エテンジオール

第1話

 狐を撥ねた。新しい家族として犬を迎えようとして、山1つ超えた先の保護施設のところまで向かった帰りだった。


 貰えるはずだったのに、向こうの都合で着いてからドタキャンされて、山道を少し乱暴に走った時の事だった。


 制限速度は60。山道、悪路。速度を落とさなくては危険な道のりだった。ただ、むしゃくしゃしていたから飛ばしてしまった。そして、山の影から現れた西日に視覚を奪われて、咄嗟にブレーキをかけたものの何かにぶつかってしまった。



 ぶつかったのはキツネ生きていた。。小さくて、前足が変なところに曲がっていて、カラスにでもつつかれたのか、所々に血が滲んでいるきつね。元来の色合いと、血の色と、夕日に照らされて染った赤いキツネ。小さな子狐。


 やってしまった。罪に問われるようなものでは無いと言え、罪悪感は人並みに持っていた。とりあえず警察に連絡して、指示を仰ぐ。扱いは物損事故、凹んだ車は、おそらく保険が降りるとのこと。


 轢いてしまった動物に関しては、死んでいれば道の脇に寄せ、元気そうなら放置して、怪我をしているようなら病院に連れていくことが推奨だとか。ただ、どれにしても直接触ることだけはしないようにと。



 改めて見てみると、キツネは息をしていた。放置してもいいらしいが、さすがに後味が悪いので、手袋をしてから犬用のキャリーに移す。


 最寄りの動物病院までは数キロ。連れて行って、治療費くらいは払ってやろうと思った。




 幸い、命に別状はなかったらしい。右の前足は骨折していて、カラスにつつかれたと思わしき傷は病気になっている可能性が高くて、衰弱状態で、放置してたら間違いなくアウトだったらしいが、命に別状はないらしい。



「骨折はともかく、骨格に歪みがあります。これに関しては完治するかは微妙ですね。ペットとして暮らせるのならともかく、自分で狩りができないのなら、長くは生きれないと思います」



 エキノコックスなどの感染症はなかったので、そこはご安心くださいと前置きの後、獣医の先生はそう告げた。



 それを聞いて私が感じたものがなんだったのかは、わからない。

 安堵はあった。憐憫があった。後悔があった。罪悪感があった。けれども、もっと違う何かもあったのだ。



「あの、この子を私が引き取ることは可能でしょうか?」



 だからだろうか、気がついたら、そんなことを言っていた。


「私なら、治るまで、もし治らなくても、面倒を見れます」


 犬を飼う用意をしていたから、適切かはともかく設備もある。金銭的余裕も多少はある。


 そんなことを話したと思う。


 動機は、轢いてしまった責任を取りたかった、この子を幸せにしてあげたいと思った、とか、そんな感じのことを言ったはずだ。自分でもなぜこんなにこだわるのかわかっていなかったのに、良くもこんなに舌が回るものだと感心した。











 飼うこと自体には法的問題がないらしいので、その場は預けて治療してもらい、今度は何も轢かないように気をつけながら自宅に戻る。


 関連の法律や、そもそもの生態、特徴やペットとしての前例を調べ、可能な限り居心地のいい空間を作れるように、快適な環境を作れるように配置を変える。



 そんなことをしながら待っていると、獣医の先生から連絡が来た。症状が治まってきたから、そろそろ引き渡すことができると。


 私は了承の意を示し、次の日には病院へ行く。


 翌日、獣医の先生は、始業直後の私の訪問に苦笑いしつつも、子狐のもとに案内してくれた。


 会うのが五回目にもなれば、互いに多少の性格はわかる。特に、預けた翌日から三日連続で催促しに訪れて、連絡するまで来るなと出禁を食らった私の性格についてはよく理解してくれているのだろう。その動きは迅速だった。







 ようやく対面できた狐は、ケージの隅で丸くなりながらこちらを見ている。犬と見間違うようなベビーフェイスに、子供共通のキラキラした美しい瞳。そして、外界を拒絶するように寄せられた眉間と、幼い唸り声。



 その狐は、人を拒絶していた。人以外のものも否定していたのかもしれないが、今見える限りだと人を警戒していた。


「……治ってからこんな感じですが、本当に引き取るんですか?」


 獣医先生が本当に心配しているように尋ねる。一歩近付くと子狐はビクリと震えて一歩後ずさった。


 後ろに下がり、袋小路のさらに奥に小狐を追いやる。私が入れたケージの中、私が置いていったケージの中。


 ならば、怖いものは何も無い。そのまま持ち手をむんずと掴んで、なるべくゆらさないように持ち運ぶ。先生に治療費を払う。


 特に届出が必要ない狐は、ケージの中で震えている子狐は、これで私のペットになった。



















 狐は人に懐きにくい。犬よりも、猫よりも顕著らしい。だから、初っ端から忠犬のように懐かれることは求めなかった。犬相手でも無茶なそれを求めるはずもなく、最初の目標は自身の手から餌を食べてもらうことだった。



 手の上に餌を乗せた状態で1日過ごした。餌を食べてもらうことはできなかった。


 健康的な問題もあるので、翌日は食事を皿に乗せた状態で部屋のケージを開けた。病み上がりだから消化にいいものを用意したとは言えども、多少肉が入った食事はその食欲を刺激したのだろう。数日後から、私の手の上に乗せられている生肉を、小狐が食べてくれようになった。



 それは、大きな変化だった。多少なりとも目の前の子狐が私を認めてくれた証拠であった。


 それが信頼関係によるものでも、ただ利用価値のあるものだったとしても構わない。大切なのは子狐の想定する内側に入り込めたことであり、それを受け入れられたという事実だ。



 毎食分、手に乗せて食べさせる日が続く。安定して手から食べてくれるようになった。


 食べてる途中で撫でようとする日々が続く。何度も噛まれかけ、何度も噛まれ、顎だけは許してくれるようになった。



 ケージから出して、昼寝の時間にこの子がいる中で睡眠を取る日が続く。最初の方こそ警戒して開け放たれたケージの隅に固まっていたが、次第に出てくるようになった。


 何かが気になったのか、自分から私のところに来て、起きると逃げるようになった。




 そんな日々を重ねて、定期的に先生に見てもらいつつ、私たちは親交を深めた。全く知らない相手から同居人くらいには信頼関係を築き、私がこの子の部屋で仕事をしているとたまにひょこひょこと右前脚をかばいながら、近くに来るようになっていた。ふわふわの毛並みを撫でても、逃げ出すことなく、撫でさせてくれるようになっていた。



 一年以上かけてようやく築いた信頼関係。この子は、前足に障害があるから上手く歩けないので、あまり長距離の散歩に連れていったことはなかったが、それなりに満たせていると思っていた。このまま楽しく、優しい日々が続くと信じていた。











 けれど、そんな私の願いを裏切るように、子狐、もう既に子供と言えないくらい育った狐は、ありきたりな名前だが、アカと名付けたその狐は私の前から姿を消した。








 理由は分からない。外に出たい何かがあったのかもしれないし、窓越しに別れたはずの家族を見かけたのかもしれない。この環境が気に入らなかったのかもしれないし、ただの気まぐれかもしれない。



 確かなことは、アカがいなくなってしまったこと。他の家族と同じように、私だけを残していなくなってしまったこと。



 ショックだった。家族がいなくなるのは慣れたはずなのに、何度目であっても胸の喪失感は変わらなかった。



 近所を駆け回って探した。見つからなかった。

 チラシを配った。隣で配っている犬のチラシは受け取る人でも、アカのチラシは受け取ってくれなかった。

 たまに受け取ってくれた人や、ポスターを見た人から連絡が来ることもあった。どれも違う狐だった。足をかばいながら歩いている狐の話はひとつもなかった。




 何も手がかりがないまま、1年が過ぎ、2年が過ぎ、私は諦めた。貼らせてもらっていたポスターを全て回収して、アカのために買い集めた小物と一緒に、片付ける。諦めたのに、いつまでも視界に入ると辛かったから。けれど、アカのために改装した部屋だけは片付ける気になれなかった。それをすれば、最後の繋がりもなくなってしまう気がした。










 3年が過ぎ、4年が過ぎる。月に1回だけアカの部屋を掃除するようになっていた。息子のように大事にしていた狐への、墓参りのようなものだった。生きていることを祈って墓は作らなかったが、私の中であの子を思い出すための場所が欲しかった。







 5年が過ぎたある晴れの日の昼、買い物に行こうとして玄関を開けると雨が降っていた。


 朝に干した洗濯物を思い出して庭に向かうと、水が滴る服と荒らされた家庭菜園があった。。


 そして、軒下からこちらを覗くいくつもの目。まん丸で、クリクリした目。


 狐だった。アカギツネ、出会った時のアカと同じくらいの大きさだろう。それが3匹。


 じっと見つめあっていると、後ろから少し大きなやつがやってくる。








 右前脚を庇った歩き方。








 それは、もう諦めていた再会。




 キューキューと、お腹が空いたときによく聞いた鳴き声。



 私の最後の家族は、新しい家族を連れて帰ってきたのだ。





 一歩、二歩と足が動く。考えるよりも先に、私はアカを抱きしめていた。



 失ってしまった時間を取り戻したくて、この子が私のことを覚えていてくれたことが嬉しくて、何も考えずにこの幸せを噛み締める。雨に濡れるのを嫌がったアカが藻掻くも、そんなことは頭に入ってこなかった。



 ようやく気付いて離し、アカのための部屋の窓を開ける。幸い、掃除したばかりだったのでそれなりに綺麗だった。


 子狐が三匹と、アカと、そのお嫁さん。五匹くらい、養って見せよう。今度こそ失わないように。



 一気に賑やかになった我が家を前に、買う必要のあるものや検査もしなくてはならないことを思い出す。面倒だが、嫌ではなかった。






 帰ってきた幸せを前に、私は久しぶりに笑えた。























 ちなみに、エキノコックスは揃って陽性だった。

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