第29話 九十九遥の幻影

 暑い。


 目の前のガラスが割られたことで、風が吹き込んでいるにも関わらず、それと反比例するように、身体が少しずつ熱っていくのが分かる。俺はその暑さを解消しようと、着ている紺色のピーコートを脱ぎ、窓とは反対の方向へと投げる。


 矢野咲さんの声とエレキギターの音色が、ロックな楽曲をつくりだしている。その声による影響であろう。彼女の声の強弱に合わせ、目の前の巨大生物が呻いている。


「立花さん、これって」

「もしかすると、矢野咲さんがやっているのかも」

「どういう意味ですか?」

「さっきも言ったとおり、あれはアカシックレコードが中途半端にこの世界に繋がってしまったことが原因で生まれたもの。美望は私たちと同じ立場にあるから、違うとしても、多分、緑山くんや毛利くんも、あの怪物に接続してしまっている」


 あの生命体は、アカシックレコードの暴走によって生まれたものだという説明を、今の話を聞いてなんとなく理解する。それにより、俺は今起きていることの原因を理解することになる。中途半端にレコードがこの世界に接続してしまった原因。レコードが暴走を始めている原因。あの怪物が生まれてしまった原因。


 それは、俺だった。


「俺がやったことが原因になっているんですよね。あのとき、俺が立花さんを止めたから、世界が壊れてしまった。俺が、俺が‼」


 アカシックレコードへの中途半端な接続が原因だと、立花は言った。直近で思い当たる中途半端な接続というのは、一つしかない。ハロウィンライブで、俺が立花の前に立ちふさがることで起きてしまった、矢野咲舞との接続だ。


 俺は、自分の行いが、過ちであったことを思い知る。


 けれど、そんな俺を、彼女は、立花はもう責めない。


「大丈夫。ここは私が何とかする。これは、山上くんにしっかりと説明していなかった私の責任」


 彼女はそんなことを言う。彼女も、そんな負い目を感じていたのだ。だったらなおのこと、彼女一人に任せるわけにはいかない。


「でも、俺は‼」

「格好つけるなって、山上氏」


 声を張り上げようとすると、図書室の扉が開く音と、一人の男の声が耳に入ってくる。見ると、そこには竜次がいる。そしてその横には、紫月さんもいる。


「どうしたの? 二人とも」


 立花も二人の方を向き、どのように尋ねる。すると今度は、紫月さんの方が話し出した。


「……助けに来たんです。二人のこと。私たちも、仲間じゃないですか」

「まあ、こっちは紫月さんに頼まれただけやけど」


 二人の言葉を聞き、立花は紫月さんの名前をぽつりと呟く。その様子を他所に、竜次が再び口を開き、今度は状況の確認と、今やるべきことの整理を始める。


「とりあえず、あの人の妄想でつくられたみたいな気持ち悪いヤツを、私らで消してしまえばええんやろ」

「でも、どうやって? 戦力っていえば立花さんの火大・アグニくらいしか」


 そんなふうに弱音を吐いていると、今度は、紫月さんが話す。


「いいえ、他にもあります」


 その言葉に対し、俺は疑問符を頭に浮かべ、彼女を見る。


「今、この空間は軽くですがアカシックレコードに接続している状態となっています。だから、私たちも想像したものを具現化できる」


 紫月さんの回答に、今度は立花が返答する。


「でも、そう簡単に今から新しく何かを想像するのは、そう簡単に……!」


 しかし、彼女は途中で話すのを止める。気付いたのだ。俺たちには、すでにつくられた妄想があるということに。


「ヨルムンガンドと、レーヴァテインか……」


 俺は、頭に浮かんだ北欧神話の固有名詞を口に出す。そうだ。俺たちは一年前『神々たちの終末戦争』という名の小説をベースに、アカシックレコードでつくられた世界に侵入している。それが、レコードに記憶されているから、力を使うことができる。


「山上氏」


 そんなことを考えていると、竜次が俺の名を呼びながら、ある物体を投げてきた。寸前のところでそれをキャッチする。それは、以前握ったことにある輪っかのかたちをした蛇のような紫色の銃、毒の大蛇ヨルムンガンドであった。


「あの小説を書いたのは私やから、生成はお手のものやで」


 言いながら、竜次は自身の左手に赤色の炎を纏った槍、災いの枝レーヴァテインを出現させる。


「なるほどな」


 つい感心し、ぽつりと言葉を漏らしてしまう。そんな俺を他所に、今度は紫月さんがアカシックレコードの力を発動させる。


「私も、今ならまた人のことを操る能力を使うことができます」


 彼女は目を閉じながら、両手を胸の前で握る。数秒後、ゆっくりと瞳を開く。すると、彼女の眼球は、サファイアのような美しい青に変色していた。


「あの怪物に接続してしまった人たちを、この力で操作できれば、動きを鈍らせるくらいはできるかもしれないです」


 紫月さんの言葉を言い終えると、今度は立花が、右手を天井に突き上げ、オレンジ色の半透明な花、火大・アグニを生成させる。


 そして、彼女は俺たち三人に言葉を投げる。


「これだけあれば、きっと世界を救える。あの怪物を倒すことができる。皆、私に力を貸して」


 彼女の声に竜次と紫月さんは返答する。


「まあ、そのために来たんやから。そんなかしこまらなくてええで」

「そうですよ」


 二人が話し終え、視線が俺の方へ集まる。彼ら彼女らに、俺は一体何と言えばいいのか考えようとする。話すべきことは、すでに決まっているというのに。


 自然と口から言葉が漏れる。


「お願いしなければいけないのは自分の方です。……お願いします」


 すると、立花が「よーし」と腰に左手を当てながら、右手を怪物の方へと突き出し、叫ぶ。


「じゃあ、山上くんのために怪物退治と行きますかっ!」


 彼女の声に続き、紫月さんと竜次も声を上げる。


 そして立花の合図に合わせ、俺たちは怪物めざし、空を駆ける。

火大・アグニと災いの枝、そして毒の大蛇から放たれた光線が、空を切る。


  ◆  ◆  ◆


 手ごわい。


 紫月さんと矢野咲さんの力の影響で、怪物の動きは鈍くなってきているものの、それでも、こんな巨大な化け物を倒すという行為は容易ではない。何せ、俺や竜次はこのような空中戦などやったことがない。こんな展開は、テレビや本の中でしか遭遇しないのだから。


 竜次の災いの枝が、怪物の皮膚をえぐり、そこを立花の火大・アグニが攻撃する。俺は、毒の大蛇の弾丸で、二人を援護する。

赤い炎とオレンジの光、紫色の弾丸が、広がる青空を縦横無尽に染めていく。


 油断した。一瞬ヤツから視線を外してしまった。その結果、巨大な尻尾を振り上げられ、俺の腹部に激突。アカシックレコードによる効果により、痛みは生じないものの、衝撃は感じる。俺は勢いよく空へと跳ね飛ばされる。


「山上くん! 大丈夫?」


 立花の心配そうな声が尋ねてくる。しかし、風の影響でそれに返答することができない。


 ある程度まで身体が上がったのち、ゆっくりと、スローモーションで落下する。正確にはそれなりのスピードで落下しているのだろうが、そのように感じない。その間、学校の屋上に一人の人影を見える。学ランの中に真っ白のパーカーを着込んでいる男。そいつをじっと見ていると、目が合う。


「――君は、本当に否定してしまっていいのか?」


 その言葉が、直接脳内に流れ込む。そして、何となくその声は、屋上にいる彼のものではないか。何故か、そんなふうに思ってしまった。しかし、声の主などどうでもよかった。俺は、自分がしなければならないこと。自分がしたいこと。それを再確認しなければならない。


「――君は、非現実を求めていないのか?」


 正体の分からない声からの問いに、俺は考える。


 俺が欲しかったもの。俺が手にしたかったもの。俺が、このくそったれな世界で望むもの。それは、皆との時間だった。


 矢車竜次の言う通り、俺がアカシックレコードの力を使うということは、今まで俺が否定してきた緑山や紫月さん、大志の思いを踏みにじることになるのだ。そんなことをしてまで手に入れたものに価値があるといえるのだろうか。


 紫月美望の言う通り、アカシックレコードを使って自分の願いを叶えたところで、それは所詮偽物に過ぎない。いくら幻想を抱いたところで、それは脳内でつくりだしたものを、無理やり現実世界に投下したに過ぎないのだ。


 立花瑞希の言う通り、この世界は素晴らしいのかもしれない。俺がまだ見ることのできていない景色が、思い浮かぶことのできていない考えが、抱くことのできていない感情が、この世界にはあるのかもしれない。


 だから俺は、それが欲しいのだ。彼女たちとの時間をともにして、俺はそれらを感じたいのだ。


 そんなふうに、考えているときだった。毒の大蛇を持っていた右手ではない、反対の左手が赤色に光りだす。見ると、手に何かが握られている。俺は、見覚えがある。中学の頃、俺が撮っていた映画に出てくるヒーロー「フレイア」への変身するためのアイテム。ギリギリ手のひらに収まる程度の大きさのそれを、俺は勢いよく前へとつきだす。


 これが俺の答え。アカシックレコードという幻想に、空想に、夢想に囚われてしまった彼らを、解放する。


 ゆっくりと光が消え、左手に握られている変身アイテムが姿を現す。メタルブラックの本体に、赤いラインの入った長方形の物体。それが出現したタイミングで、校庭へと降り立つ。幸い、この時間の校庭に人影はない。


 アイテムを天高く突き上げ、叫ぶ。


「変身っ‼」


 その声とともに、俺の全身が一気に炎に包まれた。すべてを燃やし尽くすかのような、オレンジ色の爆炎に。それに合わせ、アイテムから出現した光に包まれる。同時に、身体が真っ黒のスーツに包まれ、胸と両腕、両太ももにメタリックの赤い鎧が出現。さらに、バイクのフルフェイスヘルメットのような黒い装甲が、頭部を覆う。


 これが俺の、世界を守る力。戦士フレイアである。


「山上くんっ!」

「変身したしやがった!」


 立花と竜次の声が聞こえる。そう、俺は変身したのだ。世界を守るヒーローに。


 そして、彼女たちと交戦する巨大な生物を、睨みつける。自分の覚悟を証明するように。そして、両足に力を入れ、天高く舞う。こいつを倒すために。校庭に砂煙を起こしながら、ヤツの背後へとジャンプ、地上から四〇メートルの高さに身体を浮かべる。


 そして俺は、覚悟を口にする。声に出すことで、自分自身の覚悟を再度確認するために。


「俺が欲しいのは、こんな偽物なんかじゃないっ‼」


 言いながら、前方に飛躍する。


「だから俺は……この世界を肯定するために、アカシックレコードを否定するっ‼」


 その言葉を乗せるかのように、右手に力を籠める。世界に対する、俺の意思表明。


「これが俺の……」


 俺の。


「俺の……」


 俺の。


「俺の、決断だっ‼」


 叫び声とともに、右腕を突き出す。自らの意思を、皆の選択を、拳に乗せて。


 拳が怪物の表皮に到達し、オレンジ色の衝撃波が、右腕を中心に広がっていく。同時に、ヤツの全身から火花と煙が噴きだし始める。それとともに、アカシックレコードに接続してしまった人々の断末魔が、辺り一面を包む。


 次の瞬間。街中を巻き込む閃光とともに、怪物は爆散。


 世界から脅威は消え去った。

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