第22話 受験!

 地元でもない場所での、中学時代のクラスメイトとの遭遇。しかも、実際に会うのではなく画面の中と外での再会。可能性としてはいくらでも考えられたが、いざ自分の身に起きると、当然驚くものだ。しかし俺は、その以上に、この出来事に関連した何か大きな疑念のようなものを抱いていた。


 この疑念の正体は分からない。だからと言って、この駅前の道でいつまでも立ち止まって、ゆっくりと考えているわけにはいかない。何せ人が多い。このような場所では、周囲の人間に気を遣わず、ただ佇むという行為は不可能に近い。


 俺は逃げるように、夜の街を歩み始める。


 東京、池袋。母親は、あそこは天下の東京の中でも最弱とぬかしていたが、それでもいざ訪れてみると、視界全体に広がる夜景の壮大感は、とても美しい。


 東口から出て、横長の駅と垂直に交わった大通りを前進し、ホテルを目指す。その間、様々な色のネオンや街頭で彩られた看板、暗闇の中にそびえたつビル群、そして独特な格好をした異色の人々といった、都会の象徴のような景色が、続々と目に飛び込んでくる。


  ◆  ◆  ◆


 池袋駅から徒歩数分のところに位置する、複合施設と繋がった大きなホテル。そこにチェックインし、今現在、俺は純白のベッドの上で寝転んでいた。


 部屋にはユニットバスやテレビ、小さい冷蔵庫なんかも置かれており、かなり快適だ。階数もそれなりに高く、池袋の夜景を簡単に一望できてしまう。


 受験のためとはいえ、一高校生に過ぎない俺を、このようなホテルに泊めさせてくれる両親は、やはり過保護というか、甘いのだろう。嘘偽りだらけの感謝を心の中で述べながら、物思いにふけっている。すると、ベッドの近くのミニテーブルに置いていたスマートフォンが鳴った。


「立花か」


 彼女からの追加情報ではないかと考えながら、画面をオンにし通知欄に表示されたメッセージを確認する。相手は彼女ではない。以前割引になるからと登録したカラオケ店からのお知らせだった。


「なんだよ」


 痺れを切らした俺は、自分から彼女に電話をかけた。正直、わざわざ異性と電話などしたくなかったのだが、それ以上に大切な目的が生まれてしまい、それどころではなかった。


 俺は、あいつが言っていた、東京へと向かった接続者というのが、矢野咲さんなのではないかと考えたのだ。九月の末に矢野咲さんと会った際、彼女はオーディスションまで半年だと言っていた。最初は、あのあと彼女が『ニナクペンダ』のオーディションを見つけただけだと考えたが、どうやら応募期間は九月上旬までだったらしく、そのことを考慮すると、あの日の時点でオーディションに応募していないとおかしい。という根拠から、矢野咲さんがアカシックレコードに接続した人間だと判断し、立花に確認をした。


 結果は、ビンゴ。つまり、今この街で立花が追っている人物というのは矢野咲であり、した行くと言っていたライブも、『ニナクペンダ』のハロウィンライブのことだったのだろう。


「やはりそうか」


 音のない部屋の中で、一人ぽつりと呟くと、再度通知音が鳴る。竜次からだ。先ほどベッドに放置したスマートフォンを手に取り、内容を確認する。見ると、画面には「どう?」「受かりそう?」などというメッセージが表示されていた。


 この男も案外いいやつである。とりあえず「俺は小説家だ! 安心しろ! 受かって見せる」と返信し、電源を切る。ベッドに横になると、うっとうしく感じるLEDの光が入ってきたので、目を細めた。


 そのまま右の手の甲を額に置き、考える。さて、どうしたものか。SNSでは強気な連絡を返したが正直不安だった。AO入試だから、落ちてもまだ一般試験というチャンスがあるのだが、それでも落とされるということに不安がないわけではない。それに、AO入試という技能を測る試験で落とされるということは、自分に芸術的な才能がないということを突きつけられるようなものなのだ。そんなふうに考えてしまう。


「……やべぇ」


 つい、その緊張を言葉に漏らす。ただ、ずっとこんな調子でいたところで、明日の結果が変わるわけではない。俺は、溜息をついてから、ユニットバスへと向かった。


  ◆  ◆  ◆


 寒い。


 いくら東京と言っても、一〇月の朝は寒い。俺は、ホテルと繋がっている商業施設の通路に設置されたベンチに腰かけながら、先ほど喫茶店で購入した珈琲を口元に運ぶ。


 まだ七時半を過ぎたばかりであるため、どこの飲食店も開店しておらず、仕方なく入った店ではあるものの、味は悪くない。苦いながらも、その中にしっかりとうまみを含んだ本格的な珈琲だ。朝飯として買ったホットドッグも、ソースに切り刻んだ野菜を使うほどの凝りよう。珈琲との相性も格別である。


「和也くん?」


 聞き覚えのある少女の声が耳に入る。見ると、制服姿の紫月さんがいた。彼女も、俺と同様の店で朝食を購入したのか、右手に珈琲、左手にホットドッグを持ちながら佇んでいる。


「うっす」

「うん、おはよう」


 朝からよくもまぁ相変わらず「うっす」などというロクでもない挨拶ができるなと、自分の気持ち悪さに驚きながら、次の一言を考える。


「寒いっすね」

「そうだね。もう冬って感じだね」


 こういうときは気候の話だ。特に今日の天気の話題となると、話についていけないという現象が起きることはまずなく、話の種としてはかなり便利だ。拡張性がないことを除けば。


「隣、座ってもいいかな?」


 見ると、紫月さんは俺の右隣を指差しながら、顔を傾げている。


「あっ、すみません気付かなくて。どうぞ、どうぞ」


 気が利いていなかった。俺は謝罪の言葉を並べながら、ベンチの左側に寄り、彼女が座れるようにスペースを空ける。


「ありがとう」


 言いながら、彼女は俺の隣に座る。黒く長い髪がひらりと揺れ、彼女のにおいほのかに香ってくる。凛とした姿に目を奪われていると、彼女はホットドッグを一口ほど頬張ったあと、再び話題を振ってくる。


「いよいよ、受験本番ですね」

「そうだね。……あの、立花さんからちょっと聞いただけなんで、よく分かっていないんですけど、紫月さんは何学部を受験するんですか?」

「私は美術学部です。文芸学部とどちらを受けようか迷ったんだけど、やっぱり中学校のといからやっている美術の方が自分に合っているかなって……」

「なるほど」


 駄目だ、駄目だ。まるで会話が続かない。原因は分かっていても、治しようがないからしょうがないのだが。俺のくだらない返事によって、長い沈黙が訪れてしまう。またしても自分は話を振ってもらう側のような風格を出し、珈琲を飲む。


「和也くんは、緊張している?」

「え」


 その言葉を聞き、彼女の方を見る。すると、珈琲を持っている紫月さんの右手が震えていることに気付く。初めてだった。こんな彼女の姿を見るのは。俺の中で、彼女は本物の完璧美少女。この世に存在していることが不思議なくらい、何もかもそつなくこなす人間という印象だった。だからこそ、そんな彼女にも緊張という感情があったことに、驚いてしまう。


「……私は、緊張しています。こんなふうになるの、初めてです」


 彼女にどんな言葉をかけていいのか、分からない。自分に自信がある人間ならば、ここで気の利いた一言が出てくるのだろうが、俺にそれはできない。過去の経験も何もないからな。必死に考え、とりあえず自分の意見を述べる。


「まぁ、落ちても一般がありますから、何とかなりますよ」


 言うと、彼女がほんの少し口元を緩めたように見えた。

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