第16話 戦意喪失のワールドライン

 目を開けると、そこには中和の姿があった。


「どうした?」


 少し前を歩いていたのであろう彼は振り返り、そのように尋ねてくる。俺はの問いに「いや、別に」と簡素に返しながら、自分のコートからスマートフォンを取り出す。


 一二月八日午前八時一五分。ロック画面に備え付けられている日付機能がそう示す。先ほどまでいた真っ暗な公園は、一二月九日の夕方の景色。つまり、二度目のタイムリープが行われたということだ。やけに見覚えのある空だと思ったが、それは、これが一日半ほど前に見たものと同じものということになる。


「おい、そろそろ急がないと、遅れるぞ」


 中和が少し怒りっぽく言う。とりあえず今得ることのできる視覚的情報から考えるに、単純に二度目のタイムリープが行われ、一度目と同様一二月八日の朝に跳んだということになるのだろう。まずは立花たちとの合流を優先するべきだ。


「そうだな」


 俺は中和を歩み始めるよう促し、それに続く。歩みを進めながら今の状況を整理する。俺の推理というか推測が正しければ、岩波はタイムリーパーではない。あの言動が演技なのだとすれば主演男優賞が獲得できる。となると、タイムリーパーは大志か竜次のどちらかということになる。


 歩き始めて数分経った頃、俺は何か小さな違和感を覚えた。この街は、これほどまでに整備がなされていただろうか。街灯も街路樹も、新しくなっているように見える。


 世界線。先ほどの岩波との会話を思い出す。


 俺たちの映画では、主人公が時間を舞い戻ろうとするとき、自分が今までいた世界線から、多少離れている世界線に異動することになってしまうという設定を採用している。そうすることで、色々なシーンを色々な場所でとることができ、かつ物語も面白みのあるものにできると考えたからだ。


 今回の接続者による操作が、俺たちの映画に出てくるタイムリープに設定は準じているとするならば、ここはさっきまでいた世界線とは別の世界線、すなわち異なる歴史を歩んだ世界に移動してしまっている可能性がある。つまり、こことさっきまでの空間との間に多少なりとも差異があると考えられるのだ。

もしかしたら、この街の風景に対する違和感は、それによるものなのかもしれない。


「なあ、中和。この辺の街灯ってこんなに綺麗だったか?」


 学校前の交差点。赤信号で歩みを止めたタイミングで、それとなく探りを入れてみる。


「ん? まあ、あんなことがあったからな」


 抽象的すぎるだろ。俺は詳しい情報を要求する。


「あんなことってなんだよ?」

「……悪い冗談ならやめておけよ」


 振り返った中和の表情は、想像以上に沈んでいる。そして、目の中からは俺に対する怒りさえ感じる。そんな彼に対し、俺は何も言えずに立ち尽くす。


「……一か月くらい前に交通事故があっただろ?」

「事故?」


 中和の表情が次第に曇っていくのが分かる。


「けが人が何人も出るような事故。それに……」


 そこまで行って、中和は口を開くのを止める。様子を見ると、彼は右手に力を込めている。


「……英語科の立花さんは、重傷でまだ入院中だって聞くぞ」




 ――は?




 目の前が暗くなっていくように感じる。それと同時に、中和の話の信憑性を疑おうとする。しかし、彼の暗くなった表情はそれを許さない。


 なんでだよ。なんでこんなことになっている。何故、立花瑞希が入院するような事態になっているのか。まるで思考が追い付かない。ただ輪郭のない恐怖と、行き場を失った怒りだけが、俺の心を埋め尽くしていく。


 なんで、なんで、なんでだよっ‼ 真っ黒な感情が俺を惑わせる。


 顔を上げると、信号が青色になっていることに気付く。そのこと認知した瞬間、自然と身体が前に出る。足が追い付かないような速さで、校舎の玄関へと駆ける。靴を脱ぎ捨て、サンダルに履き替える。そんな一つひとつの動作も、手が震えおぼつかない。それでも、冷静になんてなれなかった。


 玄関の時点で鞄を降ろし、急いで目の前の階段を駆け上がる。四階まで上がりきった瞬間、目に飛び込んできた扉へと手を伸ばし、勢いよく右にスライドする。


「……紫月っ‼」


 呼吸を整えぬまま、教室中に響き渡るよう声高に叫ぶ。到着したのは二年六組、紫月の所属するクラスだ。


 席替えでもしているのだろうか、彼女は窓際から二列目の最後にぽつんと座っている。俺はそこを目指しながら、乱暴に問いかける。


「……なあ、なんで‼ なんで立花がこんな目に遭っているんだ‼ あいつが負った傷っていうのは、右腕の骨折だけじゃなかったのかよ‼ 何でこんなことになっている‼」

「何を言っているんだ君は!」


 このクラスの生徒だろうか。一人の男が、俺の歩みを止めようとする。


「紫月さんは、立花さんが事故に遭った日から、ずっと学校に来られていなかったんだ。だけど今日やっと登校してきてくれた。これ以上、彼女を苦しめないでくれ」


 その生徒が、俺を床に押し倒し、叫ぶ。しかし、そんな顔も見たことのない奴の説教なんて、頭に入ってくるわけがない。俺はそいつを無視し、紫月の方を見つめ話を続ける。


「紫月……っ‼」


 しかし、途中で言葉を詰まらせてしまう。そうこうしていると、俺は周囲の連中によって、床に押さえつけられる。紫月を見上げる体勢になることで、ここに来てから始めて彼女の表情が見えることができた。目を大きく見開いてはいるものの、その中に光は一つもない。真っ黒に染まった瞳が、どこにも焦点を合わせられないまま、揺れ続けている。


「……和也くん」


 小さく細々とした声で、ゆっくりと俺の名前を呼びながら、白い右手をこちらに差し出す。その手の中には、金色とオレンジ色につくられた腕時計が握られている。


「これって」


 俺はその時計に見覚えがある。それは普段から立花が身に着けていたものだ。


「……この時計をつけていれば、和也くんも瑞希ちゃんと同じ力を使えるはず」


 彼女は俺の方を向き、続ける。


「……これは、和也くんが持っていた方がいいでしょう?」


 彼女はもうすべてを諦めてしまったのだろうか。これを渡すことで、すべて忘れてしまおうと、そう考えているのだろうか。真実は俺には分らない。ただなんとなく、これを受け取ってしまえば、もとの紫月さんは戻ってこない。そんな気がする。


「お願い……私はもう、持っていられないから……」


 しかし、壊れかけてしまっている彼女の訴えを、無視するわけにはいかなかった。俺は震える右手を落ち着かせながら、そっと彼女から時計を受け取る。


「ありがとう……ごめんね」


 彼女の頬に一筋の涙が流れた。


  ◆  ◆  ◆


 それから長い長い一日を、誰とも話さずに過ごした。記憶はほとんど残っていない。何もしないまま、窓際の席で、時間の経過とともに流れる雲だけを見つめた。


 意識がはっきりしてきた頃、俺は駐車場らしき場所の近くにある、石製の椅子に腰をかけていた。目の前には竜次が立っているのが見える。


「大丈夫か、山上氏」


 話しかけられていることに気付いてはいるものの、返答するのに時間がかかってしまう。


「なあ……なんで俺たちはこんな所にいる?」

「ん? さっきあんたと廊下で会って、私が連れてきたんやろ」


 そうか。はっきりとは思い出せないが、言われてみればそうであったような気もする。


 覚束ない視界で何とか周囲の状況を確認する。どうやらここは神社の駐車場らしい。目の前には赤色と白色の目立つ建物があり、少し離れたあたりには鳥居も立っている。


「竜次……ここは?」


 かすれた声で疑問を口にすると、竜次から意外な回答が返ってくる。


「あれ? 前言ってなかったっけ。私の家、神社の敷地にあるんよ」


 そういえば、二年生に上がったとき、そんなようなことを言っていたような気がする。


「山上氏、こんなときに訊くのは悪いんやけど」


 竜次は俺の目をしっかりと見ながら、少し躊躇いつつも言葉を放つ。


「あんた、タイムリープしているやろ?」


 耳から言葉を入れ、その内容を噛み砕く。タイムリープという言葉を、この流れで使っている竜次。この男はタイムリーパーであるのではないか。そんな考えが頭を支配していく。


 タイムリーパーである人間が世界線を移動したことで、俺と紫月さんもこの腐った世界線へと来てしまったのだ。彼女のいない、この世界線へ。だから、俺はそいつを許せない。突き止めたら殺したいとすら思う。そして今、それらしき発言をする人間が目の前にいる。


「どういう意味だ‼」


 耐えきれなかった。両手を思い切り椅子に叩きつけ、勢いよく立ち上がり、大声で叫ぶ。


「……山上氏」


 睨みつける俺に対し、意外にも竜次は優しく声をかける。その声を聞き、俺も一度冷静な状態を保とうと、声を柔らかくする。


「お前が、この世界にタイムリープという事象を生み出したのか?」

「……ちゃうよ。生み出したのは私じゃない。生み出しのは、毛利氏や」


 説明を求めるように、彼を見る。すると、それを悟ったのか、重たそうな口を開く。


「この間山上氏と会った、夏季補習の日の朝。毛利氏に呼び出されたんよ。そこで、タイムリープするから、過去を変えるのを手伝ってくれって言われたんや」


 つまり、タイムリーパーもとい今回の接続者の正体が、毛利大志ということだ。しかし、これはあくまで竜次の言っていることをすべて信じた上での話。


「あんたを……信じろと?」


 不安からくる言葉が、つい漏れ出してしまう。こいつには今まで散々「お前は相棒だ」「お前は親友だ」などと言ってきた。常日頃からそんなことを言っていた人間にも関わらず、こういう事態に陥ったときには疑ってくる。竜次からしたら、さぞかし不愉快だろう。


  そんなことを考えながら、竜次の顔色を窺う。しかし、彼は嫌な顔一つせず、こう返す。


「きしょいな、山上氏。いいから、一緒に毛利氏を助けようや」


 言いながら、拳を突き出してくる。


 俺は彼を信じていいのだろうか。そんな疑念が、一瞬脳裏をかすめる。しかし、何故かこの男は信用できてしまう。彼と出会ったのは二年ほど前。特段すごい付き合いが長いわけでもないはずだ。それでも、俺はこの男なら大丈夫だと、そう思ってしまう。


 俺は右手を握り、奴の拳にこつんと当てる。その瞬間、立花の腕時計からオレンジ色の光が放たれた。

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