第6話 幻想の樹(ユグドラシル)
昼休み。俺は立花とともに玄関まで来ていた。
朝のホームルーム前、立花に呼び出された俺は、そこで彼女から緑山についての新たな情報を聞かされた。どうやら、本日中にあいつとアカシックレコードの接続を切らなければならないらしい。というのも、緑山のような接続してしまった人間を、ある期日までに解離しなければ、彼らの創造した世界、緑山でいうところの例の小説の世界が、現実の世界へと上書きされてしまうのだという。
にわかには信じられないことである。ただ、それを話す立花の表情が、真剣そのものであったというのも事実である。
そして現在、彼女は俺に今後やるべきこと、やらなければならないことを解説している。
「緑山くんの世界が上書きされるのは、今日の午後三時前後。たぶん、それまでに緑山くんの方から何らかのアクションがあると思う」
相変わらずふんわりとした説明で、イマイチよく分からないが、それはこの件の特性から考えるに、なくなるものではないのだろう。仕方なくそのまま話を聞く。
「で、そのアクションというのは?」
「うん。それなんだけど、ちょっとこれを見てもらえるかな」
言いながら、彼女は自身のものと思われるオレンジ色のスマートフォンをこちらへ差し出す。画面にはある小説投稿サイトが表示されており、小説のタイトル欄には『神々たちの終末戦争』の文字がある。
「これが昨日話した緑山くんの世界のもとになったと考えている小説」
この女に趣味を覗かれてしまっている緑山に同情する暇もなく、彼女は続ける。
「この小説のストーリーと同じ順番に、緑山くんがレコードを捜査しているのだとすると、昨日の山上くんと和泉さん、この小説で言うとヨルムンガンド? とミョルニル? の戦いだけじゃ、小説を完走できていないんだよね」
立花は北欧神話に詳しくないのか、首を傾げながら固有名詞を発言し、そのように話す。
ただ、彼女の言っていること自体は筋が通っている。この小説の元ネタになったと思われる北欧神話でも、ミョルニルという武器を使う雷神トールと、大蛇ヨルムンガンドの戦いの他にもう一つ、レーヴァテインという武器を使う悪神ロキと、グングニルという武器を使う主神オーディンの戦いが存在するはずなのだ。
「なるほど。つまり、昨夜のようなことが再び起こると?」
「そういうことになるね」
俺の問いかけに、立花は首肯する。
「それに、上書きを止めるのに、緑山くんとレコードの接続を切ることができるのも次が最後」
理解した気になって返答の言葉を探す。さっき「なるほど」は使ってしまったし、変えた方がいいなぁなどとくだらないことに思考を巡らせる。そんなことをしていると、まるで地震でも起こったかのような振動が発生し、同時に物凄い轟音が鳴り響いた。
俺は咄嗟に立花の方を向く。
「もしかして‼」
予想ではあるが、恐らく緑山がアカシックレコードを使い始めたのだろう。つまり先ほど話していた戦いが始まったということだ。
「たぶんレコードが動き出したんだと思う」
彼女も俺と同意見らしい。そういえばここに来てから人の姿を見かけていなかったと、あとになって気付く。ただ、今はそんなことを気にしている暇はないらしい。
「上ですよね?」
爆音の発せられた場所を立花に確認する。
「うん。三年三組じゃないかな。……行こう」
そんな軽いノリで行く場所ではないだろうと思いながらも彼女に続き、まだ振動の止まらない校舎の階段を駆け上がる。
◆ ◆ ◆
「行くよっ」
三組教室前。彼女は息を切らしながら、そのように叫び、ドアを開く。
すると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「
荒れ果てた教室。辺りには机が散乱、黒板には大穴が空き、床には焦げ跡のようなものまでついている。その異様な空間の奥、窓から見える青空を背にし、緑色の光に包まれている緑山の姿がある。奴の右手には前後両端が鋭利な形状をした巨大な槍が握られている。さらにその反対、いわゆる廊下側に、赤色の光に包まれた竜次が倒れこんでいる。
「竜次‼」
その様子が目に飛び込み、俺は竜次へと駆け寄ろうとする。しかし、立花はそれを制止する。
「山上くん! 今動けば、確実に攻撃を受けることになる」
「じゃあ、竜次をこのままにしろと?」
つい、声を荒げて彼女に問う。そんな俺を落ち着かせようと、彼女はゆっくりと話す。
「緑山くんをレコードから切り離せば、そこにいる彼が攻撃を受けたという事実も、現実には上書きされない。だから……今はこっちに集中して!」
「立花さん……」
彼女は優しく、それでいて強い瞳でこちらを見つめる。
そうだ。パニックになって取り乱してしまうのは悪い癖だ。俺はゆっくりと深呼吸をし、精神状態を落ち着かせる。
所詮、相手は緑山だ。一発ぶん殴って、早くこんなところから引きずりだしてやる。気持ちを奮い立たせ、緑色の光球を睨みつける。すると、中に居る緑山と目が合った。その瞬間、奴は冷酷な声で言葉を放ち、槍をこちらに向けてくる。
「
奴の光が次第に強くなっていく。
「来るっ」
その様子を見た立花が叫ぶ。
それとほぼ同時に、彼女は半透明な花を、右腕を突き出し生成。それは、緑色の光球から放たれた柱状の光と激突。衝撃波が教室中に響き渡る。
「山上くん! 昨日みたいに力を貸して」
立花の声で、俺は右手に力を込める。すると、昨夜と同様に蛇を模った銃、毒の大蛇がその姿を現した。
「今!」
立花は出力全開と言わんばかりに、花を巨大化させ、さらにそれを前方へと吹き飛ばす。
その瞬間、俺は全力で駆け出し、緑山の一メートルほど手前でジャンプ、毒の大蛇をメリケンサックのように構え、緑山へと殴りかかる。しかし、それは奴を纏う光に阻まれ、俺は空中で停滞してしまう。数秒間も浮遊できているのも、恐らくこの世界での異能の影響によるものなのだろう。
「邪魔するな‼」
緑山が、こちらを向いて叫ぶ。今回の声は操られたような冷酷なものではなく、緑山という人間そのものから飛び出したもののように聞こえる。
しかし、それでも止めるわけにはいかなかった。
最初は立花に無理やり協力させられているような気もあった。ただ、最終的にこの選択をしたのは俺であり、俺は今自分の決断でここにいるのだ。それに今は、竜次を救うという明確な理由もある。だから、引くわけにはいかない。
「うるせえ‼ てめぇの勝手な幻想を、他人に押し付けんな‼」
緑山の訴えをかき消すように、俺も大声で叫ぶ。
「ここは一旦倒されやがれ‼」
右腕に大きな衝撃が、継続的に流れ込んでくる。
毒の大蛇と光球との間から、火花が散り、閃光が生まれる。
「この野郎‼」
俺の心に呼応するかの如く、毒の大蛇が紫色に光り出す。さらに、それは力を増したのか、緑色の光をゆっくりと、それでも確実に侵食していく。そしてそれは緑山の頭部へと近づく。
「行け! 山上くん」
立花の声が響き渡る中、毒の大蛇越しに、緑山を殴り飛ばす。人に当たった感触が、しっかりと右の拳に伝わる。緑色の光は白色に点滅しながら、爆発のように一瞬で消え去った。一方、緑山の方は大きな音を立て、窓際への床へと倒れこんだ。
「緑山くん」
立花は優しい声で、緑山へと近づいていく。緑山の方はというと、床に座ってはいるものの、体勢を整え、彼女の方を見つめている。そんな中、少女はゆっくりと口を開く。
「緑山くん。君は、非現実に憧れている。そして、現実の方に疲れてしまった。それで、アカシックレコードへと逃げ込んだ。違うかな?」
その言葉に、男は肯定も否定もしない。様子を見つつ、立花は続ける。
「でもね、この世界は素晴らしい。確かにつまらないし、刺激は少ないかもしれない。それでも、それでも、ここにはないものが、現実にはあるの。君は……まだそれを見つけられていないだけなんだよ。きっと」
彼女は、緑山の行いを否定しない。ただ、彼が選んだ方法以外でも、世界というものは楽しめる。他の方法はもっといいものだ。そういった言葉で、緑山を諭していく。
しかし、それで彼が、緑山冬馬が、アカシックレコードから解放されるだろうか。そんな考えが脳裏によぎる。
世界はくそだ。自分の思い通りにならないし、刺激的な出来事は何一つ起こらない。あるのは、退屈な日常と面倒くさい人間関係くらいだ。
最近は、そのことを顕著に感じる。きっと憂鬱なのだ。三年になって周囲は知らん奴らばかりになった。文実の仕事も大変だし、勉強にも身が入らない。現実ってやつを嫌いになりそうにもなる。そしてそれは、緑山も同じなのだろう。
俺には、こいつは青春を謳歌しているように見えた。周りの友人とは楽しそうに会話をし、仕事も笑顔でこなし、授業でもそれなりに活躍している。そんな様子を見て、俺は嫉妬心を抱いたことだってある。しかし、やはり他人の考えていることは、できて推測することまでらしい。完全に理解し合うなんて不可能。それこそ神の所業だ。
だけれども、立花の言葉で少しはこいつの、緑山の気持ちが理解できた。そんな気がした。
俺は緑山の逃避は理解できるし、共感もできる。
――ただ。
「……気に入らねぇな。緑山。お前がやっているのはただ逃げでしかない。世界が思い通りにならないから、こっちに逃げてきている。それだけだ。……でもな、創作の世界はお前の逃げ場なんかじゃない。テメェの幻想を押し付けていいほど、俺たち世界は腐ってねぇんだよ‼」
俺の声がこだまする。緑山は、見上げる俺を睨みつけているようにも見える。何度も言うが、他人が何を考えているかなんて、俺には分からない。それでも、今目の前にいる男の中で何かが動いた。少なくとも俺の目にはそう見える。
それにともない、辺りは光に包まれる。
◆ ◆ ◆
「――山上」
うるせぇな。
「山上!」
なんだよ。
「山上‼」
はっ。
急いで顔を上げる。すると、太陽の光が目に飛び込んでくる。目を細めながら、ゆっくりと周囲の様子を確認する。どうやら、今俺がいる教室では、世界史の授業が行われているらしい。
「寝てねぇで、いいから答えろ」
世界史の教師は、笑みを浮かべながらも強めな声で話しかけてくる。いやいや、そんなこと言われても。こっちは状況を飲み込むので、精一杯なのだ。
「……すんません、分からないです」
質問を聞いても、恐らく答えは分からないだろうと考え、そのように返す。
すると、教室内で笑いが起こった。
◆ ◆ ◆
「それは災難だったね」
夕刻。帰りのホームルームまで、ほぼ放心状態で受けた俺は、学校の駐車場で立花と合流し、帰路に着いていた。
「四限で世界史の授業を受けている山上くんっていう正しい歴史に、アカシックレコードから解放された山上くんの意思が合流したんだろうね」
立花は端的に、俺に起こった現象を解説する。
「それにしても、まさか山上くんからあんな言葉が出てくるとはね。……結構怖いんだね!」
彼女は何故かワクワクしながら、俺の顔を覗き込みつつ話す。そんな彼女を多少無視しつつ、俺は昨夜聞きそびれた真面目な質問を投げかける。
「……立花さんは、なんでこんなことをしているんですか」
ずっと気になっていたことだ。しかも、俺からすると結構重要。ただ、彼女は軽くあしらう。
「ヒ・ミ・ツ!」
ふざけんなとも思った。ただ改めて考えると、俺と彼女の関係はこのくらいがいいのかもしれない。
ふと空を見上げると、そこには淡く美しい橙色が広がっていた。
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