倒錯と摩天楼
駅構内の狂っぽー
序
「出られないんだ、この街からは」
彼女は悲しそうに笑った。
「そんなことはない、電車に乗らなくったって外へは行けるじゃないか」
僕はむきになって反論した。
「それは外を見ているだけに過ぎない、この街の中からね」
僕は嘘を言ったつもりは無かったが、彼女の言葉もまた真実だった。
「いいや、僕は山の手線の外へだっていけるよ。現に」
僕はもうぐちゃぐちゃだった。
「それは錯覚だよ、この街の空気が薄い膜になって君に張り付いているんだ」
彼女の言葉を否定したいのに何も言うことが出来ない。
この禅問答には意味が無い。
十二月ももう半ばとくれば、いかに東京と言えども寒くなる。東京はそりゃあ東北や北陸なんかよりは南にあるし、海も近いからある程度は暖かい。でもこの街から海は見えない。地下鉄に乗れば空も見えなくなる。高いビルがあるせいで年中強い風が吹く。これを
僕は高校に自転車で通っているから、風が強い日や朝によく冷えこむ日は一年の中で一番憂鬱な朝だし、それが一週間に三、四日なんてのもざらにある。学校までは自転車で三十分くらい。一旦大通りを横切って、他所から電車で大勢通っている中学や高校のある地区に滑り込む。そこから堀だかなんだかの名残であるドブの匂いのする川沿いをそって大きな通りに合流する交差点へ。そこで右折してこの通りに沿って十分ペダルを漕げば、高校に着く。僕の通っているのは所謂私立の男子校。
僕はもうここに通って二年、今年で三年目になる。今日は卒業試験の答案返却日で登校時間がいつもより遅かったおかげで行きの間、僕は凍えずに済んだけど、もしいつも通りの時間に来ることになっていたら僕はきっと仮病で休んでいただろう。テストの点が芳しくないから尚更学校に行きたくなくなってしまう。
学校はあんまり好きじゃない、家も、どこもかしこも。逃げる場所は大体決まっていて二人の友達の家、ゲームセンター、新宿とか渋谷とか人の多いところ。
高校に入ったばかりの頃は僕には夢があった、それが何だったか忘れてしまったけど。多分いい大学に入るみたいなありきたりな夢とか、その時付き合っていた女の子と高校生になったからセックスが出来るっていう甘ったれた希望的観測だったり、楽しいスクールライフの予感がしたんだと思う。そういうキラキラした希望、夢がその時には僕にはあった。
もちろん、今の僕にはそんな希望なんてない。
文系三科目平均偏差値54、半年前に付き合っていた女の子は中学の時の子でその気は無かったけど断り切れなくて付き合った、高校に入るときに付き合っていた子は入って二か月もしないうちに別れた。夢のスクールライフは雲散霧消。
テスト返しも終わって、自転車をおしながら校門まで歩く。昼はどうしようか、家に帰っても食べるものが何もない、外で食べるしかない。
校門の外には、見慣れないセーラー服の女子が一人、スマホを触っている。その女子がスマホから顔を上げた時、ふと目が合った。
「あれ、かんちゃん?」
「誰?」
「江口だよ、江口」
かんちゃんとは僕の小学校からのあだ名で、中学でもそう呼ばれていたが、一人だけ他と少し異なったイントネーションで呼ぶのだった。その一人というのがこの江口で高校に入ってすぐに別れた僕の元交際相手、いわば元カノの
「何してんのさ、こんなところで」
彼女に会うのはもちろん、声を聴くのでさえ二年半ぶりくらいだ。僕の声は驚きとこれからの展開への期待で少し上ずっていた。
「ここ、村上くんも通ってるでしょ。ほんとはこれから一緒にお昼行こうと思ってたんだけど、さっき行けなくなったって」
江口はスマホを指さす。村上は中学が同じで共通の知り合いだ。彼はあまり頭のいいほうではないから、きっとテストのことで呼び出しでも食らっているのだろう。
「なんだったら食べに行く?」
僕の決死の申し出に江口は意外そうな顔をしたが、すぐに頷いて
「何食べよっかな」と早速ランチのメニューについて考えているようだった。
「とりあえずここからは動いたほうがいい」
「ここらへんあんまりご飯食べるとこないの?」
「そうじゃなくてあれ」
僕は校門の奥のほうを指さす。江口はよくわかっていないようだった。僕が指差した方向には僕のクラスメイトが沢山おり、もし一人にでも見つかれば冬休みの間クラスラインで話のネタにされることは避けられないだろう。
「なるほどね」
駅と反対の方向に僕らは歩を進めた。
二年半の歳月を感じさせないほど僕らの会話にはよどみが無かった。会話は一度も滞ることが無かった。僕たちの話題は主に中学の同級生たちの近況や、思い出話だった。そうして一個先の駅に着きそうな頃、
「そういえば、なんで村上とご飯に?」
「このあいだ急に元気ですかってメッセージ来て、それで話の流れで」
「ご飯食べに行くことになったわけだ」
男子校での生活に終わりが見えてきて村上も焦りだしたということなのか、
「でもわざわざこっちまで来ることは無いんじゃない、遠いでしょ」
江口は親が離婚して中学三年の時に都外へ引っ越したのだが、うちの中学は越境での通学が認められていたし、学校のあるT区内から実際に通っていたのは全校で三分の一くらいだった。
「たまたまこっちに来る用事があって、そのついでに。ただご飯食べるだけって話だったし。」
「そっか」
その後も会話は続き、昼食はハンバーガーチェーンで済ませ、駅まで江口を送る運びとなった。
「まさか会えるなんて思ってもいなかったよ」
「わたしもだよ、思ってたよりも世間は狭いのかもね」
「そうかもね」
「あ、そうだ。村上くんにごめんって伝えといてくれる?」
「わかった、よろしく伝えとくよ」
じゃあね、と言うと
「またね」と江口は返した。
僕は、もう会うことが無いのが分かり切っているじゃないか、と思うと少し悲しくなった。
昼過ぎから急に冷え込んだせいで僕が家に帰った時には、僕の体はすっかり冷え切っていた。
倒錯と摩天楼 駅構内の狂っぽー @ayata0224
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