さっき焼香したっけ?認知症になった祖母

秋名 理鶯

それは突然やってくる

 各メディアでもよく取り沙汰される「認知症」という病気。皆さんも知っての通り、記憶障害が生じて新しい物事が覚えられなくなり、そしてゆくゆくは昔のことまで忘れてしまうという、あの病気だ。

 数年前のある日、祖父母は親族の法事へ赴いた。そして祖母は祖父に言ったのだ。

 「私、焼香したっけか?」

 当然、順番は回ってきてそれは済んでいた。祖父はその話を冗談でも言うように私に言った。祖父母もそのときで既に齢八十近く、高齢者にありがちな所謂「ボケ」がついにやってきたのかと、そのときは家族の皆が思った。しかし私は祖母が「焼香の仕方」を忘れたのではなく、「焼香をしたかどうか」そのものを忘れていることに気づいたのである。

 これは皆さんの家族が認知症の疑いのある際にも、是非覚えておいて欲しいことだ。

 普通の物忘れでは、何かをした行為そのものはよく覚えているが内容を覚えていないという場合が多い。しかし、病的な物忘れは何かをした行為さえ忘れてしまうのである。

 私は母と相談し、祖母の説得に移ることになった。彼女は勝気な性格をしているが、実はとても臆病な人なのである。そして、とても我慢強い。「これぐらいなんでもない。」という言葉は何度も言われたことだ。だが私は引かなかった、何故ならば認知症は早期発見によって病気の進行をかなり遅らせることが出来るからだ。残念ながら病気を治す方法は見つかっていない。しかし、進行を遅らせることが出来れば彼女が通常の生活を送れる日も増えるということだ。

 私は幼い頃から祖父母にべったりで育った。一緒に住んでいたわけではないが、毎週末には遊びに行き、長期休みになると祖父母の家に預けられていたのである。それ故か、他の孫達よりもきっと彼らを好きなのだと自負している。

 だからこそ、譲ることは出来なかった。

 もし何もなければ「良かったね」で終わるから、という話を軸に何とか嫌がる祖母を説得し病院に連れて行くことに成功した。

 初診の日、緊張気味の祖母とずっと小声で話をしながら検査結果が出て診察に呼ばれるのを待った。そのとき病院でついていたテレビが茄子の特集をやっていたのはよく覚えている。何故なら茄子は彼女の好物だからだ。そして名前を呼ばれ診察室へ。そして先生は言った。

 「秋名さん、おばあちゃんはアルツハイマー型認知症です。」

 私は祖母の病名を告げられたとき、案外冷静だった。元来私は、気になることはとことん調べるという癖を持っている。だからこそ受診までに色々と症状を調べて、恐らく彼女は認知症で間違いないだろうと何となく思っていたのだ。こういうときには、本来慌てたり、焦ったりするものだが、私は逆に落ち着き払ってしまう方なのである。

 一般的にアルツハイマー型認知症は治らないと言われている。アミロイドβという脳の中のゴミが血流を阻害してしまうために、脳の萎縮を引き起こしたりするらしい。祖母の脳もその状態であった。

 しかし、私は祖父母に希望を捨てさせないため、母、伯父達に協力してもらい、「薬を飲んでいれば治る病気だ。」と思い込ませることにした。たとえ悪化していったとしても、その時々では楽しく過ごして欲しいとの願いからだ。しかしこれは、本人にとっては残酷で、周囲の家族が単に楽になりたいからつく嘘なのかもしれない。だがそのときは確かに彼女にとって救いになったはずだと私は信じたい。

 その後は投薬治療と共に、時々認知機能テストが行われ、定期的に脳の血流を測る検査などが行われている。

 そして私が病院受診の付き添いに行くときには、必ずやることがある。それは「楽しみ」を何かひとつ作ることである。病気になる前から彼女はウィンドウショッピングを楽しむのが好きだったので、「ばあちゃん、今日は服を見に行こう。」だなんて言って外に連れ出すのである。当然、その時間はとてつもなく長いが全く苦にはならない。彼女が楽しそうなのは私にとっても、祖父にとっても良いことなのだ。アラサーにもなろうかという私が、祖母に何かを買ってもらう場合もあり、それは滑稽に他ならないが職場の人に言われた「そういうときに買ってもらうのも孝行だよ。」という言葉が実のところ、かなりの救いとなっているのは余談である。

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