episode12 首尾はどうなのと言われても

「で? 首尾はどうなの?」


 午前のお茶の時間に離宮の執務室で顔を合わせるなり、開口一番、そう尋ねてきた弟アルブレヒトには答えず。

 フリードリヒは無言で護衛騎士であるアンハルトを軽く顧みた。

 アンハルトはフリードリヒの意を汲み取って、アルブレヒトに随行してきた秘書官から書類を受け取る。

 彼等の受け渡しを横目に見て、フリードリヒが弟へ注意を戻せば、令嬢達より“あざとかわいい”と評されている愛らしげな雰囲気の顔に全く愛らしくない無愛想な表情を浮かべていた。

 なんとなく胃が悪そうな顔つきでもある。それからフリードリヒの扱いが若干雑で辛辣になった気もする。

 兄弟の間が気安いものになるのは歓迎するところであるけれど。


「まさか第三王子直々に書類を持ってくるなんてね」

「マーリカのお見舞いも兼ねて。これだけ尽力している弟の問いかけに答えないつもり?」

「首尾はって、聞かれてもなにを答えてよいのやらだから……」


 マーリカであれば、「“で?”の脈絡がありません。首尾というのも意味不明です」と返すところだろうなと考えながら、フリードリヒは微苦笑すると随行者の労いをアンハルトに任せて、アルブレヒトをお茶の席に誘った。


「残念ながら、マーリカの部屋は王族立ち入り禁止」

「は?」

感冒かぜ引いちゃって。医官の話では、高熱で消耗したところに、私や私の滞在の準備で人が離宮に出入りしたのがまずかったみたいで、あとマーリカに王族が近づくなって怒られた」

「そりゃそうでしょっ!」

「そんな怖い顔で睨まれても……」


 白大理石に紫檀の猫足をつけた小円卓の、淡い金でダマスク模様を織り出した薄紫の絹地を貼った椅子へアルブレヒトを誘導し、フリードリヒはその向かいの席に落ち着く。

 離宮の管理を任せている使用人によって手際良くお茶の支度がされて、アルブレヒトはカップを取り上げた。


「マーリカは大丈夫なの?」

「熱は下がったようだね」

「まったくもう。見舞いの品だけ置いていくよ」

「うん」


(てっきりマーリカにべったりと思ったら、執務室に通されて驚いたけどそういうことか。人に仕事押し付けて本当になにやってるの兄上……例の事後処理やっぱり上手くやったなと思ったらこれだもの)


「……初めて来たけど、古い割にいい離宮だね」

「まあね、大祖母様の気に入りの離宮で過ごしやすい造りだから。修繕もしているし」


 フリードリヒが執務室としている古い暖炉のある居間は、彼にとってこの離宮で最も寛げる部屋だった。

 長方形の部屋は広過ぎず丁度いい広さである。

 暖炉に火も焚べてはいるが、老朽化した部分を修繕した際に近代設備も入れているため部屋は十分暖かい。

 暖炉の上部と、窓と窓の間の壁の大きな金枠の鏡が空間を広く見せていた。


「いまは冬枯れだけど、初夏になればこの窓から見るバラの庭はとても綺麗だよ」

「ふうん」

「隠居先、第一候補なんだよねぇ」

「いまからそんなこと考えてるんだ……」

「正直、いますぐにでも引退したい」

「ほとんどマーリカに任せて、署名するくらいしか仕事していない人が。公務にやる気がないにもほどがある」

「む、失礼な」

「あのね、社交とか会食とか式典とかあるって言いたいなら、王族なら日常生活の延長ですからね」

「……アルブレヒト」

「決裁書類を仕分けながら他諸々の仕事や雑務もやって、兄上に仕事もさせてたなんて。本当、マーリカには尊敬しかない」

「マーリカは優秀だからねえ」

「優秀たって権限的に限度があるでしょ! ここ一年何ヶ月か国の重要行政事項はマーリカの判断も同然って、秘書官になにさせてるの兄上は!」


 マーリカの穴を埋めるべく、フリードリヒからその仕事を受け取って、その内容を把握したアルブレヒトは変な薄ら笑いが出てしまった。こんなのはもう秘書官じゃなく執務代行だ。

 

「最終判断は私がしてるよ……マーリカの精度がすごいからほぼそのままだけど。私でないと駄目な事は頼み込んでもマーリカ絶対やってくれないし」

「頼み込まずに、自分でやれ!」

「……言うことがマーリカに似てきたね、アルブレヒト」


 カップを口元から離し、窓の外が見えるように設えられている書物机へちらりと視線を送って、はーっと、フリードリヒは気乗りしない長いため息を吐く。

 アルブレヒトもフリードリヒの目線を追う。

 植物を描く寄木細工に装飾された、美しい飴色の艶を放つ机と対となる椅子の背が見えた。机の上には王宮から持ってきた書類が三つの山を作っている。


「持ってきた書類。全部、兄上じゃないと駄目なやつですからね」

「うん……書類仕事片付けないと、私は休暇を得られないしね」


 書物机からさらに部屋の斜め奥には書物机と意匠を合わせたピアノが置いてある。

 本来は、音楽や歓談を楽しむ部屋なのだろうなと思いながら、アルブレヒトは天井から吊り下がる鳥籠を模したような真鍮のシャンデリアを軽く見上げて、彼の兄へと視線を戻す。


「こんな手伝い、医官が見立てたマーリカの療養期間。年明け三週までですから」

「わかってるよ。そんな念押ししなくても……」

「マーリカをただ好きなだけ構って終わりそうだし」

「そういうわけにもなんだよねぇ……令嬢の時は従兄弟だの再従兄弟だのに構われてるらしいけど、私は違うって」

「そういった惚気はいいから。あと兄上、条約相手国をエスター=テッヘンの親族と一緒に道理を説いた・・・・・・おかげで、不穏分子が一掃できたって密書があちらの王家から父上に届いたそうだよ」

「道理? 利権絡みで逆恨みしそうなの他にもありそうか怖いから尋ねただけだけど」


(向こうからしたら、エスター=テッヘンの親族の取次で、内々の会談持ちかけてきた“オトマルクの腹黒王子”に“思惑あってそんな輩を放置しているのか?”って圧かけられたようなものだから……それ)


「マーリカがこんなに弱ったの事故だけじゃなく、過労もあると思うよ。事故の発端も含めたら十中八九、兄上のせいだから」

「うん、マーリカにもそう言われた」


 フリードリヒの言葉に、おやとアルブレヒトは思った。

 直接その場を見たことはないが、兄フリードリヒに対するマーリカの言動が王族に対してかなり辛辣なものであるらしいのは、フリードリヒ自身から聞いて知っている。

 けれどフリードリヒを否定し責めるような事は彼の話でも、アルブレヒトの前でついマーリカが零した愚痴からも聞いた覚えはない。


(ふうん。少しは切り崩せている?)

 

 マーリカは家臣として実によく弁えた人物だ。

 弁え過ぎていて令嬢としては鉄壁過ぎる。

 神に愛されし容貌なフリードリヒが、普通の令嬢なら一瞬で誤解しそうな構い方をしても通用しない。


(兄上は兄上で、大兄上の道徳教育のおかげかマーリカが承諾しないことは絶対しないし。マーリカも他の相手にこうも付き合うと思えないから、たぶん憎からずとは思うけど。あああっ、どうして兄のこんなもだもだした恋愛に僕がやきもきしないといけないのさっ!)


「兄上が動いて大臣連中マーリカにほぼ乗り気だから、王国と全文官組織のため本当がんばって」

「そう言われてもね……」


(自分でこれだけ周囲に示すようなことして、この期に及んでまだ言うかこの人)


「マーリカじゃないと兄上は無理だと思うよ。次からは今日連れて来た秘書官が運ぶから」

「戻るの? なら庭に出ようと思っていたし見送ろう」

「……暇なら仕事しなよ。あとマーリカ疲れさせないようにね」


 フリードリヒに嘆息しながら、アルブレヒトは随行の者と馬車に乗り込むと護衛騎士数人と共に王宮へと帰った。

 弟を見送って、フリードリヒはさてと呟くと、広い庭のあまり整えられていない隅を歩く。

 時折立ち止まっては地面にしゃがみ込みを繰り返し、寒い寒いと言いながら建物の中へ戻った。

 使用人にハンカチに包んだものを渡して綺麗な水で洗うよう指示し、執務室に戻った彼は渋々アルブレヒトが持ってきた書類をめくる。

 室内に響くような大きなため息を吐いて、フリードリヒは机に向かった。

 三日に一度やってくる書類仕事を終えないと彼は休暇を得られない。

 休暇中の第二王子として、マーリカを構いにいけないから仕方なくだ。

 アルブレヒト曰く、書類を確認して署名するだけ。

 しかしながら、こんなに真面目にたくさん仕事するのは人生初だとフリードリヒは思う。


「本当……寝てても私に仕事をさせるのだから、マーリカは優秀だよね」


 護衛騎士として側についているアンハルト他、近衛騎士達に塩と砂糖を間違えてなめたような渋い表情をさせつつも、フリードリヒは昼下がりの頃までペンを動かし続けた。

 これもまた、フリードリヒの人生において初めてのことであった。

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