6-11 手がかりと真実確定

「……最初は、ただの本だと思っていたんです」


 最初にそう前置きをし、ローレリーヌは自身の記憶をなぞりながら話し始めた。

 全ての始まりは、テーブルに置いていた本を受け取ったこと。

 フレーデガルに出す茶菓子のレパートリーを増やすため、ある人物から他国や他領で食べられている茶菓子について記された本をもらったのが引き金だった。


「私が倒れて動けなくなる前、とある方から茶菓子について記された本をいただいたんです。旦那様にお出しする茶菓子のレパートリーを増やしたいとこぼしたら、ちょうどいい本が手元にあるからどうかと言われて……」


 最初は断った。ただのスティルルームメイドがそこまでしてもらうわけにはいかないと考えて。


『ローレリーヌさんが実際にこの中から一品作って、それが代金ということでどうでしょう?』


 けれど、そういわれて無理に断るのも失礼に感じてしまい、ローレリーヌは数分の葛藤の末についに首を縦に振った。


「そのお話から数日後、再度お屋敷へやってきたその方から本を受け取りました。確かに私がまだ見たことのないお茶菓子について書かれていて、胸が躍ったのをよく覚えています」


 見たことのない、可愛らしく飾られた色とりどりの茶菓子たち。

 文章と一緒にページの中へ閉じ込められた茶菓子の写真に、ローレリーヌの胸が躍った。こんなに素敵な本があったんだと感じ、本をくれた人物へ感謝の言葉を口にしたのもよく覚えている。

 そのときは軽く目を通しただけで、じっくり読んだのは一日の仕事が無事に終わってから。眠る前に読もうと考え、本を開いては一冊一冊丁寧に中身を読み込んでいった。


 きっと、だからだ。もらった本の中に、あんな不気味なものが混ざっていたことに気づけたのは。


「たった一冊を除いて、いただいた本にはどれも私がまだ見たことのないお茶菓子の話や作り方、写真が掲載されていました。すごくわくわくする気持ちで読み進めていたんですけど……」

「その、問題の一冊に気づいたんですね」


 イツカの声に、ローレリーヌが静かに頷いた。


「他の本と異なり、黒い無地にブックカバーがかけられていて……でも、お茶菓子について書かれた本の中にあったんだから中身もそうに違いないと思って。他の本と同様に、読み始めたんです」


 ところが、いざ読んでみたら茶菓子のことについてなんて一切綴られていなかった。

 かわりにページいっぱいに埋め尽くされていたのは、なんとも不気味な話。目に見えない呪詛や穢れという力、人を簡単に傷つけられる呪術という力についての話。

 読み進めるうちに怖くなり、当時のローレリーヌは途中で読む手を止めて勢いよく本を閉じた。どうしてこんな本が混ざっているのかわからず、とにかく不気味に感じてしまったのもよく覚えている。


「中身を少しだけ読んで、間違えて混ざってしまったんだと思いました。でも、あの方があんな本を持っているというのもなんだか不気味で……。とにかく、これは次にお会いした際に返そうと思って違う場所に置いておいたんです」


 また次に会ったとき、即座に渡せるようにと応接室にある棚へと置いた――置いたはずだった。


「……なのに、翌朝。翌朝テーブルを見たら、応接室の棚に置いたはずの本が戻ってきてたんです」


 ベッドでいつもどおり目覚め、何気なくテーブルへ視線を向けた際に感じた恐怖がローレリーヌの足元から再度忍び寄ってくる。


「最初は誰かが私の部屋に戻したのかと考えました。ですが、何度応接室の棚に置いても翌朝にはテーブルの上に戻ってきていて……。それに、誰も応接室に置かれていた本に触ってないって言ってて」


 そこで思ってしまったのだ。


 まるで、本がローレリーヌの手元に一人でに戻ってきているかのようだと。


 一度そう思ってしまえば、あの本が恐怖の対象になってしまった。不気味で、手放したくても手放せなくて、本来の持ち主のところへ返してもまた次の日には己の部屋に戻ってきているのではないかと思ってしまって。

 他の本を上に重ねて隠し、直視しないようにするので精一杯だった。

 よみがえってきた恐怖にローレリーヌの身体がわずかに震え、己の身体を強く抱きしめる。

 そんなローレリーヌの様子を見つめていたイツカも、おもむろに両手を伸ばして彼女の身体を強く抱きしめた。


「……大体わかりました。ありがとうございます、ローレリーヌさん。とても怖かっただろうにお話してくれて」


 違う部屋に置いても、何度でも部屋の中に戻ってくる本。

 イツカは普段からその手のものと縁があるため慣れているが、不慣れなローレリーヌにとって非常に恐ろしいものだっただろう。そんな経験をしたあとに呪詛の悪影響で体調を崩しているのだから、本に対して強い恐怖を感じるようになっても仕方ない。


 かすかに震えるローレリーヌの身体を抱きしめる腕にわずかに力を入れ、彼女の背中を軽く擦る。背を擦る動きを何度か繰り返していれば、次第にローレリーヌの震えも落ち着いてきた。

 深く息を吸い込み、吐き出し、ローレリーヌがわずかにイツカを抱きしめ返してくる。


「……こちらこそ、お話を聞いてくれてありがとうございます。クラマーズ様。なんだか少しだけ気持ちが楽になったような気がします」


 そういって、ローレリーヌはわずかに笑みを見せたあと、そっとイツカを抱きしめていた両腕を解く。

 イツカもローレリーヌを抱きしめていた腕を解き、彼女の両肩を優しくぽんぽんと叩いてからそっと離した。


「いえいえ。ちょっとでもローレリーヌさんの恐怖が和らいだのなら、わたしも嬉しいですから。ずっと気になっていたことに答えてくれてありがとうございます。お仕事の邪魔をしてしまってすみません」

「いいえ、お気になさらないでください」


 首を左右に振り、ローレリーヌが浮かべていた笑みを深くする。

 先ほどよりも柔らかくなった彼女の表情を目にし、イツカもつられて口元を緩ませた。


「そうだ。お話を聞いてくれたお礼に、クラマーズ様が食べたいと思っているお茶菓子をお教えくださいませんか? 次のお茶の時間にお持ちしますから」

「あら、いいのですか? それなら――」


 元気を取り戻したように見えるローレリーヌと言葉を交わしながら、イツカは考える。

 あの本について話していたとき、ローレリーヌは心の底から怯えているように見えた。身体のわずかな震えまで演じることができる人間はそうそういないだろう。

 おそらく、ローレリーヌが話してくれたことは真実だ。第三者に渡された本の中に混ざっていたのであれば、使用人であるローレリーヌの下に例の本があったのも頷ける。

 もしそうであれば、あの本を入手できそうなのはただ一人。

 表向きはローレリーヌとの会話を続けながら、イツカは心の中で苦い思いを噛みしめる。


(……協力者だと思っていたし、フレーデガル様の親しい相手でもあるから、できればあんまり疑いたくないのだけれど……)


 柔らかな声と表情で言葉を紡ぎ、見る者を和ませる可憐さを持つ令嬢。

 イツカと同じ、この世のものではない呪詛や穢れが織りなす世界を知っているであろう者。


 ――ヴィヴィアの姿が脳裏に浮かび、イツカは深いため息をつきたい気持ちでいっぱいになった。

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