6-9 手がかりと真実確定
イツカが呪詛の影響から回復して、翌日。
念の為に目覚めてから一日休んだのもあり、イツカを襲っていた不調はすっかり取り除かれていた。イリガミ様が呪詛を喰らってくれた効果もあって、すっかりいつもどおりだ。
人工的に作られた怪異による呪詛。実際に受けたのははじめてだが、イリガミ様の力があればなんとか対処ができそうだ。
(今後同じ呪詛を受けても次からはダメージを減らせそう)
両手を握って、開いて、何度も自分の手の動きを確認する。両手ともスムーズに動かすことができ、イツカは一人頷いてから改めて正面を見た。
療養先の離れから本邸へ戻ってきたのが、つい先ほどのこと。本邸を離れていたのはイツカの体感では一日だけだが、数日眠ったままだったという話を聞いているからか、なんだか久しぶりに感じられた。
ゆったりとした足取りで廊下を歩き、厨房に続く道を歩いていく。
イツカが離れている数日の間に呪詛の侵食が悪化しているのではないかと心配していたが、厨房に続いている道のりの中で呪詛や穢れらしきものは見当たらなかった。
(もしかして、チェスロック様が何か対策してくれたのかな)
ネッセルローデ邸を出入りしている人物の中で、呪詛に関する知識がある人間はイツカ以外だとヴィヴィアだけだ。イツカが離れで休息をとっている間、本邸で発生している呪詛や穢れに対して何らかのアクションを起こせるのはヴィヴィアしかいない。
怪しい可能性がある候補として浮上した相手でもあるが、呪詛や穢れの影響が少ない状態で保たれている屋敷内を見ているとやはり協力者として見るべきか――という思いも出てくる。
(……この辺りの判断をはっきりさせるためにも、やっぱりまずはローレリーヌさんのお話を聞きたいな)
ローレリーヌがどのような反応をするのか、その情報も思考材料にすれば何か見えてくるはずだ。
イツカが廊下を歩きながら一人で頷いたとき、厨房から見覚えのある女性が出てくる瞬間が見えた。
「……あ」
遠目からでもわかるブルネットの髪と、はじめて離れにある療養部屋へ足を踏み入れたときに見た景色が重なる。
あの髪色をした人物で、タニアたちと同じメイド服に身を包んだ女性。イツカが知っている中で、ブルネットの髪をした使用人は一人しかいない。
厨房の中へ向かう予定を変更し、少し早足でつい先ほど出てきたばかりの彼女を追う。
イツカが立っていた位置からは距離があったが、彼女の背中を追いかけ続けていれば、相手にしっかり声が届く範囲まで無事に追いつけた。
「あの、少々よろしいでしょうか」
「はい?」
イツカが声をかけた瞬間、目の前の彼女がブルネットの髪を揺らして振り返る。
こちらを向いた顔は、やはり記憶の中にある姿と一致するものだ。
清潔感のあるブルネットの髪。あのときは瞼の下に隠されていてわからなかった目はイツカにとって馴染み深い色である黒。すらりと伸びた背丈からは大人びた空気を感じさせるが、こちらを見るきょとんとした表情からはほんの少しの幼さも感じられる。
スティルルームメイドのローレリーヌ。呪詛に蝕まれて倒れていた状態からすっかり回復した姿で、イツカの眼前に立っていた。
「突然すみません。ええと……スティルルームメイドのローレリーヌさんでしょうか」
本人であると確信しているが、ローレリーヌからするとイツカは初対面の相手だ。はじめて会う相手から突然名前を呼ばれれば、困惑させてしまうに違いない。
そう考えてローレリーヌの名前を確認するための言葉をかけると、彼女は不思議そうな顔をしながらも頷いた。
「はい……確かに、私がローレリーヌですが……」
「よかった、会っていて! わたし、あなた様にはまだちゃんとご挨拶ができてなかったなって思って、ずっと気になってたんです」
ぱっと笑顔を浮かべ、イツカは胸に手を当てて口を開く。
「はじめまして、ローレリーヌさん。わたしはイツカ・クラマーズと申します。フレーデガル様の婚約者候補としてこちらに滞在させてもらっています」
イツカが何者であるか名乗った瞬間、黒曜石を思わせるローレリーヌの目が大きく見開かれた。
その後、少々慌てた様子で深々とお辞儀をし、ローレリーヌも自身の名前を口にする。
「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。スティルルームメイドを勤めさせていただいております、ローレリーヌと申します。クラマーズ様のことはタニアから聞いております、わざわざお見舞いに来てくださったと……優しいお心遣い、本当に感謝いたします」
「あっ、そんなにかしこまった感じにならなくても大丈夫ですので!? それに、お見舞いもわたしがタニアさんからお話を聞いて、勝手にしたいと思った結果ですので……」
非常にかしこまった雰囲気で言葉を返され、イツカは慌てて両手を振りながらそういった。
一体どのような状態なのか確認したいと思ったのがきっかけだが、ローレリーヌの下へ様子を見に行きたいと考えたのは、本当にイツカが勝手にそう思って実行しただけだ。イツカの独断でやったことなのだから、そんなに深刻に捉えないでほしい。
ローレリーヌがゆっくりと顔を上げて背筋を伸ばす。こちらを見る黒い目はどこか申し訳なさそうだ。
「本当に、わたしが勝手にやったことですから。ローレリーヌさんはどうかお気になさらず。それよりも、体調が無事に戻ったようで安心しました」
ぱっと見た印象では、呪詛に蝕まれ続けていたことによる後遺症もなさそうだ。
笑顔を浮かべて話題をそらすための言葉を紡げば、ローレリーヌの口元にわずかな笑みが浮かんだ。
「……はい。このとおり無事に良くなりました。クラマーズ様がお見舞いに来てくださったからかもしれません」
「ふふ、ならあのときお見舞いに行くと決めて正解だったかもしれませんね」
実際、ローレリーヌがこうしてまた仕事に復帰できるようになったのはイツカが呪詛を浄化したからなのだが――それを伝えても恩着せがましくなるだけだ。
真実は伏せた状態でそういったあと、イツカは軽く深呼吸をする。
ある程度話が一段落したと思われるこのタイミング。チャンスは今しかない。
「ところで、ローレリーヌさんのところへお見舞いに行った際に変わった本を目にしたんです。あれは――」
何の本だったのでしょうか、と。紡がれるはずだった言葉は、そこでぴたりと止まった。
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