第六話 手がかりと真実確定

6-1 手がかりと真実確定

 時計の針が時を刻む音が部屋を満たしている。

 綺麗に整えられたその部屋には、時計以外に音を奏でるものがほとんど置かれていない。ただただ息苦しいほどの静寂が広がっているだけで、それが室内にいる人物に起きている異常をはっきり物語っていた。


「……失礼します」


 しんとした部屋に、扉をノックする音が響く。

 一言断ってから入室しても返事が返ってくることはなく、入室者であるフレーデガルは苦い顔をした。

 本邸ではなく、療養のために作られた離れの一室。普段は客人のために解放されることのないその部屋では、フレーデガルにとって見慣れてきた少女が静かに眠っていた。

 できるだけ足音をたてないよう気をつけながら移動し、室内の奥に設置されたベッドへ歩み寄る。そこで静かに寝息を立てている少女の顔を覗き込み、ほっとすると同時に表情を苦しげに歪めた。


「……あの一瞬のうちに、一体何が起きたのですか」


 語りかけても返ってくる声はない。

 それでも行動を止める理由にはならず、フレーデガルはベッドの中にいる彼女の手を優しく握った。


「イツカ様」


 ベッドの中で眠っているイツカは、何の返事も返してはくれなかった。

 彼女の身に何が起きたのか、あの一瞬でどんなことが起きたのか、フレーデガルには何もわからない。

 ただ、お茶に誘って頷いてくれた彼女とともに庭園のガゼボまで移動しようとした瞬間、手を繋いだイツカが突然倒れたようにしか見えなかった。


 倒れた直後のイツカの顔色が悪かったため、こちらが気づかなかっただけで実は体調が悪かったのかと最初は考えた。しかし、倒れる前のイツカを思い出しても顔色が悪かった覚えはなく、前々から体調を崩しているようには見えなかった。

 もし、イツカが体調を崩して倒れたのだとすると、フレーデガルと手を繋いだあの一瞬の間で急激に体調を崩したことになる。


(……だが、本当にそんなことがありえるのか?)


 それまで元気だった人間が、一瞬で急激に体調を崩して倒れるなど、本当にあるのだろうか――?

 考えてみても、答えはノーだ。ほんの一瞬の間で倒れるほどに体調が悪化するなど、どう考えてもありえない。

 ……ありえないはずだ。


「……」


 苦々しい顔のまま、フレーデガルは己の片手へ視線を落とす。

 ある日を境に、自分の身の回りで起きるようになった不可解な出来事。フレーデガル自身だけでなく、傍にいる一部の使用人にも起きている現象が頭の中から離れない。

 イツカはフレーデガルと手を繋いだ瞬間に、それまで元気そうだったのにも関わらず倒れた――ということは。


(……私がイツカ様に触れたことで、何かが起きてしまった?)


 フレーデガルには、自分の身に何が起きているのか具体的にわからないけれど。

 もし、己がイツカに触れたのが原因になっているのだとしたら――。


「……イツカ様が倒れたのは、私が原因ということになる……?」


 考えていたことが唇からこぼれ落ちる。

 フレーデガルが原因ではない可能性もあるが、前後の状況から考えるとそうとしか思えない。だって、イツカはフレーデガルと手を繋いだ瞬間に倒れたのだから。

 己の身や一部の使用人たちの間で起きている何かが、あの一瞬でイツカにも起きたのだとしたら?


 胸の中に苦々しい思いが広がり、フレーデガルは強く唇を噛みしめる。イツカと繋がれている手にも力が入ったが、やはりイツカが何らかの反応を返してくることはない。ただひたすらに静かに眠り続けているだけだ。

 もし、イツカの身に起きた異変が己のせいだとしたら。


(……私は、イツカ様にどのような顔を見せたらいいのだろう)


 考えれば考えるほど苦々しい思いが広がり、思わずフレーデガルの唇から重たいため息がこぼれた。

 ずっと握っていたイツカの手を離し、立ち上がる。

 叶うならイツカが目覚めるまで傍にいたいところだが、己は領主だ。他にやらなくてはならないことがたくさんあるし、いつ目覚めるかわからないイツカの傍に居続けるのは難しい。

 彼女が目覚めたらすぐに教えてもらえるよう、使用人たちに頼んでおこう。すぐに様子を見に行けるようにしておこう。

 そう決めたとき、フレーデガルの背後でわずかな物音がした。


「!」


 ば、と反射的に振り返る。

 イツカが眠っているこの部屋の出入り口には、いつからいたのか、フレーデガルにとって恩人といえる一人の姿があった。


「……チェスロック嬢?」


 はつり。呟くような声量で、フレーデガルは相手の名前を口にした。

 部屋の出入り口に立っていたのは、たびたび相談に乗ってもらっている相手――恩人の一人であるヴィヴィアだ。


「ネッセルローデ侯爵様」


 ヴィヴィアの声が静かな部屋に響き渡る。

 こちらを真っ直ぐ見つめているヴィヴィアは、どこか真剣そうな顔をしており、まるで何か重要な秘密をこちらに打ち明けるか否か迷っているかのように見えた。

 ヴィヴィアの唇が何度か開いては閉じられ、眉間にシワが寄る。何かを伝えようとして、けれどすぐにやめているかのようだ。


「どうしたのでしょうか、わざわざ離れまで」


 ヴィヴィアが何か言い出すまで待ってもいいが、こちらから声をかけてみる。

 すると、ヴィヴィアが何やらはっとした顔をして、けれどまたすぐに唇を閉ざし――わずかに時間を置いたあと、改めて口を開いた。


「その……こちらに、ネッセルローデ侯爵様がいらっしゃるとお聞きして……」


 そういって、ヴィヴィアは再び数回ほど音もなく唇を何度か開閉させる。

 けれど、今度は黙り込まず、意を決したかのように顔をあげて言葉を続けた。


「ネッセルローデ侯爵様、少々お話したいことがあります。お時間をもらうことはできますか?」

「……話したいこと?」


 このタイミングで、話したいこととは何か。

 純粋な疑問を胸に復唱したフレーデガルへ、ヴィヴィアは頷いてから答えた。


「ネッセルローデ侯爵様の御身に起きていることについて、クラマーズ様がいらっしゃらないところでお話したいことがあるのです」

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