5-2 噛みつき姫の真実探し

「いいか、イツカ。僕たちクラマーズは特殊な家系だ。僕らの間では普通のことも、他の家から見たら普通ではないのが大半だ。わかってるな?」

「はい……幼い頃からお父様やお母様から繰り返し言い聞かされていることです……」


 コウカが深い溜息をつき、腕組みをする。

 イツカがまとう空気は非常に重たいのに対し、傍にいるイリガミ様はずっと笑い転げている。


「他の家から妙な目で見られるのは良くないことだ。改めて注意するように」

「深く心に刻みつけておきます……本当に申し訳ありませんでした……」


 今回の場合、そのおかげでフレーデガルと出会えたという部分もあるのだが――毎回そう上手く物事が転ぶわけではない。普段から振る舞いに十分注意し、他の家から見ておかしいと感じる振る舞いをしないように気をつけるのが一番だ。

 コウカの言葉に小さく頷きながら、イツカは改めて彼の言葉を胸に刻みつける。

 すっかり小さくなってしまった妹の姿を無言で見つめたのち、コウカはふっと表情を緩ませた。


「……イツカも反省しているみたいだし、今回はここまでにしておこう。あなたにも申し訳なかった、戸惑わせてしまって」

「あ、そ、その、大丈夫です! あたしのことはお気になさらずに! どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ!」


 はっと我に返り、タニアは首を左右にぶんぶんと振った。その後、急いだ様子でイツカとコウカの前に紅茶を注いだティーカップを置く。お茶菓子のスコーンも一緒に運ぶと、慌ててお辞儀をして退室した。


 ちょっとだけ慌ただしい様子はあまり褒められたものではないだろうが、同時に少しの微笑ましさも感じさせ、イツカはわずかに口元を緩ませた。

 そう感じたのはコウカも同じだったらしく、彼の表情にも柔らかさがふっと戻ってきた。

 凍りついていた場の空気を和らげてくれたタニアには、本当に感謝しなくてはならない。

 後々で彼女にお礼の何かをこっそり持っていこうと決意しつつ、イツカは彼女が出ていった部屋の出入り口からコウカへ視線を戻した。


「ずいぶん慌てていたな。ちょっとだけ申し訳ないことをしたか」

「多分、あれがタニアさんの性格なんだと思いますよ。わたしは結構好きです、可愛らしいですし」

「同意する。……さて、と」


 短い言葉を交わしたあと、コウカの目つきがすっと変わった。

 どこまでも静かな、落ち着きと静寂に満ちた目。いっそ凪いだ海のような気配さえ感じさせるその目つきは、コウカが呪詛や穢れと対峙した際に見せるものだ。

 兄が見せるこの目を見た瞬間、イツカはいつも背筋を伸ばしてしゃんとしなくてはならない思いに駆られる。


「事前にある程度の話は聞いているが……妙な呪詛と対峙しているんだよな? 今」

「はい」


 頷きながら返事をし、イツカは言葉を続ける。


「大体の情報は事前にお話しましたとおり。力の弱い術士による呪詛であると考えていますが、だとすると妙な点がいくつか存在します。憑き物に似たものまで現れたのであれば、わたしの最初の考えが誤っているのではないかという不安さえ感じています」

「イツカが予想している呪詛の種類は?」

「感染タイプ。使用人の一人が最初に影響を受け、そこから徐々に範囲が拡大し、現在は領主であるフレーデガル様も影響を受けています。この広がり方から感染タイプだと予想しました。……しかし、最初にフレーデガル様ではなく使用人が影響を受けたこと、力の弱い術士が犯人にしては呪詛の環境汚染が広がっている点が気になっています」


 イツカの話に耳を傾けていたコウカの目が動いた。

 きろりと赤い目が周囲の状況を確認するかのように動く。この場で気になる呪詛はイツカの目に映っていないが、コウカの目にはまた違った世界が映っているのかもしれない。

 わずかな沈黙のあと、コウカが浅く息を吐きだした。


「確かにそれは気になるな。力が弱い術士が向けた呪詛の場合、ここまで気配が広がることはない」

「……お兄様は、これまでにこういった呪詛を目にしたことはありますか?」


 コウカはイツカよりも先に生まれ、父や母とともに領民たちを呪詛や穢れの影響から救ってきた。家族であると同時に、呪詛や穢れが織りなす世界では先輩だ。

 イツカではわからなくても、研究者として知識をつけ、活躍しているコウカなら――。

 そんなささやかな希望に近い思いを抱いて問いかけると、コウカは無言で思考を巡らせはじめる。

 しばしの沈黙が応接室の中に広がったあと、一度閉ざされたコウカの唇がゆっくり開いた。


「予想される術士の力と、実際に猛威をふるっている呪詛の力が噛み合わないパターンは非常に珍しいが一度目にしたことがある」

「! 本当ですか!?」


 がたん。

 テーブルを叩くような勢いで身を大きく乗り出し、コウカへ顔を近づける。イツカの両手がテーブルに勢いよくついた影響で、ティーカップがかちゃりと音をたてて中に入っている紅茶がわずかに揺れた。

 コウカの手がイツカの額に触れ、ぐいとソファーのほうへ強く押される。


「イツカ。いつでも落ち着きを持った振る舞いをするように」

「あ……は、はい」


 兄の行動と一言で、はっと我に返る。

 そうだった。いつも落ち着きのある振る舞いを。クラマーズ家の人間として恥ずかしくのない振る舞いを――今よりも小さな頃、両親から言われたことの一つだ。

 ここは自宅ではない。少しずつ過ごし慣れた場所になりつつあるが、ネッセルローデ邸の中だ。


 大きく息を吸って、吐き出し、深呼吸をする。

 最後に紅茶を一口飲み、イツカは興奮していた自身の心をそっとなだめた。

 ちらりと横目でイリガミ様の様子を見てみると、彼もまた落ち着きを取り戻したらしい。イツカが座っているソファーの傍で床に伏せており、興味深そうな目をコウカへ向けていた。


「術者の力と呪詛の力が噛み合わない場合、ただの呪詛ではないことが多い。加えて、イリガミ様たち憑き物に似た姿の何かを目撃したのなら……」


 そこまで言葉を紡いだところで、コウカが再び黙り込む。

 わずかな緊張をにじませる表情で、イツカは静かに何かを考えているコウカを見つめた。

 数分ほどの沈黙のあと、コウカの唇が再度動く。

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