4-7 黒い靄糸を辿って

 吸い込む空気から重苦しさが完全に消える頃、不自然に暗かったローレリーヌの部屋は本来の明るさを取り戻していた。

 窓から差し込む光が正しく室内を照らし、今の時間帯を正しく伝えている。

 ベッドで眠っているローレリーヌはまだ目を覚ましていない。

 だが、呪糸も呪詛も取り除かれたことにより、最初に目にしたときよりも落ち着いた寝顔になっていた。


 イツカの身体からも呪糸の悪影響がだいぶ抜けており、目眩も気分の悪さも感じない。これなら問題なく調査を行えそうだ。

 ほっと息を吐き、イツカは満足そうに口周りを舐めているイリガミ様へ声をかける。


「ありがとうございます、イリガミ様。お腹は少し満たされましたか?」

『ちょっとはなァ。けど、時間が経てばまた飢えてくるだろうなァ』


 イリガミ様から返された言葉を耳にし、イツカも柔らかく笑みを浮かべる。

 完全にイリガミ様を満たすには程遠いが、少しでも彼の飢えを和らげられたのは嬉しいことだ。最終的にまた強い飢餓感に襲われることになるとわかっていても。

 新たに呪詛が侵入するのを防ぐため、新たに浄化のお香を取り出し、火を灯してから香皿に新しいものを置いた。


 ローレリーヌの状態の確認と呪詛の浄化が終わり、一息ついた空気が場を支配する。

 呪詛を受けていた本人であるローレリーヌからも話を聞きたかったが、まだ眠っているのなら無理に起こすのは避けたい。だが、何も新たな情報を得ずに終わらせるのも避けたいところだ。

 起こすか、それともまた違う調査を行うか。

 考えながら室内を見渡していたイツカだったが、ふと、テーブルの上に積まれた本に視線がとまった。


「……?」

『どうしたァ、おひいさん』

「いえ……なんだか、あそこに積んである本が少し気になって」


 ぱっと見ただけでは、ただ積まれただけの本だ。

 しかし、なんだか妙に気になって仕方ない。積まれただけのただの本であるはずなのに、視界に入った途端どうしてもそちらに意識が向いてしまう。

 イリガミ様もイツカの視線を追いかけ、テーブルに積まれた本たちに目を向ける。


『……へェ』


 しばしの空白ののち、イリガミ様の目が弧を描いた。


『ちょいと調べてみなァ、おひいさん。どうやら面白いモンが置いてあるみたいだぜェ』

「面白いもの?」


 イツカはきょとんとした顔をし、わずかに首を傾げた。

 イリガミ様が反応を示したということは、何かがあるのは確定だ。しかし、面白いものと言われても何があるのか、あまり思い浮かばない。

 本人が眠っている傍で家探しに近い真似をするのは気が引けるが、何らかの情報が眠っている可能性だって十分ある。


 しばしの間、じっと考え込んでいたイツカだったが――ゆっくりとした歩調でテーブルへ歩み寄り、積まれている本へ手を伸ばした。

 日記らしきものから始まり、紅茶の淹れ方や茶葉について記された本、世界各国のお菓子について記された本など――スティルルームメイドらしい本が並んでいる。

 だが、その中に混ざっていた一冊を見つけた途端、イツカの表情が険しくなった。


「……」


 積まれた本の一番下にあった本は、呪詛と呪術について記された本だ。

 険しい顔をしたまま本を開き、ぱらぱらとページをめくっていく。多くの人にとってはフィクションとして映る内容だが、記されている内容が全て本物であることはイツカがもっともよく知っている。


 古くよりシャヨウ国の陰に存在している呪術の一種である蠱術から始まり、降霊術や憑きもの筋、人形を用いる人形術――さまざまな国に存在している呪術についてまとめられているその本にじっくり目を通し、イツカは眉間に刻まれたシワをより深いものにした。

 呪術の種類だけでなく、どのような方法で行うのかまで記されたこれは、国によっては禁書に指定されていてもおかしくない代物だ。


『どうだァ? なかなかに面白いモンがあっただろォ?』


 イリガミ様が楽しげな声色で声をかけてくる。

 険しい顔をしたイツカとは対照的に、イリガミ様はにやにやと心底楽しそうな笑みを浮かべている。本来であれば人の負の感情を好み、人を襲うこともある存在だ。イツカの反応が楽しくて仕方ないのだろう。

 浅く息を吐きだし、手に持った本を一度閉じてからイツカが口を開く。


「面白いかどうか問われると少々判断に困りますが、大変興味深いものであることは確かでした。このような本、一体何故ローレリーヌさんの部屋に……」


 呪術について詳しく記された本の多くは禁書指定されている。専門家であるクラマーズ家ならいくらか手に入れることができるが、それでも全ての本を入手するのは困難だ。専門家ではない人間が手に入れるとなると困難を極めるはずだ。


(なのに、何故)


 何故、スティルルームメイドとして働いているローレリーヌの部屋にこれがあるのか。

 考えるイツカのすぐ傍で、イリガミ様がくつくつと楽しそうに笑い声をあげた。


『もしかしたら、こいつが今回の事件の犯人だったりしてなァ?』

「ローレリーヌさんが……」


 イリガミ様が口にした言葉を復唱し、考える。

 ローレリーヌがネッセルローデ領を蝕む呪詛の犯人だとすると――おそらくだが、呪術の力を自分でコントロールしきれなかったと予想できる。

 表からは隠されがちな技術のため、知っている人間は少ないが、呪術は術者本人の力が大きく影響する。

 力がある術者であれば強大な効果を持つ呪術を扱えるが、そうでない術者が強い呪術を扱おうとした場合、術者本人も呪詛に蝕まれることになる。


 ローレリーヌが力の弱い術者だったと仮定すると、彼女が最初に呪詛の影響を受けたのも納得できる。呪詛が暴走したと考えたら、これまで確認された奇妙な特徴も頷けるかもしれない。

 だが、ローレリーヌが犯人だとすると、納得できないこともある。


「仮にローレリーヌさんが犯人だとして……フレーデガル様に呪いをかける理由はなんでしょうか」


 誰かに呪いをかける理由として、真っ先に挙げられるのは対象となる人物に何らかの恨みがある場合だ。

 呪術は人間の身を蝕み、害を与えるもの。どのような害を与えるかは使った呪術の種類にもよるが、最悪の場合、対象となる人物の命を奪うこともある。人間を始めとした生き物にとって呪詛とはそれだけ強力な毒だ。

 それだけの毒をフレーデガルに飲ませる理由が、ローレリーヌにはあるのだろうか?


 ベデリアをはじめとした使用人たちの様子を見てきた感覚では、フレーデガルは使用人たちから恨まれるようなことはしていない。恨まれたり嫌われたりするどころか、使用人たちから好かれる印象しかない。いくら考えてもローレリーヌにはフレーデガルに呪いをかける理由がないように感じてしまう。

 それとも、まだイツカが知らないだけでフレーデガルに負の一面があるのか――?


(……いや、多分それはなさそうかも)


 仮に負の一面があるとしたら、彼と長く時間を共有している使用人たちが目にしているに違いない。だが、使用人たちからそのような話を耳にすることはなかった。

 使用人たちではない誰かの前で負の一面を出していたら、貴族たちの間であっという間に噂になる可能性もある。だが、夜会でイツカに関する噂は囁かれていても、フレーデガルに関する負の噂は囁かれていなかったように思う。

 それに何より、フレーデガルと実際に接した際にそのような一面が隠されているようには感じなかった。


(わたしの感覚なんて主観的なものだから、フレーデガル様に恨まれるような一面はないという証拠にはならないだろうけど)


 けれど、本当に困ってイツカの下まで尋ねてきた彼を信じたい。

 もう一度静かに息を吐きだし、イツカは呪術について記された本を片手に持ったまま、残りの本をテーブルの上に重ね直した。

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