うどん好きじゃないけど

染井トワ

好きじゃないけど。

小さい頃から、うどんは風邪をひいたときによく出た。

ホカホカの湯気が鼻に当たる感覚がこそばゆくて、麺をすする度に出てくる鼻水をふき取るのも面倒くさくて、実は好きじゃなかった。年中無休のあたたかさに風邪ひきの自分がセンチメンタルな気持ちになるのも嫌だったのかもしれない。


そんな自分もなんやかんやあって大きくなった。内側の自分は大して成長しないのに入れ物だけ大きくなっている感覚だけがつきまとった。

うどんもそばもずっと好きじゃなかった。引きこもって本を読んでばかりの薄い背中が目の前に浮かぶ感覚がして。細くも太くもない足で地面を踏む。乾燥でガサガサの手で食券を差し出す。学食で頼むメニューはいつもラーメンだと決めている。


沈黙とラーメンと向かい合う。右足を上に足を組む。メガネの先の視界がぼやける。ずるずると気合の抜けた音とともに麺を体にねじ込む。満腹中枢だけを満たして申し訳程度にごちそうさまでした、と言葉を落とす。


ふっと思い出すことがある。小さい時から丈夫な体の持ち主だったらこんなんじゃなかったのかも、と悩んでいた背の順1番目の女の子。一人で食べきれないカップそばに、なんだか泣きたくなっていた女の子。拭えないままで生きてきた16歳の女の子。過去に生きている自分に今の公開を押し付けたままの16歳の女の子。


大きな食洗機で浮き続けたままのラーメン皿。ぐるぐると回されるレンゲと箸。ピークを過ぎて閑散とした食堂にかつん、かつんと食器たちがぶつかる音が響く。


ふわふわしたままなの、どうにかなんないかねえ。おもっていたおとなとぜんぜんちがうじゃんか。


鞄を抱えて帰路につく。バスに揺られているから、スマホを見た。ツイッターをなんどもスクロールして、情報の渦に巻き込まれて、やっと元の世界に帰ってくる。ほぅ、と小さな息をつく。最寄りの二つ前のバス停には近くの私立の小学生が綺麗な列をなして待っている。


バスに乗っているだけでお腹が空くのは10代の性なのだろうか。昼の街でもギラギラ輝くコンビニに足を踏み入れる。技能実習生と思しき店員が雑誌の出し入れをしている。


ギラギラしたコンビニでひときわ目立つ円盤に視線が吸い付く。赤いパッケージと緑のパッケージに大胆なフォントで書かれた文字。

別に、これに囚われて、生きてきたわけじゃないけど。これを食べたら、むかしのわたしが報われるかもしれない。カゴに突っ込んで、何か後ろめたい気持ちでレジに向かう。


「・・・赤いきつね、1点、合計5点のお買い上げです」


いつもよりほんの少し値が張る買い物に、ぐるぐると回るしょうもない思考に、いつものわたしは呑まれたままだ。


順番通りにお湯を入れる。ラーメンと大差ない量の湯気がだっさいメガネを覆う。ださいわたしがださい格好でしょうもない過去を振り切ろうとする。


麺に箸を突っ込む。太るなあとか年相応のことを考える。麺を口に突っ込む。ただただ、咀嚼、咀嚼。


ふっと鼻を抜ける出汁の香りがした。むかしのわたしはやっぱり消えてはくれなかった。でも、赤いきつねは、食べきれなかったカップ麺の記憶は、ぜんぜんまずくなかった。手と口が同時に動く。静かなリビングにずず、という間抜けな音だけが響く。


生まれて初めて、うどんを美味しいとおもった気がした。

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うどん好きじゃないけど 染井トワ @towatowa1206

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