チャイナ・ローズ【朗読用フリー台本】
江山菰
第1話 チャイナ・ローズ
散歩中に倒れて農業用水路に落ち、見つかったのは二日後だったという。
生涯独り身だった。
公証役場に預けられていた遺言状には、僕が大叔父の家の相続人に指定されていた。他の親族は、
しかし、勤めていたグラスゴーの文具店が潰れて求職中だった僕は、フラット一間の家賃だけで青息吐息だったので、そこに住むことにした。
その家の中は手つかずだった……動産類が保管してあった書斎以外は。
ソファに投げ出されたセーターも、テーブルの上のパン屑もそのまま。
まずは、大掃除だ。
特に大叔父に対する思い入れもないので、老人臭をたっぷり吸いこんだものは処分した。売って現金化できたものもあり、当面はこれで何とかなる。きっちり掃除洗濯すると古いなりにこざっぱりした。
庭のほうは荒れ放題で、
その真ん中にぽつんと、小さな薔薇の木がある。人の手が加わっていると思しきものはその薔薇と、申し訳程度に薔薇を守る錆びたアーチだけ。
薔薇と言っても、花屋で売っているような派手なやつではない。
花は濃い
根元の札の文字は、
掃除も一段落したので、秋の日差しの下、棚の奥にあった景徳鎮の茶器を庭先のテーブルに持ち出し、アウトドア用のコンロで湯を沸かして紅茶を淹れることにした。
青い柳模様のカップに牛乳を足して、
見上げると、エキゾチックな一重の目の輝きにぶつかった。
十歳かそこらの、少女とも少年ともつかぬ子どもが僕を訝し気に眺めている。
僕は狼狽えた。
「誰? 近所の子?」
「私はここに住んでおる。お前こそ誰じゃ」
変な言葉遣いの、子どもの高い声。
顔は極東アジア風だ。おそらく中国系。
結い上げた黒い髪につりあがった黒い目。
派手な紅のアイメイクは歳に不相応なのに、東洋人らしいきめ細かな肌と顔立ちに馴染んでいる。
刺繍がふんだんに入った衣装は中国清代のものに見えた。
髪には薔薇の髪留めを飾り、垂れ下がった
出で立ちは女の子のようだが、そうとは言い切れない不思議な少年らしさもあって、まあ、きれいな子だった。
「ここに住んでるって?」
「そうじゃ。オーランドと一緒に住んでおる。オーランドはどこじゃ?」
そいつは、口調や態度がやけに尊大だ。
「死んだよ」
「死んだとな?! ……ヒトはすぐ
そいつは、悲し気な顔をした。
僕は大叔父がよからぬ性癖を持っていたのか、または隠し子ではないのか、と心中穏やかではなかったが、とりあえずカップを置いて、握手を求めてみた。
「僕はマックス。ここを、大叔父のオーランドから相続したんだ」
僕の差し出した手は、我が文化に握手なぞはないとばかりに無視された。
「ソウゾク?」
「もらったんだよ、ここを、亡くなったオーランドさんに」
「はあ……オーランドは、本当におらぬようになったのじゃな……」
こまっしゃくれた呟きとともに、そいつは寂しそうにため息をついた。
大叔父の死を悼むためのひとときを置いてから、今度は僕が訊ねた。
「君、名前は」
「
「失礼だけど、男の子? 女の子?」
「どっちでもなくどっちでもある」
「え」
「月季は、ヒトのような下賤のものではないので、男でも女でもない」
「ヒトじゃなかったら、何」
月季は小さな薔薇の木を指差した。
「あれじゃ。あれが私じゃ」
「嘘だろ」
普通どんな人間もそう言うと思う。
「嘘ではない。ほれ」
やにわに、月季はコンロに手を
「危ない!」
僕は慌てて、黄桃色の滑らかな手をコンロの炎の上から払いのけた。
「何やってんだ! 火傷するだろ?!」
自称「薔薇の木」は僕のいうことを完全に無視して、したり顔で言った。
「私の木を見てみよ」
振り向くと、樹の一枝が薄く煙を上げている。
生木のみずみずしさに炎を上げこそしなかったが、葉が焦げている。
「本当に……本当に薔薇? え? あの薔薇が? 薔薇の精ってやつ? ええ?」
「バラバラ言うでない、うるさい。こちらは体が焦げたというのに」
「あっ、ああ!! 冷やさないと!」
「私は血肉を持たぬゆえ冷やさずともよい、そんなことより水をくれぬか」
そうか、大叔父が他界してから、しばらく雨は降っていない。
きっとこの東洋の薔薇の精は渇きを訴えに来たのだ。
僕が薔薇の木の根元に水をたっぷり撒いて戻ると、月季は勝手に僕のサンドイッチを食べ終え、カップの中身を優雅に飲み干しているところだった。
腹が立つというより、心配になった。
「そういうの、大丈夫?」
「何がじゃ」
「人間の食べ物とか飲み物は体に悪くないのかなって」
「我らは大抵のものは身の養いにできる。塩のきつーいものとかにあらねばよいのじゃ」
「そうなんだ」
「馳走になった。なかなかよい味であったぞ」
月季はにっと目を細めて笑い、ぴょんと跳ねるように立ち上がった。
中国の老人が竹籠で飼っている、
「お前はここに住むのか?」
「ああ、うん、そのつもりだけど」
「ならば、これからよろしゅう、新しい家主よ」
奇妙な
僕は、幽霊ならぬチャイナ・ローズの精がいる家を相続してしまったのだ。
なんだか、僕はわくわくした。
<続くかも>
チャイナ・ローズ【朗読用フリー台本】 江山菰 @ladyfrankincense
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