第1話チャプター1 「魔導技士とアーティファクト」
第1話チャプター1 「魔導技士とアーティファクト」1
ミシュル中央区の外れ、そこから更に路地の奥に行くと、『アルスハイム工房』と書かれた看板を掲げた建物がある。それはレンガ造りの二階建てで、一階は店舗と工房、そして奥は事務所と、残りのスペースは居住エリアとなっている。
店舗は特別広いわけではない。お客が5,6人も入れば、行き来するのに窮屈を感じるぐらいだ。商品棚には多くのアーティファクトが陳列されている。奥のドアを抜けると、工房とリビングに繋がる廊下がある。リビングの奥にあるキッチンからは、包丁のトントンという規則正しい音が聞こえてくる。ダイニングにある木製の食卓には、目玉焼きやベーコン、トーストといった朝食の定番が3セット並べられている。
食卓を囲うように椅子があり、そのうちの一つに男性――フィル・アルスハイムが座っている。
年の頃は二十代前後といったところだろう。まだ若干、幼さと大人っぽさが同居している。彼は眠そうにその赤い瞳を擦りながら、キッチンへと声を掛けた。
「アストルム、いい加減、レスリーのやつを起こしてきてくれ」
「いえ、フィル。そろそろ起きてこられるかと」
そう答えながらキッチンから顔を出したのは、アストルム・サンビタリアだった。
青よりも空色に近い長い髪が、窓から差し込む光で輝きを見せ、端正な顔立ちは見る者が息を飲むことだろう。彼女は白いブラウスにブラウンのロングスカートを身に纏い、エプロンをしている。
「そういっても、もう八時だ。そろそろ工房と店の準備を――」
と、フィルがアストルムの言葉にうんざりしながら、小言を口にしたところで、
「ああ!! 寝坊した!!!」
二階から大きな声がした。
ドタバタと部屋を駆け回る音がしばらく続き、静かになったと思ったら、今度は階段を騒がしく降りてきた。
顔を見せたのは、レスリー・プリムローズだ。まだ十六歳の彼女は子供のように無邪気さがある。薄いピンク色の髪はボサボサのまま、適当に引っかけてきたであろうシャツに紺色のパンツ姿だ。彼女の大きな翡翠色の瞳からは焦りが窺える。
「アストルムさん、起こしてくれてもいいと思う!!」
レスリーの抗議の声に、アストルムは気にすることもなく、平坦な声で応えた。
「一度は試みましたが、あと五分と言われていましたので、ご希望に添う形にしただけです」
「そこはそれでも起こすところじゃ!?」
アストルムは、なにか問題でもありましたか? という表情をして、テーブルにレスリーの分の朝食を並べていく。
アストルムはレスリーから五分だけ寝かせて欲しいという要求を叶えただけなのだから、何の非もないのだが、アストルム自身はレスリーの抗議の理由を理解していない。
それが可笑しくて、フィルは二人のやりとりに苦笑した。
「朝から騒がしいぞ。顔洗ってこい」
「私の扱いが雑! とりあえず、顔洗ってきます!」
レスリーが奥に引っ込んで、しばらくすると顔洗って寝癖も直して戻ってきた。食卓について一息ついたレスリーにフィルは半目で、
「いつになったら、その寝坊癖治るんだか。レスリーを雇って一ヶ月ちょっと、寝坊してない日はいくつだ?」
フィルの質問に、レスリーは指折り数える。
「えっと……。10日ぐらい?」
レスリーは気まずそうに答える。
フィルはレスリーの回答は正解かと、アストルムの方へと視線を向けると、彼女は小さく首を振る。
「いえ、私の認識だと、18日は寝坊していますね。稼働日の9割は寝坊しているかと」
「だそうだが?」
ニヤリと笑みを浮かべて、レスリーの方を視線を向けると、バツが悪そうに彼女は視線を外した。
「うう……す、少しずつがんばります」
レスリーの決意表明を聞いたところで、アストルムも食卓について、朝食の時間が始まった。
アルスハイム工房の朝は、この騒がしさから始まる。
フィルにとって工房は自宅も兼ねている。先月、地方都市から出てきたレスリーを雇った際も、ミシュルでの住居も決めていなかったこともあり、住み込みで働いてもらっている。その結果、男女がひとつ屋根の下で暮らしている構図が出来た。フィル以外が女性ということもあって、各々の部屋がある二階の一部は立ち入り禁止にしているし、風呂なども時間帯を決めるなど、ルールを決めている。
「だいたい、魔導技士を目指すなら、そのいい加減さを直せ。日頃のそういうところがアーティファクトを作る上で出てくるぞ」
フィルが指摘すると、レスリーはムッとして、反論する。
「そういうこと言いますか? それを言うなら、フィルさんはもう少し頭を柔軟にしたらいいと思いますよ!」
「自分を持ってるっていうのは大事なことだろ」
フィルとレスリーの騒がしさを余所にアストルムが静かに食事を進め、フィルはレスリーと言い合って、食事がなかなか終わらない。
二人が言い合いを続けている横でアストルムは食事を終えたところで、フィルが時計を目にやると十分近く経っていることに気が付いた。
「こんな時間じゃないか。さっさと朝食食べて、ミーティングだ」
「あー、ホントだ!」
フィルたちは朝食を終わらせることにした。
朝食を食べ終わった三人は事務所に場所を移して、中央のテーブルを囲う形で席に着いた。
フィルはノートを片手に今日の予定や作業について他の二人と確認していた。
「で、今日の予定だけど。午前はアストルムとレスリーは、マリスのところにいって、黄金蚕の糸を5ロール、翡翠の骨粉を10袋、基本四属性の魔石それぞれ10セットを買ってきてくれ。あとはレスリー、そっちの作業で不足してるものを買い足してきてくれ」
フィルの言葉に、買い出しのメモを取っていたレスリーが顔をあげて、頷いた。
「大丈夫です。――ミランダさんからの依頼も来週が期限なので作らなきゃですね」
「あのオーダーはそんなに難しくないから、レスリーに任せてるんだから頼むぞ」
フィルから見て、レスリーはまだ駆け出しの魔導技士だ。採用時には一通りの知識や技術の確認もしていてずぶの素人じゃないことは分かっている。アルスハイム工房に来る簡単な依頼のいくつかはレスリーに手伝ってもらっていたが、今回のミランダからの依頼は、初めてレスリーに主な対応を任せている。
「構想はあるので任せてください!」
フィルはレスリーのその自信に心配になるが、彼女に仕事を任せることにしているので、もしも、失敗してもそれも経験だろうと思った。
「任せるけど、買い出しから戻ったら、試作品作ってみてくれ。依頼失敗になったら、うちの信用に関わるんだからな」
「わかってます!」
「買い出しの量も多いからアストルムもついて行ってくれ」
「わかりました。――レスリー、身支度して十分ほどしたら行きましょう」
「じゃあ、頼んだぞ。俺は工房行って、準備しておくから」
フィルはアストルムとレスリーが買い出しに行くのを見送ってから工房へと向かった。工房自体は、居住エリアの向かい側にある。工房の広さは居住エリアよりも二回り近くある。
灯りをつけて、三カ所ある窓を開けて、新鮮な空気を入れる。
吹き込む空気にカーテンが靡く。
灯りに照らされた工房内は、よく整理されていた。
壁際に大きな棚がいくつもあり、棚の中はアーティファクト製作に必要な素材や魔石がカテゴリーごと、大きさや長さごとに整理されている。
素材が収納されている棚の反対側には、作業机が二台ある。一つは道具や図面が綺麗に整理されている。もう一方は図面が広がりっぱなしで、道具も出しっぱなしである。
フィルは棚を見て、今日の作業に必要な素材を手に取っていく。
一通り素材を手にして、フィルは作業机に着く。
横目でレスリーの乱雑に散らかった作業机を見て小さく首を振った。
「ったく、作業机はキレイにしておけっていってんだけどなー。今度少しキツめに注意するか。――で?」
図面の上に乗っているペンや定規などを退かして、書きかけの図面を手に取った。
そこには作業机の状況とは打って異なり、キレイな線や文字で彼女の考えや発想、悩みどころが書いてある。
フィルはそれを隅々まで見て、レスリーなりに悩み抜いてることを、感じ取った。
「悪くはないか。ミランダさんのオーダーは、植物の成長促進。これで大筋はいいけど、まだまだかな」
広げた図面をレスリーの机に置き直す。
フィルは作業机に置いた素材を作業しやすいように並べる。
「さてやるか。まずは竜の大鍋のシアンさんに頼まれてる酔い止めとか作るか」
酔い止めのアーティファクトはこれまで何十、何百と作ってきたから、作業手順を憶えている。
フラスコに七色魚の鱗数枚を細かく砕いた物と砂桜の葉を入れて、フラスコの半分ぐらいの量の聖水を注ぐ。
それを火に掛ける。
沸騰するまでの間に、水魔法が入った魔石を取り出して、治癒能力活性を引き出す魔導板に嵌める。魔導板から黄金蚕の糸を
フィルが魔石に魔力を込めると、水魔法を起動する。
魔導板によってその効果を調整された魔法が、黄金蚕の糸を通じて、フラスコの中身へと、溶け込んでいく。
しばらくフラスコの中身が、コポコポと沸騰しはじめたところで火を止めて、フラスコを冷やす。少量ずつビンに詰めていく。
五本ほど作ったところで一息ついた。
フィルを始めとした魔導技士は、アーティファクトの作成と販売、そして依頼を請けることで、生計を立てている。
アーティファクト製作技術が確立しはじめて、まだ50年も経っていない。そもそもの始まりは、魔法使いだけが行使できる『魔法』という奇蹟を一般的なレベルで使用できるようにと目指したことにある。
魔法使いは現在に至るまでに確認された者を含めても三桁に届かない。魔法の探求と世界の神秘を求める魔法使いは、人間の理から外れている存在であり、同じ人間でありながら、その平均寿命は300歳とも500歳とも言われている。長寿故にその絶対数も少ないとされている。
イディニアの首都であるミシュルでさえ、魔法使い二人しかいない。魔法使いはそれだけ珍しい存在になる。
それだけ魔法は貴重で希少な技術と才能だ。
しかし、幸いなことに人間は誰しも多少の魔力を持ち、コントロールができる。アーティファクトはその誰もが使える魔力を用いて、魔法を、奇蹟を、模倣する道具だ。
魔導技士はアーティファクトを作ることで、誰もが魔法による奇蹟を享受できる世界を目指す職業だ。
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