錆びた天秤

猫パンチ三世

錆びた天秤

 あなたは誰かを殺したいと思った事は無いだろうか。

 

 理由はどんなものでもいい、ほんの些細な事でも構わない。


 悪口を言われた、足を踏まれたのようなものでも。

 いじめられた、暴力を振るわれた、人間としての尊厳を壊された。


 理由は何でも構わない。


 恐らくだが先ほどの質問に『ない』と即答できるのは、よっぽど恵まれた環境にいたか、何も考えていない馬鹿だけだ。


 大抵の人間はその思いの強さに強弱はあれど、殺してやりたいまたはいなくなってもいいと考える人間がいるだろう。


 だがその思いのままに行動する人間はそう多くない。


 誰もが分かっているからだ、人を殺すのはよくない事だと。理性でブレーキをかけるのだ。

 どれだけ相手に苦しめられていようが、『人を殺してはいけない』というルールを破った時点で自分が社会的弱者となり、大罪人となり、二度とまともに暮らしていけない事を理解しているからだ。


 だから耐える、我慢する。

 理由もよく分からないままいじめられて不登校になろうが、理不尽に耐え続け心を病み職を失おうが耐える。

 

 親に精神的・肉体的暴力を振るわれようが、夫からぶたれようが、妻から言葉攻めにあおうが我慢する。


 そしてみんな死んでいく。


 世を、人を、そして何より無力な自分を恨んで死ぬ。


 未練を残し、恨みを残し、ただただ後悔と砕けた誇りの欠片を抱いて。


 来世への期待を込めて死んでいく。


 相手と同じにはならなかったと、無抵抗を貫いた自分を誇らしく思いながら死ぬ。


 死んでいった人間たちは、分かっていた。


 誰も殺人を肯定してはくれないと。


 ではもし仮に、殺人を肯定されたらあなたはどうするだろうか。


 仲間内の慰めではなく、公式に殺人が肯定されたとしたならあなたはどうするだろうか。


 書類を書き、審査を受け、正式に国から『あなたは○○を殺していい』と許可を得たなら。


 殺す事でしか、相手がこの世からいなくなることでしか前に進めなかったとしたら。


あなたは許可を取って人を殺すだろうか。


 もう一度だけ聞かせてほしい。

 誰かを殺してやりたいと思った事はあるだろうか?



「あの……殺人の審査書類ってここでもらえますか?」


「公式殺人の書類はこちらになります、同封されているマニュアルを熟読かつ熟考された上で窓口に提出してください」


 やつれた女は弱弱しく封筒を受け取ると、逃げるようにいなくなった。


 井草正義いぐさまさよしは減った分の書類を補充し席に戻ると、やりかけだった書類を片付け始めた。

 

 山のように積まれた書類を上から順に打ち込み、整理していく。

 気の遠くなるような、大概の人間なら投げ出したくなるような量の仕事を井草は顔色一つ変えずに片付けていく。

 

「さっき来てた子、何系だと思います? 俺はやっぱり男絡みだと思うんですけどね」


「分かりません、それにそういった詮索は無意味だと思いますが」


「はは、堅いなあ。もっとゆるくいかないと」


 井草は話しかけてきた軽薄な男をチラリとも見ない、男もそれを大して気にする様子もなくコーヒーと共に彼の隣の席に座った。


 シワ一つ無い黒のスーツ、短く整えられた頭髪、スクエアタイプの黒縁メガネ、といかにも堅そうな井草と違い、隣に座った男は紺のスーツを着こなした茶髪の男で、顔は整っているがどうにも不誠実さが滲んでいる。


「黒田さん、先日の資料はまとめ終わっているんですか? 確か今日が提出期限だったはずですが」


「あ~……ありましたねそんなのも。あとちょっとなんで大丈夫ですよ」


「そうですか」


 井草は黒田幸一くろだこういちという男の相手をまともにするだけ無駄だという事を、よく知っている。

 態度は軽薄、職務にあたる姿勢はお世辞にも褒められたものではないが書類などの提出期限に間に合わなかった事はない。

 だから彼が終わるというのなら終わるのだろう、という事で井草は黒田に労力を割くのをやめた。


「しっかしまあ片付けても片付けてもきりが無いですね、どんだけみんな人を殺したいんだか。嫌になりません?」


「特には、仕事ですから」


「あっ……そっすか」


 2072年、日本では殺人が合法化されていた。

 年々凶悪化する犯罪に加え、犯した罪と法による裁きが明らかに釣り合っていないないケースが日本は多かった。

 例として未成年者による犯罪や、性犯罪に対する裁きは周りや被害者に与える影響と比べ加害者への裁きが明らかに軽い。


 またいじめを苦にしての自殺、職場でのあらゆるハラスメントを起因とした間接的な殺人に対する裁きを求める声も年々高まっていた。


 本来は法改正を早急に進めるべきだったが、それはあまりにも遅すぎる。

 一つ法が変わる前に百人の被害者が出る方が早い、そういった経緯から生まれたのが『殺人管理法』である。


 例としてAがBを殺したいと考える、もちろんここでAがBをいきなり殺したらそれは当然違法だ。

 だがAはBに対する怒りを到底抑える事などできない、ならどうするか。

 国から許可を取るのだ、動機や殺害方法などを書類に記入し管理局に提出する。


 そして殺人管理士の資格を持った人間が、書類内容を精査しこの殺人が正当なものかを判断する。

 そして正当だと判断されれば、日時や場所などを指定された上での殺人行為を合法とする『殺人許可証』が発行され晴れてAはBを殺す権利を得るのだ。


 井草と黒田は殺人管理局東京第一支部に席を置く、れっきとした殺人管理士である。

 井草が片付けている書類は、窓口に提出された『殺人許可願』だ。


「あなたも早々に資料の作成を終わらせてください、午後から面談がありますから」


「はいはい」


 黒田は仕方なそうにパソコンに向かう、半分ほどできた資料を片付けるために。




「誰でしたっけ、今日の面談の相手って」


冴島晴美さえじまはるみさんです」


「ああ……確か会社の上司にいじめられて仕事辞めた子でしたっけ。書類の動機の欄が頭っからケツまでびっしり書き込んでありましたね、あれはちょっとビビったなあ」


 二人は面談室まで並んで歩く、必要書類などの荷物を持つのは井草の仕事になっていた。

 

 許可が下りるまでの基本的な流れは、まず提出書類に必要事項を記入し管理局に提出する。

 そして提出された書類を殺人管理士の資格を持つ人間が二名で精査し、そしてその中から正当性の高い案件を抽出する。

 

 正当性の基準はかなり細かくあり一例として、


 ・動機、第三者からみて十分に人を殺すに足りる動機かどうか。

 ・加害者の周囲に与える影響、果たしてこの人間は生かしておいていいのかどうか、周りに与えるメリットとデメリットはどちらが多いのか。

 ・加害者が被害者に対して行った行動に対し、法は十分な裁きを与えられているか。


 などがあげられる。


 そうして正当性の高い殺人と判断された後は、各所関係機関による裏付け調査が行われ被害者の言い分が事実であると認められると、次は面談が行われそこで改めて殺人に対する意思の確認と必要書類等への記入を行い、殺人許可を与える。


「てゆうか、そんなありきたりな案件なら井草さん一人で良かったじゃないですか。あの文章の勢いなら多分ガチだと思いますし」


「管理士は原則として二人で業務にあたらなければなりません、規則をお忘れですか」


「……分かりましたよ」




 面談室で待っていたのは、生気のない女だった。

 スーツを着ているおかげか一定の体裁は保てているが、隠しきれない荒れた生活が各所から感じられる。

 目の下にできた不健康なクマ、見るからに質が悪い黒髪、疲れ切ったようにこけた頬、それは彼女が現在どんな生活を送り、どういった現状にあるかを如実に表していた。


「お待たせしました、管理士の井草です」


「黒田です」


「……どうも」


 力無く頭を下げた晴美の声は、細い蜘蛛の糸のような声だった。

 

 二人は晴美の前に座り、書類を広げる。

 

「では冴島さん、今からあなたにいくつか質問をします。嘘偽りなく正直にお答えください、ただどうしても話したくない事柄につきましては無理に話さなくても結構です」


 井草の言葉に晴美はゆっくりと頷く、彼女の目は薄く血走りどこか遠くを見ているような目だった。


「まずあなたが殺したい相手は以前勤めていた会社の上司である、斉藤康夫さいとうやすおさんでお間違いないですか」


「……はい」


「あなたは彼から理不尽な量の仕事をいくつも押し付けられ、仕事に忙殺される日々を送っていた。あなたの提出された勤務記録と我々が調べ上げた勤務記録を照らし合わせた結果、それが事実だという確認が取れました」


「いやあ僕も見ましたがあれはひどいですね、僕なんかじゃとてもとても耐えきれませんよ」


 茶々を入れた黒田を嗜めるように井草が視線を送る、それに気付いた彼は悪びれる様子もなくわざとらしく頭を下げた。


「ともかくあなたに押し付けられた仕事の量は明らかに異常だった、そんな量の仕事をこなしていればどうやってもミスは出る。それも確認できました、ですがそれはほんの些細なミスだった。違いますか?」


「そうです……あいつは、あの男は……私に馬鹿みたいな量の仕事をふってきて……まともに寝れない中で終わらせて提出した書類を、感じが一文字間違っていたからって職場の全員の前で破り捨てたんです……たった……たった一文字ですよ……?」


 晴美の手には力がこもる、今にも爆発しそうな思いを手の平の痛みと引き換えに彼女は耐えていた。

 

「ひどいなあ、うちの井草なんてちょーっとしたミスくらいなら笑って許してくれるのにな」


 特にリアクションも無く、井草は話を続ける。


「そんな明らかなモラルハラスメントを受けているあなたを、周囲の人間は誰一人助けようとはしなかった。いや、助けられなかった」


「あの男は普段は馬鹿で仕事の一つもまともにできないのに、そういった根回しだけは無駄に上手かったんですよ。強い上司に媚びを売って、自分の立場を強くし周囲の部下には裏切り者がでないように監視させていましたから」


「いますよね、そういう人の為にならないスキルだけあるやつ」


「やがてあなたは限界を迎え、精神と体を病み退職。しかし斎藤さんには何の処罰もなかった」


「……私はあいつのせいで仕事を辞めた今でもまともに眠れない、食事もまともに喉を通らない。収入もなくなって、今は貯金を切り崩しながら生活してる。なのにあいつは……まだのうのうと暮らしてる、冗談みたいな注意を少し食らって今でも生活に困らない程度の地位にいる。私はそれが……それが……」


 彼女は見た目以上に饒舌だった、恐らく普通の会話はまともにできないだろうが斎藤の事となると口が良く回る。

 憎しみと怒りの脂は、彼女の舌をおぞましく光らせていた。


「じゃあ殺しましょう、ぶっ殺しましょうよそいつ」


「は?」


「は? じゃなくてですね、我々は国としてあなたの殺意を肯定するって言ってるんですよ。井草さん、ちょーっとだけいいですか?」


「少しだけですよ」


「どもー」


 黒田は井草から書類を受け取り、一通り目を通した後で再び晴美を見た。


「冴島さんの殺意はよーく分かりました、僕も資料の方は目を通しましたがねこの斎藤ってやつはろくなもんじゃない。殺した方が世のため人の為になるでしょうね」


「……はい」


「でですね、冴島さんは殺害方法の欄に刺殺と書かれていますが本当にこれでよろしいんですか?」


「はい」


「本当に?」


「一体何だっていうんですか! もっと楽に殺してやれとでも!?」


「まさか、その逆ですよ。本当にただって聞いてるんですよ」


 その言葉に晴美の怒りは、風船を割ったように縮んだ。

 目の前にいる男が発した言葉、それが仮にも公的な立場にいる人間が、言っていいようなセリフでは無かったからだ。


「わ……私はただ……あいつを殺せればそれで……」


「ええ~? ほんとですかあ? あなたが受けた苦しみってのはちょっと刺されてしぬくらいでチャラになるようなものなんですか? もっと陰湿に、惨たらしく、時間をかけていいんですよ。爪を剝がしてもいいし、目にマッチ押し込んだりとかしてもいいんですよ。だって国が認めてるんですから」


「何でも……」


「はい、何でもです」


 それきり何も話さなくなった晴美と、機嫌の良さそうな黒田を見て井草は一つ大きなため息を吐いた。


「では、説明の続きを」


 再び始まった井草の説明を、彼女はずっと上の空で聞いていた。



 それから3日後の正午、冴島晴美による斉藤康夫の公式殺人が行われた。




 冴島晴美の殺人から3日、井草は今回の一件についての報告書をまとめていた。

 殺害方法や絶命に至るまでの時間を残さず全てまとめ上げる、その横で黒田はイヤホンをしながら冴島晴美の殺害記録を見ていた。


「うっわ、えぐ」


 スプラッタ映画でも見るかのように、黒田はリアクションを取りながら記録映像を見る。

 彼がイヤホンを外したのは、動画を見始めてから2時間後の事だった。


「いや~すごかったですよ、どうですか井草さんも」


「そういうのはあなたの仕事です」


「かなりエグめですよ、ここ最近で一番だと思いますよ。これじゃあ処理係の新人もゲロっちゃうわけですわ」


 斉藤康夫の死体の状況はすでに処理係から報告されていた、無機質な文章からすら臭い経つ血生臭さは常人なら吐き気を覚えるだろう。


「あまり人を煽るような発言は控えた方がいいと思いますが、処理係の方々だけでなく私も迷惑ですから」


「何でです?」


「死体の損壊が激しいと、報告する事が多くなりますからね」


 それから1時間ほどで井草は報告書をまとめ上げた、冴島晴美が斉藤康夫を殺すまでの流れが事細かに記されており、それはもう彼女の自伝のようにすら思えた。


「冴島さん、これからどーなるんですかね?」


「さあ、それは彼女次第でしょう」


 冴島晴美は斉藤を殺した後、礼を言いに井草たちの元を訪れていた。

 

 以前よりも眠れるようになった事、少しずづだが食事の量も戻ってきている事などを嬉々として語る彼女は明らかに生気を取り戻していた。


「我々の仕事は殺人の管理、殺したあとどうなるかまで考えていてはきりがない」


「相変わらず、ドライですねぇ」


 そう言って黒田は笑う、井草はそれに対して反応する事は無かった、

 一つ仕事を片付ければ、また次の仕事が来る。


 そうすれば余計な事を考えなくてもいい事を、彼は知っているからだ。

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